第18話 遊翼、死す

「——さあ、『平和的に』いきましょ?」

 そんなことを口にして、優しい笑みを浮かべる伊織十和。


 このグラウンドは、そんな彼女のフィールドだった。

 夜宵による説明なので、《絵面だけ見れば平デミ・ピースフル和的な世界ワールド》という名前はどうせ夜宵自身が勝手につけたであろう名称だろうけれど、「『攻撃』と見做したものの威力の強弱をあべこべにする領域」というのは間違いなさそうだ。


「一体どうすれば……」

 はるポンのタピオカ弾に吹き飛ばされた俺は、第二班のチームの旗を奪い取る方法を思案する。

 現在、敵チームの陣地には錦ちゃんが入り込んでいた。だが、タピオカ弾によってコートの外に吹き飛ばされるのも時間の問題だ。


「もうすぐ、泡音あぶくが返ってくるだろうし、一発逆転の方法を考えないと……」

 炭酸水を足から吹き出すことで空を飛ぶことができる泡音あぶくは、それだけでも脅威だ。

 泡音あぶくが帰って来るよりも前に、勝てる方法を思いつかなければならない。


「考えろ、一番合理的な方法を……」

 ジャグリング。炭酸。空を飛ぶ。蛇。タピオカ。平和。あべこべ。妄想。右手。デコピン。魔法陣。槍。


「──夜宵」

「なんだ?」

「作戦を共有する。静かに詠唱はできるか?」

「もちろんだ!稀代の天才幻想魔術師である我にできないことはない!」

 そう口にして、俺に右手に刻まれた紋章を見せる夜宵。そして、俺は作戦を伝え──


「──ほう、面白い。それに賭けてみようじゃないか」

 夜宵は、俺に対して笑顔を見せる。俺達は、作戦実行のために散乱している障害物の後ろに隠れたのだった。


 ***


 ──蛇ノ目錦は思案する。


 このまま、無限に飛ばされ続けるタピオカ弾を回避するだけでは駄目だ、と。

 避け続けても勝利はできない。沢田泡音(さわだあぶく)が場外に吹き飛ばされている以上、第一班に負けはないのだが、それも時間の問題だった。


 だから、攻めに転じて第二班の旗を奪い取りたいのだけれど、その隙を与えぬほどにタピオカ弾が飛ばされる。

 これで怪我をしたら──などと考えるものの、それで勝ったとしても面白くはない。


「怪我をさせたら負け」というルールは、「誰も怪我をしない」ためにあるのであって「誰かを勝利に導く」ためにあるのではない。

 勝つなら正々堂々、第二班の旗を自分達の陣地へと持って行く。


「──でも、そろそろきつい」

 錦は、既に10発以上も連続でタピオカ弾を避け続けているけれども、ギリギリの回避も増えてきている。

 もう次のタピオカ弾は回避できない──錦がそう思った時だった。


「伊織さんに質問だ。デコピンは攻撃に入るのか?」

 そんな遊翼の言葉で、伊織十和と乾遥はそっちに視線を向ける。


「入るよ」

「そっか、ありがとう」

「デコピンできる距離まで近付かせないけど」

 遊翼の方に意識が向いたのか、錦へと飛ばされるタピオカ弾が止まる。そして、伊織と乾の2人はこれからデコピンをしに来るであろう遊翼の方へストローを向けるが──


「それじゃ、後は任せた」

 遊翼はそんなことを口にして、自らの右手を自らの右の側頭部へと持っていき──


 ドンッ


 そんな、低く重い音が点に轟き、遊翼の左の側頭部からは赤黒いものが散って散乱する。

「んな──」


 錦には──いや、錦を含め伊織や乾にも、目の前に起こった現状が理解できなかった。

「嘘……」


 その場にいる皆が、その驚愕の事実に言葉を失う中でただ、錦の目に映った事実だけを並べよう。

 遊翼は、自らに『攻撃』と見なされるデコピンを放った。

 人間が放つデコピンなど、大した威力はないのだけれど、ここは伊織の〈AUSアウス〉の影響で『攻撃』と見做したものの威力の強弱があべこべにになっている。

 そして、デコピンは『攻撃』であると、伊織が公言したために銃弾よりも重い一発となったデコピンが遊翼の頭に放たれたのだった。

 そんなデコピンにより、完全に頭が穿たれて皮膚が、肉が、脳が、破壊されて体外に吹き飛ばされるようにして出た。意識を失った遊翼は、そのまま左側にドサリと倒れたのであった。


「なん、なんで……」

 数秒かかって、遊翼が自らの頭に超強力なデコピンを放った──ということを理解できた伊織は、そんな言葉を漏らす。

 端的に言えば、自殺だ。遊翼は自殺をした。


「これは、ゲームだよ?任務じゃなくて……ゲームなんだよ?」

 そんな言葉を口にする伊織。伊織は、平和の【中毒者ホリッカー】だ。彼女は、遊翼の方へ走って声をかける以外の方法はない。ゲームだと言うのに死んでしまった遊翼の近くによっていて弔うしかない。


「ゆうぴっぴが……死んだ?」

 乾遥も、目の前で旧知の仲が自殺したのを見てその場にへたり込んでしまう。だが、それも当たり前だ。

 乾遥には、毒暴走アポトーシスを起こしていた時の記憶がないので、彼女の視点に立ってみれば、これが始めての知己の死になる。

 目の前で血肉をぶちまけて死亡するのを見て、どうして恐れを抱かないのだろうか。


 驚きと悲しみと絶望と恐怖。

 言葉にできないのではなく、言葉にしたくもないような悍ましい感情が伊織と乾の2人を襲うその時──





 ──ただ1人、遊翼の企みを理解できているのが錦であった。


 錦は、目が悪い。なぜなら、彼女はヘビの【中毒者ホリッカー】だから。

 錦には、ピット器官と呼ばれる恒温動物の放射する赤外線を感知できる。なぜなら、彼女はヘビの【中毒者ホリッカー】だから。



 だからこそ、彼女は理解していた。まだ、遊翼が死亡していないことに──。



「───残念だな。俺の勝ちだ」

「「──ッ!」」

 錦が、遊翼が生きていることを理解し、この死を装うことも作戦の一部であることを理解したと同時、遊翼はパッと目を開きそんなことを口にする。そして──


「──幻想法典・第九章三節」

 影に隠れて詠唱を終えて残るは技名を口にするだけの夜宵が登場したことにより、伊織と乾の2人も理解する。

 遊翼の自害も、何らかの方法で偽装されたものである──と。だが、そんな理解はもう遅いし、そんなことを理解したところで遊翼の生存が確認できている以上、どうだっていいことだ。


「【電気羊はアンドロイドアニバーサリーフォーを餌として見てエバー・アニバーサリいるか?ーフォーエバー】」


 刹那、陣地は黄色に包まれる。これも、多種多様にある夜宵の妄想の1つ。その効力は───


「ヘビが……」

 そこに現れたのは、妄想により生み出された大量のヘビ。振り向いた時には、錦はもう既にヘビの姿に変化していたのか、人型の姿はどこにもなかった。

 増えているのは、ヘビだけではない。第二班の旗も、増やされていた。


「これじゃ、錦ちゃんがどれかもどの旗が私達の本当の旗なのかもわからない!」

 そう口にする伊織。タピオカ弾を使って、魔法を吹き飛ばそうとするけれども増え続けるヘビと旗を前にしてはそれも無力に過ぎなかった。が──


「──ッ!行かせない!」

 乾遥が、視界の先で捉えたのは人の姿で旗を運んでいる錦の姿だった。

 グルリと、ストローを錦ちゃんの方へ向けてタピオカ弾を放つも───、



「はずれ」

 そんな言葉と同時、錦ちゃんはヘビに戻り持っていた旗は霧消する。どうやら、錦ちゃんは囮。持っていた旗は魔法で生み出された偽物。ならば、本物は──


「走れ!遊翼!」

 夜宵のそんな言葉が耳に入り、一瞬遅れて目の中に入ってくるのは旗を持って第一班の陣地の方へ全力疾走する遊翼の姿。死んだふり作戦を実行し、大量のハズレの旗の中からコッソリと本物の旗を取り出して自陣へと持っていこうとする策士。


「──ッ!あれだ!狙い撃て!」

 乾遥は、伊織と協力してストローを更に動かし、タピオカ弾を遊翼の方へ発射する。そのタピオカ弾は正確無比に遊翼のことを捉える。が───


「───っと!」

 遊翼は、持っていた旗を上空に投げて飛んできたタピオカ弾をキャッチする。そして、ジャグリングの要領で、タピオカ弾も上空に投げたのだった。

 そのまま、旗だけをキャッチして第一班の陣地の方へ走っていく遊翼。


 ──もう、誰も遊翼のことは止められない。


「主役は遅れて、登場さぁぁ!」

 刹那、旗を持つ黒髪の遊翼のところへ飛来してくるのは、同じく旗を持つ黒髪の青年。

 夜宵の〈AUSアウス〉により吹き飛ばされた泡音あぶくが帰って来たのであった。が──


「──って、うおぉ!」

 かなり遠くまで吹き飛ばされたのか、泡音あぶくが飛ぶために使用していた炭酸がガス欠を起こし、そのまま泡音あぶくは失墜する。


「俺達の勝ち、だ!」

 そのまま、他の追随も妨害も許さずに走り抜け、晴れて第一班の陣地に第二班の旗を届けたのは、新進気鋭の【中毒者ホリッカー】、操神遊翼(あやがみゆうすけ)であった。




 ───東奔西走旗取り合戦。勝者は、第一班。




 ***



 同刻、茨城県某所廃病院。

 その最上階にある女の園に足を運んだのは、これまた〈ANTIDOTE〉の女性の2人。

 水無月怜と皇律は、多くの女性を侍らせる未だ10歳の「毒裁社」の幹部七星北斗ななほしほくとの姿を見て、言葉を詰まらせる。


「おいおい、どうして驚いてんだ?『毒裁社』の幹部である僕がここにいるからか?それとも、毒裁社の幹部である僕がまだ10歳の子どもだったからか?」

 嘲笑と紫煙を口の中から吐き出す七星北斗ななほしほくとは、2人を品定めするような目で見る。


「──水無月。すまない。私の〈AUSアウス〉は現行法に則っている。少年法がある今、私の能力では七星北斗ななほしほくとを取り締まることはできない」

 少年法がある以上、七星北斗ななほしほくとを捕まえることは不可能だ。


「さぁ、警察さん。僕と取引だ。僕を捕まえるか、僕を殺すか。選択肢は、2つに0つだぜ」

 ゲスな笑みを浮かべ、近くにいた女性とキスをして濃厚な受動喫煙を行う七星北斗ななほしほくと


 法律で裁くことのできない怪物は、煙草の煙が蔓延する空気の中で跳梁跋扈する。

 誰も、七星北斗ななほしほくとを止められるものはいない。





 

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