第3話 合理的演戯

 目の前にあるすべてが、理解出来なかった。


 学校のカフェから戻って見た教室には、血の海が広がっていた。さっきまで俺のジャグリングを褒めたたえていた男子たちも、遠巻きに噂話をしていた女子たちも——皆、首を吹き飛ばされて息絶えている。


 そんな惨憺たる有様の教室に残っていたのは、クラス1のギャルを自称する女子、いぬいはるか。通称「はるポン」。そして、彼女に追われる自称「サイコパス」の皮黒ひぐろ稜貴りょうき


「や、やめ……やめてくれっ! 乾さんッ!」


「あははははは! うっさいうっさい! キモイんだよイキリオタク! お前の頭もタピオカになれぇえええ!!」


 乾はストローに似た巨大な筒を振り回し、体力のない皮黒を執拗に追い回す。皮黒もまた、乾に殺されかけているらしい。


 普通に考えて、理解できる状況ではなかった。

 明らかに現実では起こりえない「何か」が起こっている。俺も滝山と松井と同じように、誰か頼りになる大人を連れてくるのが合理的だろう。俺一人の力では、到底どうにかできる状況じゃない。


 しかし……

 俺が今一番、理解できないのは——


(あれ、俺、なんで……)


 考えるよりも先に、体がスタートを切っていた。

 狂乱状態に陥った乾の前へ躍り出るように、俺は血に染まった教室に突入する。


(なにやってんだ、俺……?)


 当然、俺は丸腰。

 もちろん、乾をなんとかできる手立てはない。父親譲りの合理的思考のもとで考えれば、こんなの自殺行為だ。


 それでも、俺が駆け出したのは。



「——どけ、皮黒!!」



 逃げ回るこいつの命が、目の前で潰えるのが怖かったから——だろうか。俺の行動のせいで、こいつが死ぬのが嫌だったからだろうか。


 ……そうなのか?


「あ、操神くん!? どうして……」


 力尽き床にへたりこもうとする皮黒を、半ばタックルのような突進で突き飛ばした。長い前髪の下、揺れる瞳で皮黒は訊ねてくるが、それすらも今は鬱陶しい。


「うるさい。それよりも皮黒、状況を教えろ。どうしてこうなった? 乾はなんであんなにおかしくなってる?」


「わ、わからない……ただ、乾さんが急にあの筒を取り出してから、みんなの頭を吸い込むみたいに引きちぎって……!」


「はぁ……?」


 やはりと言うべきか、聞いたところで理解はできない。そもそも俺がこいつを助けたこと自体、合理的な選択と言えるのか?


「そ、それでどうするの操神くん!? 僕、まだ死にたくないよ!!」


 泣き叫ぶように、無様に皮黒は喚き散らす。

 

 鬱陶しい。俺はこいつが嫌いだ。

 勉強も運動もろくにできない落ちこぼれのくせにプライドだけは高く、いつも冷笑を浮かべながら周囲の人間を見下している。典型的なクズ人間と言って差し支えないだろう。


 何故こいつだけが助かったのか、疑問でしかない。そんなこいつを助けた俺の判断も行動も、何ひとつ合理的じゃない。


「……っ、操神く」


「黙ってろ皮黒。喋るな」


 俺はどうして、こんな奴を助けたのか。

 人間として最低レベルだと思っていたこいつを、俺が——


(……いや、違うな)


 俺は別に、こいつを助けたかったんじゃない。

 血の海となった教室、転がる死体、俺に向いた乾遥の目——それらを見て、俺の脳は本能的に感じ取ったんだ。


 皮黒が死ねば、次に死ぬのは俺だと。



「俺だって、死にたくないんだよ……!!」



 握りしめた拳が震える。

 ここで死んだら、何もかも終わりだ。


 父と同じ医者になることはもちろん——ジャグリングだって、死んだら金輪際できなくなる。そんなの絶対に嫌だ。


 こんなところで、死んでたまるか。


「逃げ回ったって意味はない。どの道みんな殺されるなら……乾をここで押さえ込んで正気に戻すのが、最も合理的で最善の行動だ」


「合理的って……し、死ぬかもしれないんだよ?」


「それでも合理的なんだよ! 黙ってろ!」


 死への恐怖を振り払うように、俺は叫んだ。たしかにここで乾と対峙すれば死ぬ可能性は大いにあるが、どの道危険な目に遭うなら結果は同じだ。


 それにこれ以上、乾に罪を重ねさせる訳には——



「——ねぇ~え、何コソコソ話し合ってんの~?」



 はっとして顔を上げた。

 巨大な筒を携えた乾が、俺たちを睨んでいる。


(まだ、乾の意識があるのか……?)


 こちらに向けられた乾の眼は、両眼とも妖しく紫色の光を放っていた。普通の状態じゃないことだけは確かだ。


 けれど、彼女にはまだ言葉が通じる……。


「……おいいぬい! 何がしたいのか知らないがとりあえず落ち着け! 目ぇ覚ませ!!」


「はぁあああ何それ? アタシはただタピオカが飲みたいだけなんですけど~?」


「タピオカ……?」


「そ。ほらこれ、人間タピオカ」


 そう言って乾は、黒板近くにあった「それ」に手を置いた。今の今まで俺が気づいていなかった、「それ」に。


「……は?」


 そこにあったのは、巨大なプラスチック製のカップだった。タピオカやコーヒーを入れるような、一般的な形の容器だ。


 しかし、その中にあったのは。



「あんたたちの“頭”も、こん中に入れてあげる」

 


 黒々とした赤の液体に沈んだ、無数の頭部。

 笹部、今村、青木、一ノ瀬、山内、太田、長谷川、安藤……パッと見ただけでも、それだけの顔ぶれがいることがわかった。その中には、さっきまで俺のジャグリングを持て囃していた奴らもいた。


 死んだ。殺された。

 あいつらが、乾遥の手で。


「うっ……お"えぇえ"ええええええっ!!」


 口中、胃液の味がした。吐き気が止まらない。


「なんだよ、これ……!!」

 

 これが現実なんて、ふざけるな。

 冗談だろ。何かの夢だ、これは。


 夢で、あってくれ。


「っ、操神くん……大丈」


「——あはははははは! お話は終わり? 動けないならこっちから行くよ〜、あ、や、がっ、みっ、く〜〜〜〜〜〜〜ん!!」


 筒を手にした乾が迫り来る。

 幸い、反射的に体は動いた。


「……くそッ!」


 血に塗れた教室を、俺は乾から逃げるように転げ回る。乾を押さえ込んで正気に戻す、なんて甘い考えはいつの間にか捨てていた。命の危機が迫っている今、そんな贅沢なことは言ってられない。


 ——死。


 すぐそばまで迫った最悪の結末に、俺は戦慄していた。小学生の頃、よく学校に入り込んだ強盗を颯爽と撃退する自分を妄想していたが、現実には俺にそんな勇気はないのだと気付かされる。


 俺は、勇敢なヒーローなんかじゃない。

 

 今はただ、怖い。

 死ぬのが怖い。死にたくない。


「死ねぇええええええええええっ!!」


 筒と長い金髪を振り乱して、乾が俺を殺そうとしてくる。

 説得は通用しない。ならば今、俺がすべきなのは。


「……ッ、正気に戻れ! いぬい!!」


 逃げた先に転がっていた野球ボールを、ヤケクソ気味に乾に向かって投げつけた。コントロールは悪くなかったが、乾の体には当たらない。それでもダメもとで、俺は床に散らばった物たちを拾っては投げ続けた。


 水筒にテニスラケット、ピンポン玉。

 弁当箱にペンケース、黒板消し……


 それらは投げては弾かれ、ブーメランのように俺のもとに戻ってくる。俺は焦りを覚えながらそんな途方もない時間稼ぎを繰り返していく。


 だが、やがて俺の脳は「錯覚」し始めた。


(あれ、これって……)


 投げて、浮かべ、キャッチする。

 その一連の動作が両手でループのごとく繰り返されるたび、俺の身体を縛り付けていた恐怖が、少しずつ鳴りを潜めていく。


 俺はきっと、錯覚をしたのだ。

 くだらない錯覚を。



(——?)



 久々に自分を馬鹿だと思った。

 

 こんな命の危機が迫っている時にまで、ジャグリングを連想してしまう自分は本当に馬鹿だ。そんな自分のあまりの馬鹿らしさに、思わず乾いた笑みがこぼれてしまう。


 そうだ——これは殺し合いじゃない。

 俺一人が興じる、ジャグリングのステージだ。


 

「ははッ……はははははは!!」

 


 頬が引き攣る。歪で不恰好な笑いだ。


 でも、今はこれでいい。

 俺はこの演戯パフォーマンスで、恐怖に縛られた自分自身を騙し続ける。死ぬのが怖いなら、この状況を丸ごと舞台ステージとして楽しんでしまえばいい。


 今はただ、手を止めるな。

 俺は演戯えんぎする。この恐怖を誤魔化すために。


 

 これは、狂気的で合理的な俺だけの演戯だ。


 

「何、笑ってんのよ……ジャグリング野郎ッ!!」


 大振りな動作で、乾は極太ストローを振り下ろす。彼女の動きすらも、今となってはゆっくりに見えた。


 俺にはえる。

 舞い上がった黒板消しも、左手にもった卓球のラケットも、床に転がったテニスボールも、全部。狂気に呑まれた乾の表情や次の動作だって、ジャグリング中の俺にはお見通しだ。


「悪いな……“はるポン”」


 血溜まりに沈んでいたバットを、片手で拾い上げ。

 そのまま乾の側頭部めがけて、振りかぶった。



「——俺は今、最高に悦楽たのしいんだ」



 横薙ぎにしたバットが、乾の側頭部にヒットする。乾は低いうめき声をあげてふらついたが、ギリギリのところで持ち直して俺を睨みつけた。

 

「こん、のッ……!」


 乾が筒の先端をこちらに向ける。

 ただならぬ気配を感じた俺は飛び退いたが、その先でなぜか足がもつれ——否、滑った。


(やべッ、血が……っ!?)


 血溜まりの想定外の滑り具合に体勢を崩し、床に尻もちをつく。その間に乾は大筒で俺に照準を定め、ニタリと笑っていた。


「バイバイ、あやがみく〜ん!!」

 

 タピオカの実に似た弾丸が発射される。

 弾の直径が大きい。回避できない。


 いや、まだ諦めるな。

 最後の最後まで考えて、合理的な選択を——



 

「——《アマノモリ》、防壁展開」



 

 聞き慣れない声がした。

 

 いや、でもどこかで聞いたような声だ。


「……え?」


 おそるおそる目を開けると、そこにはすらりとした黒のシルエットがあった。コートのような上着が、窓から入った風に静かにはためいている。


 白髪の女性が手にしていたのは——「傘」。

 前方に向かって開かれた、黒い傘だった。


「時間稼ぎ、もとい捜査への協力感謝する。助かったよ」

 

 見覚えのあるスーツの女性は、薄い微笑を湛えて振り向く。

 俺はその澄んだ青の瞳に、否応なく釘付けにされた。



「怪我はないかい? 少年」





 

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