マリティルー1


 大地と大気は魔力を帯びている。それらは時に、動物や植物、或いは無機物にも宿り、奇怪な現象や症状を引き起こす。これらを魔象、もしくは魔症と呼ぶ。

 ムクルンは、猫にもう少し丸みが加わったような外見の動物だ。基本は穏和な性質で、単独行動を好む。もふもふとした体毛は、薄茶と濃い茶の縞模様をしている。稀少動物では無いが生態に謎は多く、一番の特異点は魔力を集め易い体質をしていることだろう。魔症によって巨大化することがあり、これはズゥングルと呼ばれる。

 ズゥングルは個体にもよるが人の背丈の三倍程になり、当然それに見合った重さにもなる。最初にその状態で発見された時は、別の生き物と思われたために違う名前を付けられたが、後に根本はムクルンだと判明した経緯がある。大概は魔症が治まると元の大きさに戻る。注意点としては自分の大きさの変化を把握出来ない者がほとんど、ということだ。うっかりと木に登ろうとしたり弱い建物に寄り掛かったりしてしまった際に、枝は折れ、建物が崩れた、という事例はあるのだ。

「……。……まぁ、家に被害が無かったのは良かったんですが」

 マリティルの目の前でズゥングルが伸びをしている。お目覚めのようだ。大きくなっても穏やかな性質なのは変わらない。

 一応、母屋にも離れにも畑にも被害は無い。ただ、納屋として使っていた小屋が大きく傾いている。足元で、ムクルン同士が軽く喧嘩して遊んでいる。ムクルンは群れることは少ないが、ズゥングル化した者が近くにいると、何故だか寄ってくるらしい。

 可愛いとは思うが、納屋のことは頭が痛い。

 溜め息を吐きつつ、マリティルは母屋の妹たちの元に向かうことにした。

 朝、起きたら傾いていた。納屋が崩れでもしたら音で気が付いただろうが、幸か不幸か持ち堪えている。 

 妹たちはまだ知らない筈だ。魔力があっても敵意が無い者、己が力を行使する訳では無い者、については、マリティルとて感知しづらい。崩れたら危険だから、近付かないように言わなくてはならない。魔術で補強はしたので劇的に崩れはしないだろうが、念のため。

 欠伸が出る。昨夜は離れの方で休んだ。離れには長椅子はあるが、マリティルの体格だと横になるとはみ出してしまう。正直なところ、眠っても逆に疲れている。

「……仕方が無いか」

 手紙を読んで、気分が良くなかったことを、二人には気付かれたくなかったのだから。

 不意に足元にいたムクルンが、伸び上がってマリティルの服の裾にじゃれついてくる。何だか少しだけ心が軽くなった気がした。母屋へ行こうとしたのを一時中断して、好きなようにさせる。

 少しして、ムクルンから視線を外す。

 姿勢を正し、目を瞑る。深呼吸をする。大気と混じり、己の内なる魔力を意識して、体内に循環させる。大地に立つ己を、意識の中で溶かす。解き放たれ、どこまでも己が広がっていく感覚。目では無く、耳では無く、鼻では無く、口では無く、手でも足でも無い。体という枷を外す。己などというものはどこにも無く、それでいて、全てが己である。……。

〈ティアス!〉

 頭の中で、声が響く。

「……う、ぁ。…っは!」

 我に返ったと同時に、マリティルは大きく咳き込んだ。体を折り曲げるようにして、しばらくそこから動けなくなる。耳の奥で脈打つ音がうるさくて逆に聞こえない。

 呼吸の仕方を間違えた。…否。正し過ぎる仕方だった。自分は今、上手くやり過ぎたのだ。あまりに混じり、溶けてしまうと自我が飛びかねないと知っているのに。

 このやり方は、魔術を習得する者の初歩。魔力制御に繋がる。

 魔力を持つ者、と一口に言っても、力の強さは個人差がある。得手不得手もあるし、学ぶ環境によっても伸び具合は変わってくる。

 マリティルは強い力を持ち、最高の環境で学んだ。…七歳の時、ハキルナの両親に引き取られるまでは。

 初歩を学んだ頃は、やり過ぎると制止してくれる指導役がいた。指導役に頼っていた癖が抜けない。おかげで、研究などに応用することは出来るようになったが、初歩で正しい方に躓く、という謎の現状があったりする。

「……。いや」

 ようやく咳が治まり、思考が戻ってきた。

 頭の中で響いた声。ティアス、はマリィティアスの愛称。かつての自分の名前を呼ぶ声に止められた。

「え。……近くに、来てます?」

 思わず呟くと、鋭い口調の返答があった。

〈馬鹿。この時期だぞ、国外だ〉

「え」

〈お前、自分の実力考えてみろよ。ザイカラルにいない俺にまで、気配が届いたんだぞ? 強い奴らは大気の乱れに気付くし、弱い奴らはお前の魔力の波動喰らってるわ! 失神した奴ら、どうしてくれる…!〉

 相手は、遠くにいるらしい。いや、それより。

「っミアリ! ……。ああ。良かった」

〈無意識に、ミアリは守ってたようだな。どんだけ器用なんだよ、ティアス。……いや、こっちとか、他の心配もしろよっ!〉

 気配を手繰ると、魔力を持つ妹は無事のようだった。相手もそれを確認してから文句を付けてくる。

「そもそも、あの子はわたくしより強い魔力を持ってますけどね」

〈制御はさっぱりだけどな。自分より力が強くても、意地でも守るよな、お前。あれだけのことやらかして、気付かせないって何なんだ…〉

「そりゃあ、可愛い可愛いわたくしの妹ですからね。どんな困難からも守る気でいますとも」

〈…………〉

 相手はしばらく沈黙した。その間にマリティルは他の気配を探る。自分がやらかしたこと、の余波。……結構、範囲が広いようだが、多分、死人は出てない。うん、多分。

 視線を巡らせるとズゥングルは失神したように、動かない。というか、失神している。ごめんなさい。魔力によって巨大化していたため、通常時よりも効いてしまったらしい。ムクルンの中にはおろおろと辺りを見回し、きーぃきーぃと鳴き声を上げる者もいたが、大体の者が時間が経つにつれ落ち着いてきた。

「センリ?」

 国外にいる人の名前を呼ぶ。強い魔力を持つ人。

〈……お前の最初の妹が起きてきた。もう、切るぞ〉

 一方的に会話を切られた。苦笑する。

 距離のある相手と話す術は、事前に双方が許諾していないと使えない。マリティルはセンリを信用している。

 母屋の方からハキルナがやってくるのが見えた。ミアリはまだ寝ているのだろう。あの子は理由があって、お寝坊さんだから。

「おはよう、お兄ちゃん。…これ、ズゥングルだよね? 眠ってるの? 向こう…納屋、壊れてるし」

 混乱はしているが、いつものハキルナだ。ムクルンに手を伸ばして、毛並みを撫でている。ハキルナは、ムクルンやズゥングルを見たり構ったりするのが好きらしい。ムクルンもあまり警戒せずに撫でられている。

 ハキルナが産まれる前に、彼女の両親に引き取ってもらったため、彼女は産まれた時から自分の妹だった。いつものハキルナ、はマリティルの心にあたたかいものをくれる。

「おはようございます。ハキルナ。危ないので納屋には近付かないようにお願いします。……ズゥングルは、もうすぐ起きると思いますよ」

 自分のやらかしたことを隠しつつ、妹を安心させる言葉を口にする。…詐欺のようだ。良くない人間になったみたいだ。

 心の中で、反省することにする。

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アウスの森の三兄妹 @sakimi

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