第六夜(Ⅱ)
ウォルポール侯爵が帰った後、すぐにマーガレットが訪れた。ユリアーナの自害の原因を知ったらしく、マーガレットは咽び泣いた。
「どうして......! 罪を抱えていても、懺悔すれば主はお許しくださったでしょうに! どうして二度も主を裏切ったの!」
ジェレミーがマーガレットを慰めるが、きっと睨みつけられた。
「ジェレミー! あなたたちは、アナの罪を知って、罪の償いを助けなければならなかったのに! どうして!」
「言われなかったんだからしょうがないじゃないか!」
「......そうね。わたしにも、教えてくれなかったんだわ」
マーガレットは涙にくれる瞳でトバイアスを見上げた。
「どうしましょう、トビー。わたし、どうしてアナの救いになれなかったのかしら」
「仕方ない。メグのせいではない。ユリアーナが救いを拒んだのだから」
「そうだけれど......あぁ、おじさまがすぐに教えてくだされば! アナに早く引導を渡せていたら、違ったのかしら」
「仮定の話をしても仕方ないよ。そんなに泣いたら、体に障るよ」
フェリックスが宥めると、マーガレットは頷いた。
「そう......そうね。アナは偽りでも王妃として頑張っていたのだもの。わたしも、頑張らなくては」
「引き受けてくれるのか!」
「ええ。オリヴィア姫様が成人するまではね」
「......そうか」
でも、とマーガレットは言う。
「アナとオリヴィア姫様って、仲がよくなかったかしら? わたし、アナが死んだと知らせを受けてから、一度もオリヴィア姫様の涙を見たことがない気がして......」
「......確かにそうだな」
オリヴィアは従姉であり義姉のユリアーナの死に対し、淡々とした態度を貫いている。
「上辺の関係だったのかしら。だとしたらアナが可哀想だわ」
「可哀想?」
ジェレミーが眉を顰める。一体何がだ、とその表情が語っていた。
「生まれを偽って、心を許せる人もいなかったなんて、あんまりにも哀れだわ。わたしももっと、気遣えばよかった」
「マーガレット」
「それとも、オリヴィア姫様には人の心がないのかしら? 慕っていたように見せかけていただけなの? 怖いわ……あんな方が王妃の位を継ぐのも、ちょっと心配ね」
「姫のことを気にする必要はない。マーガレットは自分のことだけを考えてくれ。マーガレットを王妃に、と望む者がどれだけいるか」
「嬉しいけれど、すぐに位を降りなくちゃならないから、少し残念だわ。オリヴィア姫様が成人しなければ、みんなの期待を叶えられるのに」
「はは、そうだな。まぁ、今は無事に子を生むことが第一だ」
「そうね」
マーガレットは慈愛に満ちた表情で己の腹を撫でる。
「あぁ、可哀想なアナ。我が子を失ってしまって、どれほど悲しかったでしょう」
「気にすることはないさ」
「……罪の血筋が繋がれなかっただけよかった、と思うことにするわ」
「その通りだ」
再び涙を流し始めたマーガレットを宥め、体に障るからと帰っていくフェリックスたちを見送る。入れ替わりでやってきたのはウォルポール侯爵だ。
「陛下にお伝えするのを忘れていたことがあり、参上いたしました」
「何だろうか」
「上王には気をつけていただきたいのです、陛下」
「侯爵!」
侯爵が尊称を付けずに上王と呼んだので、トバイアスはギョッとした。
「令息時代から、人の話は聞かないし、ありもしないことを適当に並べ立てるような輩であったのですよ。双子だからと自分は言っていない、としらばっくれて」
「なんと」
「今回の件でも明らかでしょうな? 特に、王太后さまのためなら、どんな手段も厭わないはずです。我々が亡き王妃の出生に気づいたと知れば、抹殺してくるやも。フィーラン公やスペン……ともかく、その辺りにも注意が必要でしょう」
途中まで出かけた父の名前は無視する。
「マーガレットは?」
「ご安心を、既に拙めが騎士を配備しておりますぞ」
「よかった……」
トバイアスは胸を撫で下ろす。
「しかし、マーガレットを長く王妃に据えようとしていることがわかれば何をしてくるか分かりませんのでな。くれぐれも気をつけてくだされ」
「助言感謝する」
「臣下として当然のことでございますれば」
ウォルポール侯爵は恭しく一礼した。
「ところで、ユージン陛下はどちらに?」
「あぁ、謎の黒髪の人物について調べているらしい。男であれど王家の人間なら捨て置けないと言っていた」
「あきれるほどまじめですなぁ」
「それしか取り柄がないからな」
異父兄に対するジェレミーの批評は辛辣だ。
「あぁ、そういえばユージン陛下は父君が平民でしたか。必死になるのも道理ですなぁ。この先行く当てがあるのやら」
侮辱とも捉えられる言い方だが、事実なので何も言わなかった。
「お二方は今後どうされるので? ユージン陛下ではあるまいし、まだまだ活躍できましょうぞ」
「どこかに婿入りできれば、と考えているが……なかなか難しいところだな。何せ元とはいえ国王だ」
「ふぅむ。良家の令嬢は大体婚約してしまっていますしなぁ……監視も兼ねて、オリヴィア姫と婚約してもいいのではありませんかな?」
冗談ですぞ、と笑いながら侯爵は言う。トバイアスは流石に面食らって苦笑いをするに留めた。
「それでは失礼致します」
ウォルポール侯爵が出ていくと、ふたりは手持ち無沙汰になった。
「明後日の準備はユージンが終わらせてくれたし......月の間の鍵探しと遺体探しくらいしか、やることがないな」
日の差さない部屋の太陽。女のいない部屋の女王、という意味になる文章だが、もうその一節だけでも意味がわからない。扉を壊して新しく作ってしまえばいいのでは、と思い始める始末だ。
遺体探しに関しても、もう諦めている。昨日の話を聞く前までは、近衛兵を動員していたが、もとよりその地位に就くべきでなかった女の遺体がどうなろうと、どうでもいい。
「部屋でも回るか? どうせ暇だし」
「それもありだな」
さて何をするか、と考えあぐねていると、衛兵が慌てて入室を求めてきた。怪訝に思いながらも許可を出したトバイアスは絶句する。
「......教皇聖下が王都にいるだと?」
***
「わざわざお越しになられずともよかったのだが」
「そういうわけには参りませんでしょう」
王都の宿屋の一室である。王宮への来訪要請を教皇は「然るべき時に」と言って迂遠に断り、トバイアスが足を運ぶことになった。ジェレミーが不在なのは、国王ひとりで構わない、と告げられたためである。仁義なきじゃんけんの結果だ。
「ただの里帰り、陛下の手を煩わせる必要はないと再三申し付けたのだが」
教皇カーラ・ゾアは、クレスウェル王国の侯爵家の出――正確には、マーガレットの伯母だ。紫の瞳を持ちながら、成人を目前にして聖職者の道を歩み始め、史上最年少の31歳で教皇の位に就いた女傑。深紅の髪をひとつに緩く束ねて気だるげに椅子に腰かける姿は、場末の宿屋にはあまりにも不釣り合いだった。
「それで、こちらには何の御用か?」
「教皇聖下がお越しなのですから、歓待しないわけには参りませんでしょう」
王妃の自害という爆弾を隠しているせいもあって、急ではあったが幾つか高級な品を見繕ってきた。従者が恭しく箱を差し出すが、結構だ、と教皇は首を振る。
「ささやかなものです、どうぞお受け取り下さい」
「何、私は里帰りついでに用事を済ませるだけだ。王宮には近く顔を出す故、歓待はその時にお願いしよう」
「用事......?」
「然るべき時に明らかとなる」
教皇は愉快そうに瞳を細める。
「然るべき時、というのは、何のことでしょう」
「あの子が用意した舞台で、道化が踊る時」
「は?」
「こちらの話だ」
教皇は笑って答えなかった。
「あぁそう、パトリックとパーシヴァルも来ているはずだ。あやつらは王宮にいるのではないか」
それは誰だと言いかけて、トバイアスは目を見開く。
「――上王陛下が?」
***
「ジェレミー!」
「兄さん。遅かったな」
「上王陛下は?」
「既に部屋に入られた」
「そう、か......何か仰っていたか」
「いや、とくには......あぁでも、月の間の鍵の場所を教えてくださったから、従者に整理に向かわせた」
「何!? わかったのか!?」
「あぁ。合議室の宝座だ」
トバイアスは虚を突かれた。
「それが、女のいない部屋の太陽、か?」
「の、ようだな」
「意味がわからん」
ジェレミーは肩を竦めた。
「それにしても......上王陛下はいらしたのに、王太后殿下はお出でになっていないのだな」
「の、ようだな」
「教皇聖下とは仲が良いと聞いていたが、どこまで事実なのやら」
権力者とのコネを偽装していたのなら、問題だ。
「まあ、いいんじゃないか」
「え?」
「どうせ俺たちには、大して関係のない話だ」
「それはそうだが......」
「メグの課題は終わり、月の間の鍵も見つけた。明日に向けて体を休めるのが最善だろ」
「そう、だな」
「じゃ、俺は先に居室に戻る」
「あ、あぁ」
ひとり執務室に残されたトバイアスは、ぐるりと部屋を見回した。
「ここも、明日からはフェリックスたちのものになるのか」
国王として、国の頂にいた――それももう、終わる。
それは、ユリアーナの死よりも、余程哀しいことだと思った。
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