第五夜(Ⅱ)


「兄上、こちら簪についての調書です」

「あぁ、すまないな」


孤児院から帰ると、ユージンが商会で得たという調書を渡してきた。ざっと目を通していくうちに、眉根が寄った。


「これは虚偽だろう。華胥との交易に貢献したのはマーガレットだ」


ユージンは肩を竦める。


「ですがそのような証拠品もあるとなれば、否定はできませんよ」

「だが……」

「ユリアーナがグリーンハルシュ嬢に先んじていることがあったとておかしくはないでしょう」


調書には、ユリアーナがマーガレットに先んじて華胥國との交渉に一役買っていたことが記されていた。第三次貿易協定の署名に、ユリアーナのものがある――第一次と第二次は、王太后のものだ。


「……そう、だろうか」

「完璧というものはないのですよ、兄上。それにほら、ユリアーナの生父は東の大陸出身だとかいう話もあるではないですか」

「ユリアーナの生父、か……」


言い淀んだからだろうか、ユージンは眉を寄せた。


「何か気になることでもございましたか?」

「いや……うむ。そうだな」

「もしや、血統について不審をお持ちなのですか?」


トバイアスは言葉に詰まった。正にその通りだった。

理由は不明だが、王妃を母か祖母に持つ者でなければ、瞳に紫は現れない。実際、3代前の王妃を祖母に持つスペンサー公爵夫人トバイアスらの母や、4代前の王妃を祖母に持つグリーンハルシュ侯爵夫人マーガレットの母は紫眼だが、その子らは誰一人紫眼を持たないのだ。

だが、逆に言えば、王太后の子でなくても、その条件さえ満たせば紫眼は現れる。時の王妃の気紛れで位を与えられなかった王子が歴史上存在する以上、可能性はないとは言い切れなかった。


「……ウォルポール侯爵が何故北の離宮を調べたのか、疑問でな」

「明日には来るでしょう。悩むなら、その後に致しましょう」

「それは、そうだが……」


考え込むトバイアスの耳に、医師のおとないが告げられた。


「では、私は調査に。夜には戻ります」

「分かった」


トバイアスは応接間へと、ユージンは外へと、慌ただしく出ていった。ひとり残されたジェレミーは、ふぅ、と息をついて窓の外を見遣った。小鳥は王宮の主の憂鬱を知らず、長閑のどかさえずっていた。




「――筆頭妃医ひいギルベルト・ウィンザーが国王陛下にお目見えいたします」

「妃医見習い、カイル・ウィンザーが国王陛下にお目見えいたします」

「面を上げよ」


ユリアーナの主治医と彼の弟子は淡々と礼を捧げた。カイルはギルベルトの養子で、もとは平民である。2年前に、初めて門戸を平民にも開いた医師免許試験で首位で合格し、ユリアーナ付きの医師見習いに抜擢された。


「ユリアーナは1年程前、医師を頻繁に召していたと聞く。何か病だったのか」

「如何な陛下といえど、王妃殿下の病状を明かすことは出来ませぬ」

「なにゆえ」

「医療典範に明記されておりますことゆえ。カイル」


ギルベルトが弟子の名を呼ぶと、弟子は抑揚のない声でそらんじた。


「医療典範第二章第一節第三条第一項。王妃の病状については王妃にのみ知らせ、王妃の許可を得た場合のみ国王及びその他貴族、国民に周知する」

「……だが既に王妃はない、何を躊躇うことがある」


ふたりは、他の妃医と共にユリアーナの遺体を確認している。


「わたくしめに医療典範を破れという仰せですかな」

「そうではない!」

「ならば診断書をご覧になれば宜かろう。王妃殿下がどこで管理していたか、わしは存じ上げませんが」


診断書の管理場所が問題なのだ、とは口が裂けても言えない。

侍従に聞き取り調査をしたところ、診断書は月の間に――今のところ開かずの間となっている月の間で管理されているのだ。


「ウィンザー。そなたもよく分かっているだろう。ユリアーナの自殺の原因を調べなくては、我々は前に進めぬのだ」


その瞬間、吐息に似た笑い声が溢れた。トバイアスが鼻白んでそちらを見ると、失礼咳が、とカイルはのたまう。


「何がおかしいのだ」

「おかしいなどとは申しておりませぬ」

「では今の声の意味は」

「声に意味などございましょうか」

「笑ったであろう!」

「咳でございます」

「亡き王妃の診断書は見つからなかったのだ、死因がそこに隠れているとして、それを知るのはそなたらだけなのだ!」


トバイアスが言い切った瞬間、室内に沈黙が落ちた。老医師は何かを堪えるように目を瞑り、医師見習いの瞳が鋭さを増した。


「――では、申し上げましょう」


老医師に伝えられたユリアーナの『病』に、トバイアスは言葉を失った。


「妊娠、だと?」






トバイアスは執務室に戻り、ぐるぐると考え込んでいた。ジェレミーはどこかに行っているようだ。


「1年前に、妊娠......」


妊娠して、流産した。端的に告げられた言葉に、偽りはないように思われた。時期はご自分でお考えください、と頑として答えなかったが。


「いつだ.......?」


正直な話、ユリアーナと床を共にした夜の記憶は混濁している。あまり覚えていないのだ。


誕生祭6月には、妊娠していた」


ユリアーナは、昨年の夏頃、宴を中座することが多かった。体のラインを見せないような独特の衣装が流行り始めたのも、その頃だ。マーガレットが、発案者は誰かしら、と絶賛していた記憶がある。9月の収穫祭は国の威儀のためと長時間出席していた――そこまで考えて、体中から血が弾いていくような心地がした。


「あの時、流産したのか.......!?」


襲撃されたユリアーナは、一時は重体だったと、後から聞いた。マーガレットの側にいたトバイアスは、どのような容態だったのかさえ、今になっても知らない。


「そん、な――」


マーガレットは襲撃のショックで産気づいていた。だから、医師をマーガレットの側に多く置いた。ユリアーナと違い、マーガレットに矢は刺さっていなかったのに。解毒なら少数で足りるだろう、とユリアーナの下へ向かう医師を引き留めさえした。

だが、もし妊娠していたのなら。それで、子を失ったのなら。

これは、当然の帰結なのかもしれない。子を失ったことに耐えて、耐えて――1年が経とうとして、耐えきれなくなったのなら。


「私の責任だ……」


自らの専属王医をマーガレットに遣わした。ウォルポール侯爵やフェリックスたちが、兵力を盾にユージン専属王医や妃医を連れてこようとしても、黙認した。トバイアスの子だったのかもしれない。今となってはもはや、確かめようもないが。我が子だったとして、それを失わせたのは自分――その事実に、トバイアスは打ちひしがれていた。




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