第七夜(Ⅳ)

項垂れたウォルポール侯爵が取り押さえられる。護送は少し待て、と王妃が命じると、会場は静寂に包まれた。

静寂を破ったのは、ジェレミーの静かな声だ。


「俺が関与しているということは、どうやって知った」

「考えてご覧なさい。王妃の立ち位置、王宮内の見取り図、医師の配置。それら全てを知り得るのは、侯爵ではありえないわ。まして、あの宴の時、かなり厳重な警戒体制を敷いていたから、王妃の動線についての閲覧を許されたのは国王と侍従だけよ」

「侍従が漏らした可能性もあっただろう」

「侍徒が主人の意志を無視することは、勿論あるわ。けれど、決め手を見つけたのは私じゃない。ユージンよ」


異父兄弟は見つめ合った。


「――お前は二人が倒れたあの時、一瞬、ほんの僅かな時だけ、ウォルポールに向けた」

「それだけ?」

「あぁ」

「.....は、よく見てるな。平民上がりが」


吐き捨てたジェレミーに向かって、思わずトバイアスは尋ねていた。


「ジェレミー、なぜ」

「なぜ? それを兄さんが言うのか? 兄さんは何度口にした? マーガレットの方が王妃に相応しいと。兄さんは実行しなかった、俺は実行した。ただそれだけの話だ」

「つ!」

「兄さんは行いは卑怯者のすることだ。俺は自分が正しいと思ったことをした」

「ジェレミー! 人殺しなんてダメよ!」

「マーガレット。ひとつ聞きたい」

「な、なに?」


ジェレミーは凪いだ瞳でマーガレットを見つめた。


「――お前は、王妃になりたかったか?」


マーガレットは目を丸くする。


「お前はいつも優しかった。孤立するユリアーナを憐れみ、輪に入れようとしていた」

「だ、だって、可哀想じゃない。アナはいつも笑うばっかりで、お話しようとしないから」

「そうだな。お前はいつもそう言った」


だが、とジェレミーは続ける。


「――お前は同時に、ユリアーナが俺たちや公爵、官吏と話をする時、必ず割って入っていたな?」

「それは、アナがちゃんとみんなとお話できるか心配で……それに、わたしが入ると直ぐに話題変わっちゃうから、やっぱり上手くお話できてないんだって思って、ひとりでお話しないようにって」

「話題が変わるのは当たり前だろう? 俺たちとは王家の内情を、公爵や官吏とは国政の話をしていたんだから。侯爵令嬢に過ぎないお前に聞かせることなど出来やしない」

「そんな……!」

「マーガレット。お前は、分かっていてそうしていただろう?」

「え……?」


きょとんとマーガレットは首を傾げる。


「えっと、ジェレミー、何を言っているの? 分かっていたって、何を?」

「お前は王妃になりたいと酒の席で夫たちが漏らした時、困ったように笑って言ったな。アナとオリヴィア姫が生きている限り、わたしに出番はないと」

「だってそれは、そうでしょう?」

「アビゲイルを飛ばしているな?」

「だってアビーは小さいじゃない」

「そうだな。お前のそういうところが、愛おしかった」

「ジェレミー! あなたはアナの夫で」

「そして大嫌いだ」


面食らった様子のマーガレットを見て、ジェレミーは笑った。笑みを浮かべたまま、恭しく王妃に礼をとる。


「さて、下賤なる王妃陛下・・。自分の命を狙った罪人の動きを理解して放置していた貴女は、私に何をお望みでしょうか」

「わざと証拠を残したこと、その他これまで王家に尽力したことを考慮し、減刑を言い渡す。婚姻の無効の成立、王都からの追放及び王家直轄地ドゥルイット領での労役20年」

「国の最高位の女人の殺害を試みた俺を許すと? さすがは王妃陛下、お心が広くてあらっしゃる」


これには答えず、王妃は捕縛を命じた。


「元第三国王ジェレミーにくみした貴族たちの名簿はここに控えてある。また、王妃であるわたくしに対する不敬な発言は、ユージンとノアがすべて書き記して保管されている。今ここで読み上げるには数が多いけれど、心当たりのある者は多かれ少なかれ処分されると心得よ――女も男も関係ない、すべての貴族が対象である」


これに複数の貴族が青ざめる。マーガレットを声高に推して、王妃を蔑んでいた者たちが主だ。一方女性たちは、急な展開についていけず、ただ目を白黒させていた。


「あぁそうだ、トバイアス。あなたとの婚姻無効も成立しました」

「……は?」

「教皇聖下からの許可証よ。トバイアス、ジェレミー、2名との婚姻無効を認める、と」

「だからなぜだ!」

「教皇聖下のお気に召したから」

「ふざけているのか!?」

「――説明いたしましょう」

「ありがとう存じます、教皇聖下」


群衆の中から進み出たのは、中年の女だった。豊かな金の髪をまとめ上げ、嫋やかに微笑む。いつ、王宮に入ったのか。ギョッとするトバイアスに構わず教皇は告げる。


「こちらは妃殿下の婚姻証書です。誓約第一項、相手を愛すること。これに相互が反いたこと。同第二項、相手を尊重すること。トバイアス元陛下、ジェレミー元陛下におかれましては、書記官の記録において妃殿下への侮辱発言が見られたため、これに反いたと見做されます。同第三項、夫は妻を守護すること。一年前の事件で、王妃殿下を守ったといえるのはユージン陛下のみ――これらのことから、私は気に入った、のひと言を以て妃殿下に婚姻無効の証書をお渡ししました」


私からの説明は以上となります、と言って教皇は下がった。

トバイアスは二の句が告げなくなった。

反論の余地がなかった。


「おめでとう、これでようやくわたくしの夫という地位から放たれたわね」

「何を!」

「トバイアス・ラトクリフ、控えよ。不敬である」


兄弟を見ているとは思えぬ眼差しでユージンがトバイアスを見下ろす。


「……っ、ユージン、お前!」

「あらあら、国王に対する不敬罪も追加した方がよろしくて?」

「あ、アナ! どうして!?」


王妃は答えず、微笑んだ。


「そうそう、わたくし、以前から聞きたいことがあったの」

「な、なに?」

「マーガレット・ファロン。あなた、わたくしを誰と心得ていて?」


マーガレットは凍り付いた。マーガレットの夫たちがマーガレットを守るように取り囲み、鋭い目で王妃を見上げる。


「先程も言ったわよね? 無礼だと。公の場で侯爵令嬢が敬語を必要としないほど、話しかける許可を得ずに話しかけていいほど、王妃が低い存在であるなんて、わたくし、寡聞にして存じ上げないの。どこの風習なのか、教えてくださらない?」


広間は水を打ったかのように静まり返っていた。


「あ、な」

「わたくしが咎めなかった理由なら教えてあげるわ。わたくしの名前はユウリだから。アナと呼ばれようがユリアーナと呼ばれようがどうでもいいの。ユーリと呼んでいたら、今頃あなたは子爵令嬢くらいね。よかったわね、アナという呼び方にしておいて――それでも処分はあるけれど」


微笑みながら王妃は毒を吐く。よろめきながら夫に縋ったマーガレットに、更なる追い打ちをかけた。


「安心なさい、あなたを胸に抱える男も処罰対象よ」

「なっ.......!? なんで!?」

「なんで? それはもちろん、ジェレミーに与したからだけど」


こてん、とマーガレットは首を傾げる。


「悲しいかしら。悲しいわよね、そうよね。ウェンリー以外の夫全員が処罰の対象なんて、あなたには耐えられないわよね」

「えっ......!?」


信じられない、とばかりにマーガレットは目を見開く。自分を抱きしめるフェリックスを、大きな瞳で見上げた。フェリックスは笑顔を浮かべる。


「違うんだ、メグ。これは......」

「違う? 何がかしら。去年生まれたファロン家の子供の父親がグリーンハルシュ小侯爵ではないという話?」


フェリックスの笑顔が軋んだ。


「何を仰るのですか、ユリアーナ殿」

「もう王妃と呼ばないのね。まぁいいけれど」

「ユリアーナ殿、先程の発言を撤回してください。私とマーガレットを不当に貶めるものです」


あら、とユリアーナは首を傾げる。


「知らなかったのね、ごめんなさい。てっきり知っていて、実子として育てているのだと思っていたの」

「イアンは私の子です」

「それはあり得ないわ。だってあなた、子供を作る能力がないでしょう?」


マーガレットはいきり立つ。


「フェリックスになんてこというの!」

「え? 妻であるあなたが知らないわけはないわよね?」


いっそ無邪気なほどに、ユリアーナは言い放つ。


「だって、グリーンハルシュ小侯爵が子供の頃に罹った熱病の治療薬の副作用は、精子を死滅させるものだもの。子供なんてできっこないわ」

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