第7話 適性試験・序
七月某日。
乾遥が起こした事件の、翌日。
適性試験を明日に控えた俺は、水無月さんたちに言われるがまま様々な検査にかけられていた。身長や体重など基本的な身体測定の他、心電図や体力測定、果てには精神鑑定のようなものまで……色々。
俺が暴走の可能性を秘めた【
まあ、こんな日々を過ごすことのないように適性試験を通らねば——という気にはなったが。
「おう、ひと通り終わったか。ご苦労さん」
検査を終えた俺を適当に労ったのは、タバスコの瓶を手にした辛木さんだった。昨日あれだけカレーにぶち込んだというのに、まだタバスコの備蓄があるらしい。どっから出てるんだその金は。
「今のところ体に異常はなさそうだな。健康体なこった。……お前も飲むか?」
「体に異常をきたしたくないので遠慮します」
「ハッ、冗談だよ冗談」
冗談でもごめんだ、と内心うんざりしつつ。
久々に自由時間ができたので、ここで少し心残りを片付けておこうと思う。
「辛木さん、」
「ん?」
「電話って、今借りられますか?」
・・・
電話のコール音が、耳元で静かに響く。
受話器に耳を当てたまま、俺は何度か深く息を吸って気持ちを整えていた。というのも、学校の一件から彼ら——両親とは、一切連絡が取れていなかったからだ。
「……ああ、母さん?」
通話が始まり、第一声俺はそう呼びかけた。受話器の向こうで微かに息を呑む音が聞こえる。この時間なら母さんは家にいると思ってかけたが、どうやらビンゴだったようだ。
「遊翼? 遊翼なの?」
畳み掛けるような母さんの声が、受話器越しに飛び込んできた。この様子だと相当心配をかけてしまっているようだ。
「遊翼だよ。心配かけてごめん、母さん」
「っ……怪我は? 本当に怪我はしてないのね? 学校から連絡があったけれど……遊翼、あなた本当に今無事なのよね?」
「無事だよ。今は警察の人と一緒にいる」
「そう? なら、いいのだけど……」
俺の声を聞いて安心したのか、母さんの深いため息が受話器の向こうできこえた。放任主義な父と違って、母さんは過保護とも言うべきほどの心配性なのだ。
「昨日警察の人が来て、色々聞かされたわ。遊翼……あなた、ホリッカー?……になったんですって? その話は本当なの?」
「ああ、うん。本当。ジャグリングの【
「そう……」
落胆とも納得ともとれない声が、微かに耳に届く。
何もかもが唐突すぎて、俺もこれ以上は母さんを納得させる術を持っていない。父さんにも、このことが知られたらなんて言われるか。
「……ごめん、母さん」
罪悪感に押し潰されて出てきたのは、そんな言葉だった。
「これまでずっと、父さんみたいな医者になるために頑張ってきたのに……俺は、その期待を裏切るような真似をして……。それにジャグリングなんて、母さんたちから見たらただの——」
「どうして、遊翼が謝るの?」
俺の言葉を遮るように、母さんは言った。
「どうしてって……だって、俺が今するべきなのは勉強だろ? なのに俺は、ジャグリングなんて合理的じゃないことに熱中して、母さんたちの期待を裏切って——!」
「落ち着きなさい、遊翼。母さんは今なにも怒ってないわ」
「は……?」
「その代わり、『期待を裏切る』だなんて自罰的なことを言うのはやめなさい。そんな自責思考な子に育てた覚えはないわよ」
俺が思わず黙り込んでいると、母さんは一度間を置いて語り始めた。
「遊翼、昔からジャグリング好きだったわよね。小学校の発表会でもやったりして。懐かしいわ」
「……」
「今でも、ジャグリングは好きなの?」
「……まあ、そこそこ」
「なら、それでいいじゃない。好きなものは好きなままで結構よ」
穏やかな口調で語られる母さんの言葉に、胸の奥が
「最近の遊翼は、なんだかお父さんに似て『正しいこと』に執着する節があったわね。そういう生き方ももちろんいいけれど……もっと好きなことに真っ直ぐになってみた方が、人生楽しいんじゃないかしら?」
「それで……いいの? 母さんたちは」
「もちろんよ。これは遊翼の人生だもの」
目頭が熱くなる。視界が微かにぼやけていく。
母さんの言葉が、まさかここまで背中を押してくれるとは思わなかった。
「この際好きに生きてみなさい、遊翼。自分の気持ちのゆくままに生きて、それでも何か迷うことがあったら……いつでも連絡すること。遊翼の頼みなら、母さんたちはなんだって協力するわ」
受話器を手にしたまま、両眼から溢れたそれを手の甲で拭った。辛木さんや他の人たちに監視されている手前、声をあげて泣くことなんて許されない。
こんなにも温かな心をもった人のもとへ帰れないなんて、運命というやつは残酷だ。今さらながら、この理不尽な現実にありったけの呪いの言葉を吐きたくなる。
だが——それでも今は。
「ありがとう。母さん」
俺は好きに生きる。
自分の「好き」に真っ直ぐに、生きてやる。
「ええ。またね、遊翼」
母さんの別れの言葉に返事をして、俺は受話器を戻した。電話ボックスを出ると、警視庁で働く大人たちの奏でる喧騒が耳に帰ってくる。
あの街には、家には、戻れない。
ならせめて、好きなようにやろうじゃないか。
「よし……!」
挫けるな、操神遊翼。
お前はジャグリングを愛する【
◇
そのまた翌日。
宿舎から警視庁地下にある〈
「昨日はよく眠れたかい?」
デスクから離れた水無月さんから訊ねられる。彼女らの手元や準備の様子を見る限り、筆記テストの類でないことは確かだ。
「はい。それなりにぐっすりと」
「ふむ、それは何よりだ。じゃあ早速、試験概要の説明に入ろうか」
そう言って水無月さんは、一枚の資料が挟まれたボードを手渡してきた。資料には男の顔写真が貼り付けられており、「嫌疑者FILE.14」という一際大きなタイトルが目を引く。
俺の疑問を紐解くように、水無月さんは語り始めた。
「私たち公安第五課——通称〈
「あ、アンダースタン……」
「よし。で、確認にはなるけれど……そんな我々第五課が必要とする人材は、同じ『症状』に思い悩む同胞にして、課せられた任務に対しある程度のやる気と誠意を持って取り組める者——というのは既にお分かりだろう。そこでだ、少年。私たちはここで、その人材になりうる君に『資質』があるかどうかを見極めたい」
水無月さんの話と、ボード上の情報とを見合わせる。
なんだか回りくどいことをされている気がするが、ここまでの話を要約すると試験内容はおそらく……
「……つまり、実践形式の試験をするってことですか」
「
こんなことで褒められても別に嬉しくはないが、ひとまず試験内容がわかったのでよかった。……いや、よかったのか?
「操神君には今から、そのボードにある【
降りておいで、と水無月さんは螺旋階段の方を向いて言う。
どういうわけか、ものすごく嫌な予感がした。
「——汝よ、我を呼んだか!!」
高らかな叫び声がこだまする。
なぜかまた螺旋階段に潜んでいた彼女は、手すりを飛び越えて鮮やかに着地した。輝かしい金の髪をなびかせ、今回も厨二病全開な様子の
「——天が呼ぶ、地が呼ぶ、人が呼ぶ! 悪を倒せと我を呼ぶ! とくと聞け——我が盟友よ!! 我は現代最強にして稀代の天才幻想魔術師、天喰ナイトフ」
「あ、今回が夜宵ちゃんが試験官だからよろしくねー」
「言わせてください!! 最後まで!! ねぇ!!」
「だって長いんだもん」
この部署における天喰の扱いが未だによくわからないが、ひとまず彼女が試験官であることは間違いなさそうだ。補助監督である彼女と共に任務にあたる——というのが大まかな試験内容だろうか。
というか、今のところ不安しかないが。
「フッフッフッ……バックアップは我に任せるがいい、我が恒久の
「ああ……まだ生きてたんだな。その設定」
不安が深まるばかりだが、試験というからには全力で挑むしかない。終始厨二テンションで絡んでくる天喰とともに、俺は外に待機していた車に乗り込んだ。
◇◇◇
操神が試験へと旅立った、少し後のこと。
水無月と辛木は、地上階へと続く昇降機に乗り込んでいた。
「公安部の部長直々にお呼び出しとは……どんな用件なんだろうねぇ、辛木君」
「ンなことわざわざ聞かんでくださいよ。おおかた『乾遥事件』関連の説教でしょう。チッ、世知辛ぇ……」
「まあまあ。いつものことじゃない」
一階に到着し、彼らは重い足取りで廊下を進む。ズボンのポケットに手を突っ込んだ辛木は、しばらくして前を行く水無月にこう訊ねた。
「……適性試験、本当にあれでよかったんすか」
「ん? どうしてだい?」
「いや……試験官が天喰一人じゃあ、あいつもやりづらいでしょ。試験官役だったら他の班から人連れてきた方が……」
「私は彼女の捜査官としての能力を加味して判断したまでだよ。それに、彼女の『魔術』はいざという時にこの上なく頼りになる。心配はいらないさ」
不服そうに辛木は口を噤む。
水無月は前を見据えたまま、言葉を継いだ。
「己の中に巣食う『毒』を、いかに飼い慣らし自らの目的に役立てられるか……この点を見極める適性試験において、今の夜宵ちゃんは適任中の適任だ。それに——」
とある扉の前で、水無月は足を止める。
扉に手をかけた彼女は、そこで振り向いた。
「男の子なら、“女の子を守る”ってシチュエーションは燃えるものだろう?」
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