ハキルナー2
起き上がったズゥングルは毛を逆立てたものの、すぐにおっとりとその場にお座りをした。その周りをムクルンが数匹、遊んでいる。追いかけっこをしている。
納屋のことはとりあえず置いて、ハキルナは普段通りに、ミアリを一応起こしに行った。一応、なのは、それだけでミアリが起きることはまず無いからである。
そのまま眠り続けるか、起きてもしばらくぼんやりし続けていることがほとんどだ。朝食の席に着いてもこっくりこっくり舟を漕いで、皿に突っ伏しそうになったことが何度もあった。
兄に言わせると『ミアリの場合、魔力制御の関係でこうなってるんだと思います。覚醒する際に、己の感覚を調節するのが難しいと言うか…』となる。魔力を持たないハキルナには、理解が及ばない話だが、そういうものなのだろう。
仕方が無いので、朝食は別々に摂るようにしている。
朝食を作り、マリティルと食べ、家の中の事をこなしていると、ミアリが起きてくる。納屋のことを話して、また家の中のことをしつつ、時々ズゥングルたちを見に行く。可愛い。
午後。昼食を作り、皆で食べてから、村へと買い物に行く。少し蒸し暑さを感じる日だ。
日常の、延長だった。この辺りまでは。
村で買い物を済ませ、さあ帰ろう、という時だった。ハキルナは、周囲がざわついていることに気が付いた。
「?」
村の人たちが皆一様に、同じ方を見て指差し、話しているのだ。ハキルナも倣って、そちらを見る。
視線の先には人がいた。三百人程しかいないアウス村の人間ならば、大抵は一目見ればハキルナにも分かる。だから、外の人間だろう、とは思う。アウス村の人では無い…と言うより、フードを深く被っているので、その風体がよく分からないのだ。が、着ているものが良いもの過ぎた。村の人たちが一番おめかしするのは祭りの時だが、その際にだって誰も着ていないような艶のある服だった。
王都の辺りから来た人かしら?
内心で首を傾げていると、その人物が近付いてきた。こちらに。……え?
「ハキルナ=アウス殿とお見受けする」
口調が固い。しかし、声は女性のものだ。ハキルナの正面で足を止め、フードの端を軽く持ち上げる。うん、女性だ。影になっていて細部は見て取れないが、線が細い。フードの所為か大きく見えたが、自分と身長はそれほど違わない気がする。
それにしても。
「……。どちら様ですか?」
ハキルナの名として村の名前を後に付ける、というのは大仰だが、無くは無い。…ただ、呼ぶ相手にほとんど覚えは無いのだが。敢えて呼んでくるのは大抵、あまりお近付きになりたくない類の偉そうな人だろう。
「ああ。失礼。私は、シェクシュサ。王妃リリーディヤナ様の護衛の任に付いている者だ」
「……」
絶妙に呼びにくそうな名前だ、と思ってしまったのは伏せて置く。
ザイカラルでは大概、己の名を名乗る場合は姓を付けない。実際、このシェクシュサも付けなかった。
『アウス』はハキルナの姓と言う訳では無いが、そう呼ばれることもある、と知っている。単に森の番をする家に産まれた者としての呼び名で、本来、深い意味は無い筈なのだが。敢えて呼ばれると、何だかすごく、勿体ぶって聞こえてしまう。
心持ち、相手を見る目が鋭くなってしまった気がする。睨むつもりは無かったが、結果としてはそうなったかも。と、いうか王妃の護衛が自分に何の用だと。
ふ、と。シェクシュサが軽く笑ったようだった。
「すまない。警戒させてしまったな」
声音に少し、気遣いが混ざる。…悪い人では無さそうだが。
「貴女というより、貴女の兄君に用がある」
「お兄ちゃんに?」
つい聞き返してしまったが、この場において『お兄ちゃん』呼びは如何なものか、と自分でも焦った。考えてみれば王城関係の人間の用事だ。自分より兄に、というのは頷ける。あれで魔力強いんだし。
「実は昨日、兄君に手紙を送ってあるんだ。今日ならば間違えなく読んでいる筈。それを見計らってやって来た。…兄君、マリ、ティル殿にお会いしたい」
変なところでつかえたシェクシュサは、それを咳払いで誤魔化そうとしているようだ。
少し考える。
まあ、確かに。村に来るのは、うちでは自分くらいだ。森の道は迷いやすい。初めて来た者には案内が必要だろう。案内するなら村の樵さん方でも良いかも知れないが、彼らだと兄相手に恐縮している部分があるため、知らない人からの依頼は断りかねない。一応マリティルは『森の賢者』と呼ばれ、親しまれつつも敬われているのだ。そういった事情をシェクシュサが把握しているか、は不明だが。
息を吐く。心を決める。
「分かりました。ご案内します。付いて来てください」
「ありがとう」
周囲で見守ってくれていた村の皆様が、どよめく。
「良いのかい、ハキルナちゃん」
近くにいたマァサ小母さんが声を掛けてくる。
「…ちょっと、時間が無くて。考える時間も惜しいから、判断が雑になってるかも、とは思うけど」
「時間?」
「何の?」
シェクシュサもマァサ小母さんも不思議そうだ。
「さっき、お肉買っちゃったのよね。…腐らせたく無いから、早目に帰りたいの」
今日は少々蒸し暑さを感じるし。
「冷たい状態で保たせることの出来る魔具を借りてくれば良かったわ」
魔具とは魔術師の作る道具のことだ。魔力の有る無しに関わらず、使えるようになっている物が多い。
ハキルナの言葉に、周囲は絶句したようだ。…なんで?
少しして、笑いが起きた。…だから、なんで?
「気にするところはそこなのか。……流石、あいつの妹」
「ハキルナちゃんらしいわ」
何だか、感心されたようだ。シェクシュサがぼそりと、マァサ小母さんがあっけらかんと笑って言う。
「え? お肉、大事でしょ?」
「ああ…。うん」
誰かのてきとうな返事が聞こえた。
結局のところ、ハキルナは未だに日常にいるらしかった。
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