第2話 税込530円

 ──皮黒稜貴ひぐろりょうきは、皮黒家に産まれた長男であり、同家の希望だった。


 前回いつ切られたかわからない、鼻が隠れるほどに伸びた前髪の内側、その漆黒を映す瞳は、この世の森羅万象への冷笑を物語っていた。

 教師を、旧友を、平凡を、友情を、努力を、勝利を、純白を、異性を、同性を、神格を、日本を、外国を、洋楽を、邦楽を、運動を、才能を、勇気を、人気をその目、その顔で嗤い、自分を、異常を、漆黒を、奴隷を、悲鳴を、蹂躙を、殺戮を、絶望を、恐怖をその目、その顔を輝かせて崇拝した。

 そんな、ひねくれた彼が自分自身のことを空虚で憐れむべき人物だと評していたか。


 ──断じて否。


 皮黒稜貴ひぐろりょうきは、自らについて自信を持っていた。

 自分は有象無象とは違う。自分は、人とズレているがそれは人より優れている証拠だ──と。


 実際、偏差値65を超える県立久留井くるい学園中学校に特待生合格し、20万円の奨学金を手に入れていたことは評価するべきだ。もっとも、今は学校内の中の下の成績であり、特待生も取り消され、一般生徒と同じ教室で勉学を嘲笑しながらも留年を恐れるが故に励んでいるのだが。


 横道に逸れた話を戻し、皮黒稜貴ひぐろりょうきの人生を語ろう。

 齢17であり、現在高校2年生である皮黒稜貴ひぐろりょうきは、夜な夜なダークウェブで外国で黒人や女子供が迫害されたり、何時か何処かの内紛で捕虜となった兵士が拷問を受けるような動画を見る、自他ともに認めるグロ動画好きであった。


 自他ともに認める──というのも、皮黒稜貴ひぐろりょうきは、自らがそのような動画を見ていることを常日頃から数少ない友達に鼻高々に話しては、自らを「サイコパス」などと他人に呼ばせて喜んでいた。


 自身はサイコパスだ。自身は他人とは違う。常日頃から、そんな思考に陶酔していた皮黒稜貴ひぐろりょうきは、次第に自分より優れている人に対しても「自分は本気を出していない。本気を出せばすぐにお前なんか越せる」などという虚栄心をあたかも本当のように口にして、その詭弁を武器に生き延びていた。


 陰キャと呼ばれるグループに属する彼であったが、小説や漫画のように陽キャからいじめられることなど無かったし、それどころか陽キャに絡まれることもなかった。

 皮黒稜貴ひぐろりょうきは、陽キャのことを腹の底から馬鹿にしていたのだけれども、陽キャはそんなことを知る由もないし気にする素振りも見せない。


 そんな、皮黒稜貴ひぐろりょうきはダークウェブを探しているうちに【中毒者ホリッカー】という特殊な権能を持つ人物達を知る。

 そのサイト曰く、【中毒者ホリッカー】というのは1つの概念に対し最も熱中した人間のことであり、その【中毒者ホリッカー】と言う人物達は、特殊で特別な異能を持っているようだった。


 そして、皮黒稜貴ひぐろりょうきはこう解釈する。

 自らは、グロの【中毒者ホリッカー】であるのだと。

 毎晩のように、グロ動画を見ている自分こそがグロの【中毒者ホリッカー】に相応しい人間であるのだと。


 その特異な能力の発動の瞬間を、今か今かと待っていた。

 きっと、その権能が発動するのは、動画などではなく実際に目の前でグロいことが行われる時なのだろう──と。


 そう思っていた。そう思っていたはずなのに。



「──嫌、嫌だ。怖い、怖い!」

 皆が避難──否、死亡した教室に1人残される皮黒稜貴ひぐろりょうき


 違う。こんなのは追い求めていたグロじゃない。

 求めていたはずなのに、怖い。怖い。怖い。


 皮黒稜貴ひぐろりょうきの前にいるのは、制服を着崩し、先生にとっくにバレているメイクを怒られても尚やめない、皮黒稜貴ひぐろりょうきが腹の底からバカにしていた陽キャのギャル。

 そのギャルの手には、ギャルの身長をも超える巨大な筒が持たれてあり、周囲には首が残っていない多くの旧友の死体が転がっていた。



「死にたくない……死にたくないッ!」

 皮黒稜貴ひぐろりょうきは無様に命乞いをする。動画で見ていたようなグロとは違う。

 その胸にあるのは、言い逃れできないような恐怖。自らがずっと望んでいた恐怖。

 この日、初めて皮黒稜貴ひぐろりょうきは自らの愚かさと矮小さと無力さを知った。


 皮黒稜貴ひぐろりょうきが取り残された教室。一体、教室で何が起こったのか──。


 ◇



「起立、気を付け。礼」

「「「あざしたー」」」

「ありがとうございましたー!」

 クラス会長の挨拶が終わり、気怠げと空腹に塗れた俺達の挨拶と、そんな俺達と対照的に堅苦しく暑苦しい山岡の挨拶が教室中に響いた後、俺達はすぐに昼休みムードとなった。


 俺は、友達の滝山と松井を誘って、カフェテリアへと足を運ぶ。

 そして、日替わりメニューのエビチリを選択し、税込み530円を券売機に支払う。


 前までは税込み480円なのに、50円も値上がりしてしまった──などと、昨日も一昨日も感じた愚痴を、心の中だけにこぼし、食券と交換でエビチリが貰える列に並び、エビチリを配膳係のオバちゃんからもらう。名前は知らない。知る由もない。


 そして、俺がカフェテリアの空いている席に座ると──


「おぉ、お前。エビチリを食ってるのか。いくらだった?」

「──え」

 俺に声をかけてくるのは、燃えたぎるような赤髪を持つ筋骨隆々として長駆の男性。

 こんな男性、この学校に入学してから4年とちょっと見たことがない。不審者だろうか。

 だが、こんな奇抜で目立つ髪色の人が、こうして堂々と先生も利用できるカフェテリアにいるということは、不審者では無いということだ。


「えっと……」

「いくらだった?」

 その赤髪の男性は、出し抜けに懐からその髪に負けない程赤く染まった瓶を取り出し、その中に入った液体を口の中に流し込む。



「──血」

「じゃねぇよ、タバスコだ。いくらだったって聞いてんだよッ!」

「えぇ...」

 俺は、奇行に奇行を重ね続ける不審者に対し開いた口が塞がらない。赤髪の男性が苛立ち始めたその時──


「辛木君。生徒に迷惑をかけるんじゃない。そもそも君のその赤髪は目立つんだ。この世の黒髪が全て赤髪になっても君は構わないのか?」

「別に俺は構わねぇよ、班長殿!」


 そこに現れたのは黒のスーツに身を包み、その長い白髪を翻しながら歩く淑女であった。この女性もまた、俺はこの学校生活が始まって以降一度も見たことがなかった。


「ウチのバカが失礼したね、少年。ほら、辛木君。私達は別でご飯を食べるよ。私達には、タピオカの【中毒者ホリッカー】を保護するという職務があるんだから」

「えー、俺のエビチリがー」

 白髮の女性は、「カラキ君」と呼ばれていた赤髪の男性の耳を引っ張りながらカフェテリアの外に出ていく。


「なぁ、遊翼ゆうすけ。今の誰だ?」

「さ、さぁ...」

 俺は、カレーライスを注文していた滝山と松井の2人と合流する。

 税込み530円。俺は、「カラキ君」さんに対して、そんな言葉さえもかけることができなかった。



 そして、俺達3人はカフェテリアでいつものように昼食をとり、教室に戻ると──。


「──は?」

 そこに広がっていたのは、言葉にさえできないような酷い惨状。

 首が無い死体が教室のアチコチで倒れており、教室の壁にはクラスメイトである皮黒稜貴ひぐろりょうきが、ギャン泣きしながら同じくクラスメイトである乾遥いぬいはるか──通称はるポンに追われていた。

 はるポンの右手には、タピオカミルクティーを飲む時に使うストローが、何倍にも大きくなったかのような、身長を越えそうな筒状の棒が持たれていた。


 俺は、目の前のその光景に理解ができず、思わず吐きそうになる。

 友達の滝山と松井の2人は、「先生呼んでくる」などと言って、走っていってしまった。


 ──このまま、俺も先生を呼びにこの場から逃げてしまえば、きっと皮黒稜貴ひぐろりょうきは周りに殺されている死体のようになってしまうかもしれない。


 だが、ここで助けに行って俺が死んでしまうのも嫌だ。

 だって死んだら、ジャグリングも出来なくなる。


 ──あぁ、俺は人命とジャグリングを比べるほどに薄情なのか。

 いや、人命とジャグリングを比べられるほどにジャグリングを愛してしまっているのか。


 好きだ、好きだ。ジャグリング。

 俺は、凄惨な死体を見た時に生まれた吐き気は、もう既におさまっていた。俺のジャグリングに対する妄信的な愛が、それらを全て吹き飛ばしてくれた。


 ──その時、俺の体に迫りくる違和。


 俺の体にやってきたのは、異能か、勇気か、はたまたそれ以外の何かか。

 わからない、わからないけど、俺はここで割って入ってもすぐには死なない──そんな、気がした。


 だから、俺は動き出す。

 はるポンを、そして皮黒稜貴ひぐろりょうきを助けるために──。


————————————————————————————


執筆担当:花浅葱




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