第9話 適性試験・急

 初め、俺にとって日焼けは「手段」だった。


 日焼けして筋肉をつければ、何もしなくても女が寄ってくる。男らしい男を欲する女どもの需要に応える「手段」として、俺は日サロに通って肌を焼き、ジムで体を鍛えた。


 当然金は馬鹿にならない程かかったが、自分好みの女を抱くための「手段」であるそれらは別に苦ではなかった。自分の体が仕上がっていくのは気分がいいし、周りの貧弱な男共を見ればそれだけで優越感に浸れる。


 男らしい体。色気のある体。

 女どもの好きな体は、次第に俺の好きな体にもなっていく。

 

 肌を黒くしたい。紫外線を浴びたい。

 

 ——日焼けが、したい。



『悪いおふくろ、ちょっと金貸してくれ』



 バイトはしていた。でも金が足りない。

 金は足りないが、日焼けはしたい。


 俺の日焼けに対する想いはやがて執着になり、俺自身にも止められない強烈な衝動になっていった。もともと「手段」だったはずの日焼けが、「目的」に成り代わっていたことに気づいた時には——すべてが遅すぎた。


『晴くん、また日サロ行ったの? 今月何回目?』


『うるせえな。俺の勝手だろ!』


 金遣いの荒さから、女とは長続きしなくなった。本来デート代にでも使っている金で——ましてや親に借りている金で——俺は日サロに通い続けていたのだ。振られても仕方がない。


 ……が。


『最近の晴ちゃんさぁ、ちょっと黒すぎよ? 流木みたいな顔してんじゃん。あたしもっと色白系の方が好きかなー』


 ふざけるな。俺のこの肌が気に食わないだと?

 お前にはこの色気がわからないのか? 俺はわざわざ、お前らみたいな肉欲に飢えた女の好みに合わせてやってるんだぞ? 


『焼けた男が好きって言ったのはお前だろうが!』


『そーだけどさー。今はあたしの好みじゃないってゆーか』


『——ッ、ふざけんじゃねぇ! クソ女!!』


 気づいたら手が出ていた。

 俺は彼女の顔を、少し強めに殴った。


 そう、



『…………は?』



 殺すつもりなんて、一切なかった。

 これでも、女相手には力加減は弁えている。

 そう思っていたからこそ、俺は戦慄した。


っ……た……』

 

 俺の殴った彼女の左顔面からは、ありえない量の血が流れていた。髪で隠れて全貌はよく見えなかったが、少なくとも顔の骨は何本か折れていただろう。


 それに何より、拳に感触が残っていた。

 彼女の顔面を打ち砕いた時の、生々しい感触が。


『あぁ……ああああ……っ!!』


 自分の拳が、まるで鈍器にでもなったみたいだった。鍛え上げたこの体の過剰なまでの「硬さ」は、もう明らかに筋肉によるそれじゃなくなっていた。


 俺のこの拳は、簡単に人を殺せてしまう。


『ざっけんなよ……ちくしょう!!』


 急に自分の体が怖くなって、逃げ出した。


 俺はもう、普通の人間じゃないっていうのか。

 これは日焼けにのめり込んだ俺に課せられた、神様の罰だっていうのか。ふざけんな。ふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんなふざけんな。


 

『俺が、何したっていうんだよ……!!』

 



         ◇◇◇




「動くんじゃねぇ! 下手な真似したらこの女を殴り殺すぞ!!」


 天喰を片腕で捕らえた三宅晴道が、一層声を張り上げる。彼の体格と〈AUSアウス〉を考慮すれば、人質にとられた天喰が死ぬ可能性は十分に有り得る状況だ。


(最悪の状況だな……)

  

 相手が【中毒者ホリッカー】ということで一応覚悟はしていたことだが、それでもやはり素人の俺一人で対処するには手に余りすぎる。今はただ、興奮状態の三宅を刺激しないように努めることしかできない。


 というかこれ、一応適性試験中だよな……?


「ハハッ……下手に動かねぇ方がいいぜ、刑事さんよぉ」


「刑事……?」


「さっき自分で言ったろうが。お前、ずいぶん若いが公安警察とやらの関係者なんだろ? その役目で罪を犯した俺を逮捕しに来た……そんなとこだろ? なぁ!?」


「……」


「俺は絶対に捕まらねぇ!! あれはただの事故だ、俺はただ……日焼け好きな普通の大学生だったんだよ!!」


 震えた声で三宅は叫ぶ。

 この様子だと、罪に問われている「交際女性への傷害容疑」も完全に故意のものというわけでもないのかもしれない。おおかた能力を制御出来なかったことが原因だろう。


「あんた自身の事情は、よく知らないが……」


 視線をずらして、天喰の顔を見る。

 三宅の腕力に若干怯んではいるが、決して「予想外」といったふうな表情ではない。適性試験とやらはまだ続いているようだ。


 ……いや、むしろここからが本番なのか?


「潔く罪を認めてお縄についた方が、身のためってもんじゃないのか?」


「うるせぇ! ガキのくせに刑事ぶりやがって!!」


 適当に言葉を継いで注意を逸らしつつ、腰のあたりに差した折りたたみナイフに後ろ手で触れる。万が一のために水無月さんが渡してくれたものだ。


 実銃は、残念ながら貰えなかったが——今はこいつでなんとかするしかない。



「——俺は刑事じゃねぇよ。筋肉野郎」



 バタフライナイフを開刃し、俺はすかさず三宅の懐へと飛び込んだ。突進した俺への反応が遅れた三宅は、予想通りナイフの刃の一点を注視している。


 だから、俺はそこでナイフを


「——!?」

  

 三宅の視線が、一瞬上へ誘い込まれる。

 その隙に俺は胸ポケットに挿していたボールペンを引き抜き、奴の脇腹めがけて思いっきり突き刺した。


「——ってぇ!?」


かてぇ……!)


 硬化のAUSのせいか深くは刺さらなかったが——今はこれでいい。この囮で一瞬でも三宅を怯ませられれば、「本命」が当たりやすくなる。


「天喰、避けろ!」


 投げ上げたナイフをその場でキャッチし、横一線にいだ。

 刃を避けようとした三宅が、仰け反って体勢を崩す。


 天喰を抱える腕の力が、わずかに緩んだ。

 

「今だ! 天喰!!」


「わかってる!」


 自力で三宅の腕を解き、天喰は素早い身のこなしで脱出する。人質のいなくなった今、三宅に俺たちを脅す手段はない。天喰を後ろに下がらせ、ひとまずナイフで牽制する。


「ふ、ふはは……やはりやりおるな、我が友よ。さすが我が見込んだだけのことはある……」


 お馴染みの厨二病口調の天喰だったが、その表情に余裕はなかった。荒事には慣れているようだが、流石に肝を冷やしたのだろうか。

 

「無理するな……御託はいらない。それよりこれ、どうやったら試験クリアなんだ? 流石にあいつの命まで奪えなんて言わないよな?」


「ああ。奴を大人しく署まで連行する——それが今の私たちの目的だ」


「……了解」


 目標に変わりはない。

 だが……本当に俺一人で、奴を押さえこめるのか?



「——テメェ……マジでイカれてんな」


 

 脇腹を押さえた三宅が、俺を睨む。

 

「こっちの脅しも無視して突っ込んできやがって……その女はテメェの仲間じゃねぇのかよ!?」


「んな事あんたに関係ないだろ。俺は合理的な判断を下したまでだ。それに——」


 険しい顔で両腕を震わせる三宅を見て、俺は確信していた。口では虚勢を張っていたようだが、彼はおそらく——


 

「あんた、本当はもう誰も傷つけたくないんだろ?」



 三宅がわかりやすく目を見開く。

 やはりそうだ。俺の目から見ても、彼は自分の意思で人を殴り殺せるような人間じゃない。彼自身が言うようにただの「日焼けが好きな大学生」だ。


「俺もあんたと同じだ。ただまっすぐにジャグリングを愛していただけなのに、俺はいつの間にかジャグリングの【中毒者ホリッカー】なんて言われるようになってた。まだ分からないことだらけだけど……俺は自分の好きなことで、他人を傷つけたくないと思ってる」


「チッ、知ったような口を……!」


「俺は、この力で人を傷つけるくらいなら……人の役に立つことに使いたい。一生危険人物として独房に閉じ込められるよりもその方が絶対——合理的だと思う」


「……」


「あんたはどうなんだ? 三宅晴道」


 俺は、と小さく呟き、三宅は押し黙る。

 結局は感情論にはなってしまったが、時間稼ぎにはなったようだ。乾遥のように〈毒暴走アポトーシス〉でも起こされたら、体格差もあっておそらく俺の手には負えない。これで折れてくれ——と切に願った。


 と、そんな沈黙を破るように現れたのは。



「晴道? どうしたんだい、あんた……」

 

 

 俺たちのいた庭に顔を出したのは、三宅の母親と見られる女性だった。脇腹からわずかに血を流す彼の姿を見て、何事かと言った様子で狼狽えている。


 まずい……人質奪還のためとはいえ、力づくでやりすぎたか。


「っ……すみません、これは——」


「いや、いい」


 意外にも三宅が遮るように口を開いた。

 俺たちの横を通り過ぎた彼は、母親の前に立ち覚悟を決めた表情で語り始める。


 

「悪い、おふくろ。俺……」



 

        ◇◇◇




 それから俺達は、警察車両に乗り込む三宅の背中を見送った。

 

 大人しく手錠をかけられた後、三宅は一切の抵抗なく警官たちの指示に従ったのだ。涙ながらに何度も母親に謝罪をしていたのが、やけに印象的だった。


「……なんか、あっさり片付いたな」

 

 彼の母親への説明も終え、俺は呆然と呟いた。

 場合によってはもっと激しい戦闘になることも覚悟していたから、なんだか拍子抜けした気分だ。まあ、あの拳でボコボコにされなかっただけ良かったのだが。


「私たちの仕事なんて、大体こんなもんだよ。ほとんどの【中毒者ホリッカー】は、自分のもつAUSに気づかないまま社会に紛れ込んでる。【中毒者ホリッカー】同士で戦闘になるなんてことは……本当に稀だからね」


 金の髪をなびかせながら、天喰は懐から「ココアシガレット」と書かれた小箱を取り出した。何だか〈ANTIDOTE〉の人たちは皆何かしら食ってる気がするが——


「天喰、お前……普通に喋れたんだな」


「は!? 何それ、先輩わたしのこと馬鹿にしてる!?」

 

「いや、別に……」


「侮辱罪で−50点ね」


「はぁ!?」


 まずい。まだ試験の途中だったか。

 というか、試験の目標は達成できたはずなんだが……?


「でも、まあ……」


 ココアシガレットを口から離し、天喰はふっと微笑む。


ANTIDOTEアンチドート所属の【中毒者ホリッカー】として働く心構えは十分ってことで……最後に慈悲深い先輩から+200点」


「……それって」

 

「ん、ばっちり合格。早く帰るよ」


 そうあっさり言い切って、天喰は歩き出した。

 なんだか色々あった気がするが、これで結果オーライか。


「ククク……改めて歓迎するぞ盟友よ! ようこそ我らが変人の魔窟へ!」


「結局戻るのかよ」

 

 いまだに付き合い方の分からない天喰に翻弄されつつ、行きと同じく乗富さんの運転する車に乗り込んだ。警視庁到着までのささやかな夏の夕景を眺めながら、俺は想像以上の達成感に浸っていた。


 これが、本当の第一歩だ。

 俺が「好きに生きる」ための——第一歩。

 



 

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