第11話 潜入任務

「いやぁ、無事に協力を取りつけられてよかったね」


 長く空虚な通路を、水無月は歩く。


 ここは東京警察病院に併設された研究棟。

 世間一般には秘匿にされている、【中毒者ホリッカー】専門の研究施設である。水無月と辛木はそんな場所に、公安部の刑事ではなくいち【中毒者ホリッカー】として足を踏み入れていた。


「これでひとまず、遊翼君と錦ちゃんの任務は安泰だ。『彼』のサポートがあれば、大体のことは何とかなるだろうからね」 


「……良かったんすか。謹慎中に」


「良かったも何も、大事な部下のために如何なる時もバックアップを請け負うのが、上司の役目ってものだろう? それに、〈JAILジェイル〉との取引自体は何も咎められるようなことじゃあない」


 

 白い部屋——否、「監獄」の横を水無月は通り過ぎる。

 


 彼女らのいる地下三階に隔離・収容されているのは、比較的中毒ホリック症状の軽い【中毒者ホリッカー】たちだ。それでも毒暴走アポトーシスの可能性をその身に孕む彼らは、時に公安の協力者としてのみ施設外部での行動を許されている。


 公安第五課〈ANTIDOTEアンチドート〉の下部組織、〈JAILジェイル〉のメンバーとして。


「いくら謹慎中とはいえ……あの子たちのために、できることはやっておきたいんだ。わかるだろう、辛木君」


「……謹慎中くらい休んだらいいじゃないっすか」


「そういう君もね」


 軽口を叩き合いながら、二人は警視庁本部に戻るべくエレベーターを目指していた。両脇に並んだ小さな部屋には、強化ガラス越しに各々の「中毒」にのめり込む【中毒者ホリッカー】たちの姿がうかがえる。


 と、そんな二人の前に現れたのは。

 

 

「——よう、奇遇だな。お二人さん」



 後ろでまとめられた黒髪に、伸びた顎髭。

 ダンディかつアンニュイな雰囲気を纏うその男性は、白衣に片手を突っ込んだまま水無月たちの前に現れた。もう片方の手には一本のフォークが握られており、照明を反射して鈍く輝いている。


 水無月は少しばかり顔をしかめて、


「……ご無沙汰してます。毒嶌どくしま先生」


 水無月の挨拶に、毒嶌と呼ばれた男は「おう」と短く返した。


 彼の名は毒嶌どくしま淳一朗じゅんいちろう

 日本における【中毒者ホリッカー】研究の第一人者にして——その正体は、【中毒者ホリッカー】研究に対して異常なまでの情熱と心血を注ぐ「【中毒者ホリッカー】の【中毒者ホリッカー】」である。


「最近はお前らも忙しそうだな」


「ええ、まあそれなりに——」


 水無月は何気なく視線を逸らし、彼の手元のフォークに目をやった。毒嶌と呼ばれた男はそれに気づき、指で少しフォークを傾けてみせる。


「今はフォークの【中毒者ホリッカー】について調べててな。これもその一環だ」


肉叉笹宗にくさささむねか? そいつなら今、うちで捜査を受け持ってるが……」


「ほう、そうだったか。それじゃあお前らは……っと、ああ、例の件で謹慎中だったか。すまない、悪気はなかったんだ」


 毒嶌はそう言ってフォークを懐に仕舞うと、近くの自販機で缶コーヒーを買い、プルタブを引き起こした。気だるげな目でそれを一口啜ると、彼は静かに口を開く。


「例のいぬいはるかの件……あれはまさしくイレギュラーだ。本来なら、お前らの対応の遅さが責められるような事態じゃなかったハズだ」

 

「……というと?」


共鳴レゾナンス現象——言うなれば、【中毒者ホリッカー】同士の相互作用だな。捜査開始時点では、乾遥が単体で毒暴走アポトーシスを起こす可能性は極めて低かった。だがあの学校には、同じく【中毒者ホリッカー】である操神あやがみ遊翼ゆうすけが居た……。ジャグリングにのめり込む彼に共感を覚えた彼女の中毒ホリック係数が急激に上昇した結果、偶発的に毒暴走アポトーシスが起きた。ざっとそんな所だろう」


 淡々とそれだけを語り、毒嶌はコーヒーを飲んだ。

 しかしその後に訪れた沈黙を破るように、辛木は、


「それで、あんたは結局何が言いたいんだ?」


「? そりゃあ——」


「あの件は本当は俺たちのミスなんかじゃなく、すべては操神あやがみがあの場にいたことが原因だった。だからこの件の責任はあいつにある……とでも俺たちに言いたいのか?」

 

「辛木君」


 言葉でまくし立てる辛木を、水無月が手で制す。

 水無月は至って冷静に、毒嶌を見てこう言った。


「お気遣いには感謝しますが……例の件については、私たちの方ですでに整理がついています。いくらあなたの高尚な仮説で飾り立てようと、過去は過去でしかないんです。慰めなら要りません」


「……そうか。そうだな。すまん、悪い癖だ」

 

 頭を掻き、毒嶌はコーヒー缶を捨てた。

 そして水無月たちの去り際、


「水無月」


 そう彼女を呼び止めて、彼女の持つ黒い傘を見た。

 

 

「まだ、そんな傘を使ってるのか?」



 水無月が振り返る。

 彼女は薄い笑みを浮かべ、言った。


「ええ。大事に使っていれば、意外と壊れないんですよ」




        ◇◇◇




 ことの発端は、三日前。


 金属加工業者の代表取締役を務める金坂かねさかあきらという男が自宅マンションで刺殺され、死亡しているのが発見された。犯人は現在もわかっておらず、凶器と見られるフォークすら見つかっていない。


 犯人の候補として捜査一課が洗い出したのは、五人の周辺人物。ただその中に、妙な人物がいるということで俺たち〈ANTIDOTEアンチドート〉に依頼が回ってきた——というのが現在に至るまでの経緯だ。


 その男の名は、肉叉笹宗にくさささむね

 フォークの【中毒者ホリッカー】の嫌疑がかけられている男だ。


 


(マジで大丈夫なのかよ、今回……)


 流れゆく景色に、ただ不安だけが煽られる。

 俺は乗富のりとみさんの運転する車に揺られながら、錦ちゃんとともに現場へ向かっていた。と言っても、当の錦ちゃんは隣のシートでぐっすりと眠っているのだが。


(殺人容疑のかかってる【中毒者ホリッカー】の確保なんて、俺たち子供だけでなんとかなるのか……? いや、水無月さんのことだから何かしら意図はある筈……)


 今回の任務内容は、カトラリー工場で働く肉叉笹宗にくさささむねとの接触と証拠が揃い次第の逮捕。そして——それに伴う、工場内への潜入だ。明らかに子供だけで遂行できる内容ではないが、逆に子供だけの方が怪しまれなかったりするのだろうか。

 

 こうして思考を回している間にも、現場は少しずつ近づいてくる。

 と、不安に駆られる俺に気付いたのか、


「……何か、ご心配ですかな?」

 

 ルームミラー越しに、乗富さんが訊ねてきた。

 しばらく沈黙が続いていたので、俺ははっと我にかえる。


「はい、まあ……任務のことで少し」

 

「はは。操神さんは今回が初任務ですからね。不安に思うのも仕方のないことでしょう」

 

 笑い事じゃないんだけど、と心の中で反発する。

 すると乗富さんは言葉をついで、


「ですが、今回はお仲間の力を信じてみるというのはいかがでしょうか。お隣の蛇ノ目さんは長らくこの部隊での任務を請け負っておりますし、こういった隠密行動では失敗知らずですから」


「でも……」


 女の子、しかも年下の少女ひとりをそこまで信頼しきっていいものなのかと、俺は隣にいた彼女を見る。


 

 しかし視界に飛び込んできたのは、一匹の蛇だった。



「——うああああああああああああ!?」

 

 思わず座席から跳ね上がった。

 錦ちゃんの細い左腕は一匹の蛇に姿を変え、俺の方に舌を伸ばしている。もちろんそれはパペットの類ではなく、正真正銘本物の蛇だ。


「しゃー」


 半開きな目を細め、錦ちゃんは無邪気に俺をからかってみせる。この「変身」もやはり……彼女のAUSのうりょくだったりするのだろうか。


「びっくりした……」


「ゆうすけ、面白い」

 

「はっは。気に入られたようですな」


 肝は冷えたが、まあこれも彼女なりの親愛(?)のサインと受け取っておくことにする。というか、俺はまだ錦ちゃんについて知らないことが多すぎるのだ。


 と、乗富さんは話題を変えて、


「そういえば……今回捜査対象になっている【中毒者ホリッカー】も、蛇ノ目さんと同じ『変化へんげ』のAUSアウスの持ち主でしたな」

 

「……変化?」


「ええ。中毒対象に体の一部または全体を変化させることのできる、基本的なAUSアウスのケースですよ。その意味では今回の【中毒者ホリッカー】は、系統的に蛇ノ目さんに近いかもしれません」


「ん、なかま」

 

 そういうことも有り得るのか、と感心しつつ、俺は手元の被疑者情報に今一度目を落とす。肉叉笹宗にくさささむねのAUSについての項目には、たしかにこう記されていた。



 

 AUS(推定):【指先をフォークに変える能力】



 

 

 

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