第六夜(Ⅰ)


翌日、太陽が中天を過ぎた頃。国王三人は謁見室にいた。既に流産の件は伝えたが、二人とも反応が薄かった。ジェレミーは眉を顰めて「言われなきゃ分からねえ」と言い、ユージンはやはり「終わったことですから」と言った。自分だけが大騒ぎをしているようで、トバイアスは何だか微妙な心地である。


「召命に従い、参上いたしました」

「面を上げよ」


ウォルポール侯爵は顔を上げない。どころか、額ずいたまま動かない。


「侯爵」

「ウェンリーより聞き及びました。我が罪を問われるおつもりなのでしょう」

「……その通りだ」

「王家の使者を偽ったこと、またそれによって知った真実を隠していたこと、伏してお詫び申し上げます。この罪は命で償う覚悟です。が、どうか息子と孫には温情を」

「まずは事情を聞かせてくれないか」

「……はい」


ウォルポール侯爵は語り始めた。





話は一年と少し前に遡る。

その日は王妃・ユリアーナの生誕祭だった。


「あぁ、疲れた」


ひとりで庭園に出て、巨体を伸ばす。久方ぶりの宴で、早くも疲れてしまった。


「……うん?」


その時、輝くものが茂みの向こうを横切った。何やら気にかかり、後をつけることにする。


「あれは……」


そこにいたのは、主役であるはずの王妃だった。いつものようにマーガレットが注目を浴びているから、嫌になったのだろうか――しかし、隣にいる男に、見覚えがない。

男は黒い髪に、見慣れぬ衣装を着ていた。王妃は目を細め、楽しげだった。よもや間男かーと更に近づいて、耳にした言葉で驚愕した。


「今日はわざわざありがとう、お兄様」

「何、妹の誕生日を祝うくらい、大したことではないさ」

「大したことよ」


二人は移動していったが、侯爵は身じろぎひとつしなかった。

――あれは誰だ? お兄様?

王妃に兄はいない。東の隣国・シェルヴィーの王女の婿となったふたりの従兄を慕い、オリヴィアと共にお兄様、と呼んではいたが、二人の髪色はあかがね色。黒髪ではない。となると、父方だろうか? だが、髪の色も目の色も違う。


「……調べる必要がありそうだな」


それから侯爵は、密かに調べを始めた。


若い者は知らないことだが、ユリアーナの父親は奴隷だと目されている。王太后・ジュディスが婚姻の祝いにと献上され、唯一買った者。鮮やかな銀の髪を持つ美しい青年は、しかし、半年も経たずして姿を消した。その後間もなく婚礼式が行われた。婚礼式から一年ほど王太后は表に出てこなかったが、王太后は普段から宴を嫌っていたので、誰もそれを疑問に思わなかった。懐妊・出産があったためと後で理解されたが……偽装の可能性もある。詰め物をすれば、妊娠を装うこともできるし、医師の診断書など適当に書かせてしまえばいいのだ。


手始めに、侯爵は当時王太后に仕えていた使用人に話を聞いたが、上王のどちらかが付きっきりで世話をしていたため、詳しいことは分からないという。しかし、料理人に聞いたところでは、料理の好みが変わったことは確かなようなので、悪阻つわりだったのかもしれない。実際に妃医ひいも、妊娠の経過を記録したと、何の疑いもなく話した。


妊娠したことは確かだろう、とこの時点でウォルポール侯爵は考えた。出産もとどこおりなく済んだとして、では、その子供は育ったのだろうか? 幼児の死亡率は下がったとはいえ、死ぬ子供がいないわけではない。


そこで侯爵は北の離宮を探ろうとしたが、その為には証書が必要だった。どうしたものかと考えあぐねていた頃に、襲撃事件が起き、国王の印璽付きの謝罪文が送られてきた。

ふと、やってはいけないことが頭をよぎった。頭を振ってその考えを打ち消したが、次第に我慢ならなくなった。


「くれぐれも気取られぬように」


従者にそう言い含めて、偽の印璽付きの証書を持たせ、離宮を調査させた。

その結果、北の離宮は、長らく人が住んだ痕跡がないことが判明した―――




「……拙めの説明は、以上になります」

「ま、待て! 人が住んだ形跡がないだと!? では、どこにユリアーナはいたというのだ!」

「拙の考えですが、恐らく、王太后さまがお生みになった姫君ー若君かもしれませんがー、すぐに亡くなられたのでしょうな。上王陛下がそれを隠すため、北の離宮に行かせたと偽りを言い、王太后さまもそれを信じてしまわれた。そして上王陛下は、銀髪の者とオリヴィア姫の父君を番わせたか、亡き太上后さまの隠し子をお探しになったのでしょうな」

「そんな……」


動揺を隠せないトバイアスと対照的に、二人の弟の様子は変わらない。


「……公表はしなくてもよいかと。既に妃殿下はないわけですしな」

「そう、だな……」

「この罪に関する処罰は、如何様にも」

「いや、いい。真実を教えてくれたこと、感謝する」


二人の弟はやはり、トバイアスの独断にも反応しない。


「お二方は、宜しいのですかな?」

「構わない」「兄さんに任せる」

「ありがたく」


トバイアスは深く溜息をついた。

ユリアーナの流産を知って動揺し、嘆いたが、次代を担う子でないのなら、そこまで大したことでもなかった。


「――拙めの考えですが、もしかしたら、王妃殿下は良心の呵責に耐え切れずに亡くなったのではないでしょうかな」

「それも、ありうるな……しかし、そういうことなら侯爵も早く教えてくれたら良かったのに。流産のことを聞いて嘆いた時間を返してほしいものだ」

「自分の妻の流産を嘆くのは悪いことでないでしょうぞ」

「罪の血筋が繋がれなかったんだ、寧ろ良かっただろう」


王妃としての責務は果たしていたが、それ以上のことをしなかったのも、自分の出生を理解していたからだと思えば頷ける。


「これで、メグの課題は終わったな……」


安堵して息を吐くと、ウォルポール侯爵が声を潜めて言った。


「率直に申し上げます。陛下は、オリヴィア姫とマーガレットについて、どうお考えですかな?」

「それは......」

「――王位継承について、是非を問うまでもないでしょう」

「ユージン」

「オリヴィア姫は王太后殿下の姪であり、養女として育てられた姫。かたやグリーンハルシュ嬢は、4代前の王妃の血を引く一侯爵令嬢に過ぎない」

「血筋の話はどうでも良いのですよ、ユージン陛下。資質について、お三方のお考えをお聴したく」


こほん、と侯爵はひとつ咳ばらいをして、声を潜めた。


「拙めは、マーガレットが誰よりも王妃の位に相応しいと思うのです」


思わず頷きそうになるのをトバイアスは堪えた。ユージンは涼しい顔で紅茶を啜り、ジェレミーは腕組みをしたまま微動だにしない。


「マーガレットがどれほど貴族たちの支持を得ているか、ご存じでしょうな。オリヴィア姫は幼く、まだ婚約者も定まっておりません。先程の国葬の際も涙を見せておらず、冷血なのでは、と心配する貴族もおったのですぞ」


確かに、とトバイアスは心の中で思う。姉妹仲は良かったのに、オリヴィアが泣くところを、一度も見ていない。というか、マーガレット以外、誰一人としてユリアーナの死に際して泣いた者はなかった。

人望のなさが窺い知れるな、とトバイアスは嗤う。


「それに、亡き妃殿下とは違い、マーガレットは妊娠・出産の能力が示されていますしな」

「――ウォルポール侯」

「あぁ、失礼。実はマーガレットが内緒だと言いながら、妃殿下の本当の死因を教えてくれたのですよ」


トバイアスは思わず頭を抱えた。マーガレットの6人の夫の父親全員が知っていると見て間違いない。


「――王太后殿下も、亡き妃殿下の存在が明らかにされるまでは、石女うまずめと囁かれておりましたからなあ。もしかすると、お二人だけでなく、オリヴィア姫もそうである可能性も」

「ユリアーナは兎も角も、王太后殿下は違うであろう」

「.......そうでしたな」


妙に歯切れが悪い。問い質そうとしたところで、ユージンがティーカップを置いた。


「ユリアーナが不妊であるという根拠もなく、またオリヴィア姫が不妊であるかどうかはまだ分からぬこと。要らぬ心配をしても仕方なかろう」

「おお、おお、そうですな。失礼しました――つまるところ、ユージン陛下はオリヴィア姫に血統を戻すことに否やはないのですな?」

「国の象徴たる王妃が、血筋ではなく実力で選ばれるのならば、貴族制度の崩壊に繋がりかねないことは、想像に容易いのでは?」


それも一理ある、とトバイアスは思う。だが—―


「――マーガレットは別だろう。民も、マーガレットを支持すると思うぞ」

まさしくそこなのです、陛下」


男女差別をしない王妃。そんな夢物語のような王妃に心酔しない者がどれほどいるだろう。


「オリヴィア姫に血統を戻すのは、惜しいとは思われませんか? 王妃の位に就くことを渋っていたマーガレットが、ようやくその気になってくれたのですから」

「それはそうだが......上王陛下たちがなんと仰るか......」

「簡単なことではありませんかな? 王女のいない国に、オリヴィア姫を嫁がせてしまえば」

「水を差すようで申し訳ないが、王位継承権第二位は、現状ラトクリフ家のアビゲイル――我々の妹です。アビゲイルは婚約も決まっている。王妃の位を継ぐに不足はない」

「ラトクリフ家の簒奪さんだつ、などと囁かれなければいいですがな」

「侯爵!」

「おっと失礼、口が滑りました」


ウォルポール侯爵と、トバイアスの実父であり、ユージンの養父であるスペンサー公爵は仲が悪い。


「ともかく、どうにかしてマーガットをその気にさせて、位に長く就いてもらいたいのです。お力添えいただけませんかな?」

「私はお断りする」

「残念です」

「……好きにしたらいい。俺は中立とさせてもらう」


トバイアスは躊躇いがちにユージンに視線を投げるが、兄上のご随意に、と言葉を返された。


「......できる限りならば、力になりたいと思う」

「おお! 陛下にご助力いただけるのならば、百人力ですな」


ありがたく、と侯爵は頭を下げた。


「あぁ、それにしても、自害などされるのならば、一年前の襲撃で命を落としていてもなんら変わりなかったでしょうな。陛下たちの苦労が偲ばれますなあ」


ユージンが制止するかと思ったが、何も言わない。それで気をよくしたのか、侯爵はぺらぺらと口を軽くする。


「マーガレットの下に遣わされた宮医きゅういたちも、不測の事態で不満気でしたしなあ。あぁそうだ、マーガレットが王妃になった暁には、あの時マーガレットの治療を拒否した医師を皆罷免せねば。陛下も依存ありませんでしょうな? 見目麗しい者は、マーガレットの側に置いておいてもいいかもしれませんが。それにしても、1年経ってこうして亡くなってしまわれるなら、暗殺者たちも死に損ですなあ。あのくらい下賤な者であれば、亡き殿下と話もあったでしょうに」

「――侯爵。執務が残っているので、私はここで失礼する」

「おや、失礼しました。拙めの話は興ざめでしたかな?」

「卿の話に興を覚えたことはないゆえ、心配せずともよい」

「ユージン!」


ウォルポール侯爵の頬が僅かに引きつる。


「――兄上もジェレミーも、執務をお忘れなきよう。それでは失礼」


ユージンが辞して暫くして、トバイアスとジェレミーも部屋から退出した。


「ジェレミー、お前は賛同しないのか?」

「さてな」


ジェレミーは視線を彷徨わせる。


「マーガレットを宝座につけたとて、何か変わるだろうか」

「変わるだろう。マーガレットは性別で人を蔑むことはないのだ」

「一時の変化に何の意味がある? マーガレットは法を改正できるわけではない」

「そ、それはそうだが……」

「それをやるのは、男だ。マーガレットが宝座に腰掛けて踊ってくれるならば、俺はマーガレットを王妃にする。それだけの話だ」


俺は部屋に寄ってから帰る、とジェレミーは角を左に曲がっていく。


「……難しい、な」


確かに、一時の変化は大きな改革にはならないだろう。しかし、マーガレットなら、何とかしてしまうのではないか。

そんな幻想を抱くことを、トバイアスはやめられなかった。


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