襲撃事件・表(Ⅰ)
トバイアスは苛立っていた。予定されている入場時刻が近づいているのに、オリヴィアの見舞いに行ったユリアーナが戻ってこないためだった。
「あの女、収穫祭の意義を理解していないのか?」
実りを喜ぶ儀式であると共に、各国に豊穣を示すものでもある。各国から大使も多く来ていて、建国祭に次ぐ重大な式典だった。
「全く......どうせ仮病だろうに」
王位継承権第一位の姫が体調を崩したのは、収穫祭の宴の初日だ。朝から具合が悪そうにしていたが、とうとう熱が出たとのことで、この4日間部屋に籠っている。しかし実際は、マーガレットがちやほやされるのを見たくないだけだろうとトバイアスは思っていた。
苛立ちながらもう一度懐中時計に目を落とした時だ。来た、とジェレミーが呟く。顔を上げると、ユリアーナがユージンにエスコートされてこちらに来ていた。最近流行りの、体のラインを見せない独特のドレスを着ている。
「遅いぞ」
「ごめんなさい、ジェレミー」
「入るぞ」
先頭に立つのは、年長のトバイアスだ。しかし、ユリアーナはユージンから手を離さない。ユージンも驚いていた。トバイアスは眉を顰める。3人の国王の間に序列はなく、第一、第二、第三の呼び名も年齢順ではあるが、ユージンだけはその父の身分ゆえ下に見られることが多い。トバイアスの隣でなければ、品位を疑われるかもしれないのに。
――ユリアーナの評価など、どうでもいいが。
そう思い、トバイアスは足を踏み出す。衛兵が慌てて扉を開けた。
「国王陛下、王妃殿下のご入場!」
高らかな声と共に扉が開く。会場に入り、玉座に座って定例句を述べると、程なくして音楽が流れ始めた。大ホールで貴族たちが優雅にダンスを踊る。
「わたくしたちは、知り合いに挨拶をしてくるわ」
「好きにしろ」
連れ立って歩いていくユリアーナとユージンから視線を外す。
「――トビー。ジェレミー」
「マーガレット」
臨月の腹を抱え、マーガレットがこちらに着ていた。ふたりは慌てて玉座から降りる。
「あまり無理をするな。収穫祭の宴とはいえ、休んだって構わないんだから」
「まあ、そんなこと出来ないわ。収穫祭は主に感謝を捧げる式典。欠席なんて、いけないことよね――あ、違うのよ、オリヴィア姫さまに怒っているんじゃないわ」
「分かっているさ」
「姫さまのご容体は? すごく悪いんでしょう?」
「どうせ仮病だろう」
トバイアスが吐き捨てると、マーガレットは悲しそうに眉根を寄せた。
「そんな.......収穫祭をなんだと思っていらっしゃるのかしら。心配だわ、姫さまが理解されていないなんて......」
周りの男たちが大きく頷き、追従する。
「全くですよ」「姫たる自覚がないと見える」「それに比べてマーガレットの素晴らしさときたら」「マーガレットのようにきちんと理解している方の方がよっぽど上に立つ資格がある」
「もう、みんな大袈裟よ。仕方ないわ、オリヴィア姫さまは幼いんだし。これから理解されたらいいのよ」
「はは、マーガレットは謙虚だなぁ!」
「おじさま!」「父上」
響いた野太い声の持ち主は、マーガレットの第一夫・フェリックスの父親だ。
「マーガレットは幼い時からきちんと道理を理解していたぞ。こんなに賢い子は他にいなかった!」
「もう、おじさまったら」
「父上の言うことにも頷けるな。可愛くて賢い僕の妻は、世界で一番だよ」
「フェリックスまで!」
マーガレットは頬を染める。その仕草で、数人が胸を押さえた。可愛い。だが、その可愛さは一生自分のものにならない――トバイアスも、どこか苦い思いを抱いてそれを眺める。
「あれ、アナだわ」
「ほんとうだ。
見ると、ユリアーナがユージンと一緒にスペンサー公爵に何事か話していた。
「どうしたのかしら。スペンサー公爵は賢い方だから、きっとアナは困っているわ」
「割って入るのは非礼――聞いちゃいないな」
やれやれ、とジェレミーは肩を竦め、マーガレットを追いかけた。
「アナ!」
「グリーンハルシュ嬢、上位者の会話に口を挟まないように」
「あっ、スペンサー公爵さま、ごめんなさい! 気を付けますね! じゃ、アナは連れていきます」
ユリアーナはマーガレットの腕を振りほどいた。マーガレットは翡翠の瞳に涙を浮かべる。それを見て、マーガレットの夫たちが殺気を放った。
「アナ! ひどいわ!」
「無闇にあなたに触れると、あなたの夫が激怒するでしょう」
「フェリックスたちが? 大丈夫よ、わたしから言っておくから! ね、安心して?」
ユージンはそっとユリアーナの手を握る。小声の会話の中でふたりして笑みを零した。普段の微笑みとはどこか違う笑みに、周囲の人々は目を奪われる。
「ね、アナ、何をお話していたの?」
「大したことではないわ」
「そう? 困ったらいつでもわたしを頼ってね!」
「そう」
マーガレットは積極的にユリアーナに話題を振ったが、ユリアーナの返事は短い。話術に長けていないとしても、あんまりだろう。ウォルポール侯爵の煽りに、気づいているのかいないのか。
そろそろ引き離すか、と思った時だった。悲鳴が響いた。侵入者だ、と声が上がる。見ると、ナイフを持った給仕が走ってきていた。トバイアスは咄嗟に、マーガレットを守り、声を張り上げる。それは他の男も同じだった。
「マーガレットを守れ!」
一本の矢が、ユリアーナの腕に刺さった。ユリアーナは衝撃で倒れ込むが、トバイアスは悲鳴を上げるマーガレットの側を離れなかった。一本くらい大したことはあるまい、そう思ったからだ。
「フェリックス、お腹が、お腹が.......」
マーガレットの弱弱しい訴えに、トバイアスは血の気が引いた。
――破水か!
「マーガレットに王医を!」
悲鳴が錯綜する。トバイアスはただ医師の早い到着を待つことしかできなかった。
「マーガレットを救え!」
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