第七夜(Ⅲ)

「な......いきなり現れたかと思いきや、何を仰るのでしょう」


ウォルポール侯爵は笑みを引きつらせ、ジェレミーは表情を消した。


「調べはついている。1年前の9月、王妃を襲うように指示したと。グリーンハルシュ嬢が流れ矢に当たったのは災難ね。さぞや焦ったことでしょう」

「アナ、何を言っているの! おじさまがそんなことするわけないじゃない!」

「グリーンハルシュ嬢。わたくしはあなたに発言を許した覚えはなくてよ」


マーガレットは絶句した。公式の場であれど、王妃がマーガレットを咎めたことは殆どなかった。


「暗殺者を始末したと思っていたのでしょうけれど、うちひとりは瀕死のところを引き取ったわ。彼が全て吐いてくれたおかげで、調査もすぐに進んだ」

「父上、誠ですか」


血相を変えて父親に詰め寄ったのはフェリックスだ。


「なぜです! よしんばメグに王妃の位を渡したかったのだとしても、殿下の出生を奏上すれば――!」


ここでフェリックスは慌てて口を噤んだが、周囲の貴族は鋭い眼差しで王妃を見つめた。もともと血統を疑われていたためだが、貴族らの視線を受けても、王妃は面白そうに笑うばかりだ。


「良い、グリーンハルシュ小侯爵、わたくしの出生とやらを話してみなさい」

「アナ! そんなことしたら、アナが!」

「グリーンハルシュ嬢、わたくしの決定に異を唱えるか」

「っ、アナ、どうしちゃったの!? いつものアナに戻ってよ!」

「いつものアナ? 侯爵令嬢の無知に目を瞑り、無礼を許せば良いかしら?」

「無知!?」

「わたくしが発言を許す前から発言し、許した覚えのない愛称で呼ぶ。無知であったからでしょう? さもなくばただの礼儀知らずになってしまうものね」


よろめいたマーガレットをウェンリーが支える。フェリックスは叫ぶように言った。


「妃殿下は、王太后殿下の御子ではないっ!」


ざわめきが波のように広がる。王妃はただ面白そうに続きを促した。促されるままフェリックスが語ると、貴族たちは眉根を顰めた。やはり、だがしかし、と囁き声が広まる。


「わたくしの言の信用は得られないしょうね」

「アナ、認めて。主はお許しくださるわ!」

「許し? わたくしは何に対して神に許しを得なければならないのかしら?」

「アナっ......!」

「わらわはずっと怪しいと思っていたのだ!」


そこで叫んだのはトバイアスらの母だ。口から泡を飛ばして叫んでいる。


「銀の髪など見たこともない! お前のその紫の瞳など、ただの先祖返りだろう! いますぐに玉座をわらわに渡せ!」

「夫人、」

「グリーンハルシュ、気安くわらわを呼ぶな! わらわが次の玉座に座るのだ!」

「議会の決定ですよ、それにオリヴィア姫様がいらっしゃるわ!」

「なにを! お前とて、あの女と親しいはずのオリヴィアが泣かぬことを不安に思っていたではないか! 慈愛の心がないのかと!」

「それはそうでしょう! アナのことを慕っていたのに、泣かないなんて変だと思ったのよ!」

「そうだろうよ、生きているのだからな! 出生から生死から貴族たちを謀ってな!」


公爵夫人が叫ぶ。


「貴族を欺き通したお前に玉座に就く資格はない! わらわこそ、玉座にふさわしい!」

「そうね、まずわたくしは、死んだと言っていないわ」

「死体が確認されておいて、何を言う!」

「あら、ただの仮死状態よ。一時的に身体の機能を止めてから、再び開始すると言う薬の検証を頼まれていたの」

「はっ、くだらん言い訳だな」

「言い訳ではなく正式な依頼よ。皇太子からのね。あちらの国民に効くことは検証済みだけれど、他国の民に効くか不明だったから」

「皇太子? あちらの国?」


マーガレットは首を傾げ、公爵夫人は顔を顰める。


「後でまとめて説明しましょう、今はわたくしの死についてよ」

「逃げるか」

「まさか。すべて証拠はあるのだもの。逃げる必要などないわ」


公爵夫人は眉根を寄せた。


「わたくしが仮死状態になることは、手紙で伝えたはずよ。その後、検証報告のためネーベルに行くと」

「そんな手紙は......」

「わたくしが仮死状態になる半月前に従者に渡していてよ。あなた、いつも通り下に回すように言ったのでしょう? 自死と思って処理に追われている間に捨ててしまったのかしら?」

「っ!」


王妃からの手紙を急務ではないと分類していたこと、そのまま忘れていたことは事実だったので、口を閉ざした。


「少なくとも私の従者には届いていたけれど、ユーリの側にいる私の言にも価値はなさそうだね」

「ふふ、そうね」


ユージンと王妃は微笑みあう。


「――驚いたのよ、仮死状態のまま陽の間に置くようにと書いていたのに、起きたら見知らぬところにいたんですもの。隠し通路で抜け出して、手筈通りにネーベルに行くことができたけれど。不信ならば王都城門とネーベル城門に確認を取りなさい。ユーリ・レオ―ノヴァという女の記録をね」


トバイアスは目を見開いた。ユージンの報告にあった名前だ。どうでもいいと切り捨てた、女の一人旅。


「国葬はどうやって行われたというの!」

「あら、あれ空よ。確認なさい、衛兵の間に噂が広まっているはずだから。棺の中身は空ではないかと」


トバイアスはユージンを見るが、ただ微笑むだけだ。その瞬間に、ユージンの手の者以外が紛れ込んでいたことを理解する。


「それで、次はウォルポール侯爵の話をすればいいのかしら?」


ノア、と王妃は侍従の名を呼んだ。白髪の男が仮面をとる。現れたのは知らぬ顔だが、左の瞼から頬にかけて大きな傷があった。それで思い出す。襲撃の犯人が牢に捕らえられ自害したとき、この傷の男を見たことがあった。


「私は昨年の9月、ウォルポール侯爵閣下に命じられ、王妃殿下の暗殺を試みました。同輩が矢の向きを誤り、グリーンハルシュ侯爵夫人に掠ったものと記憶しています」

「妃殿下、よもやとは思いますが、そのような身元の知れない男の戯言を本気にされたわけではないでしょうな?」

「えぇ、もちろん調査はしたわ。彼が所属していた暗殺屋であなたの筆跡の依頼書の写しを見つけたわ。それとノアは、依頼書を口の裏に隠していたのよね。だから自害に失敗してしまったのだけれど、わたくしからしたら僥倖ね。そこにもあなたの署名があったのだから」


にこにこと、王妃は告げる。ウォルポール侯爵はわなわなと震えていた。


「あなたのことだもの、平民が貴族に逆らうはずもないと思ったのでしょう? 依頼遂行後に依頼書を目の前で破棄させたらしいけれど、あれは写し。万が一に備えて、原本は取っておいたのですって」

「証拠は! 拙めの筆跡を偽造していないという証拠はあるのですかな!?」

「ミック司祭、ご説明願えるかしら」

「よろしいのですか?」

「あなたを呼んだのはわたくしよ」


そこで進み出たのは、トバイアスが孤児院で見かけた司祭だ。どこにいたのだろう、気づかなかった。


「私は貧民街で司祭をしているミック・ゾーラと申します。6年前、妃殿下に――当時は王女殿下でしたが――ふたつのお仕事をいただきました。一つ目は、貧民街の子供たちに教育を施すこと。二つ目は、王都で暗殺業を営む闇商会の書記でした」

「司祭になんということを命じているのだ!」

「あら、疑問に思ったことはないの? ここ数年、貴族の不審死は激減しているわ。暗殺業を営む闇商会を突き止めたから、他に仕事を与えて、代わりに暗殺依頼をわたくしに司祭を通じて奏上するように命じたの。商会では癒着を疑われるけれど、司祭ならば疑われないでしょう?」


王妃は平然とのたまう。


「1年前の事件を防ぐことができなかったのは、王都外の暗殺屋に頼まれてしまったからね。至急そちらにも手を回したわ。暗殺業界は敵対視している分、行動も早くて。そちらも懐柔して、書類を司祭に監査するようお願いしたわ」

「承りました。そこには、ウォルポール侯爵閣下の御署名がありました」

「――今ここにその二つの闇商会の主を呼んでくることもできるけれど、皆はどう思う?」


顔面蒼白になったのは、ウォルポール侯ばかりではない。かつて政敵を陥れたことがある貴族もだ。


「っ、ああああああああ! なんなのだ貴様は! 父無し子でありながら! マーガレットの方がずっと、王妃に相応しいのに! 儂は正しいことをしたのだ!」

「正しいこと、ねえ」


王妃は首を傾げる。人形のような美しさもあいまって、逆に不気味だった。


「グリーンハルシュ嬢が王妃に相応しい理由を述べてもらいたいけれど」

「マーガレットは聡く、美しく、慈悲がある!」

「あら、ごめんなさい、その要素、わたくしもすべて持っているの」


王妃が言うと、ウォルポール侯は激昂した。


「メグと貴様ごときが比べ物になるか!」

「不敬に関しては罪に追加しておきましょう――そうね。美しいのも慈悲深いのも認めるけれど、グリーンハルシュ嬢は聡いのかしら?」

「......は?」

「グリーンハルシュ嬢は、何ができるの? 貧民街の改装計画、学校の普及、税制の改革、貿易。何か、始めたことが?」


トバイアスは眉根を顰める。今のはすべて、ノアの発案だ。


「華胥の交易は、マーガレットなくして成り立たなかった!」

「それ、どうして言われているのかしら。お母さまの代から細々と交易はあって、わたくしが貿易協定を取り決めた後で貿易を始めたのに、グリーンハルシュ嬢の功績だと思われているのがずっと不思議だったのよね。だって彼女、簪が欲しいと駄々を捏ねていただけでしょう?」

「ひどいわ、アナ! そんな風に思っていたの!?」

「事実と言ってちょうだい。それとも、第一次貿易協定書類のわたくしの署名を見せないといけないかしら」

「っ、でも貿易を始めようと頑張っていたのはフェリックスたちよ!」

「あちらで商人を見つけようと奮闘していたみたいね。見つけた商会は国が契約を結んでいる商会の子飼で、法外な値段をとっていると聞いたのだけれど、いいのかしら。国家間の貿易での方がいいものが安く手に入るのだけれど」

「「「!?」」」


首を傾げる王妃に、マーガレットたちが驚愕の表情を浮かべる。そこでトバイアスは口を開いた。


「貿易に関しては認められる。だがユリアーナ、お前があげたものはすべて、ディミトロフからの提出だ」

「あぁ、署名だけノアの名前を借りたの。公的文書で比べてごらんなさい。わたくし、一字一句偽らずに書いているから」


滑稽よね、と王妃は嗤う。


「筆跡は変えていないのに、ユリアーナ・ウィステリア・クレスウェルの提案書は目も通されずに捨てられ、ノア・ディミトロフの提案書は絶賛されるのだから」


本当に愉快だったわ、と笑みを浮かべて王妃は言った。司祭が加勢する。


「貧民街改装計画と学校普及計画に関しましては、6年前にも妃殿下にお話をお聞きしていたので、妃殿下の発案で間違いないかと。ディミトロフ殿は1年前にこちらにいらしたそうですし」


誰もが唖然として王妃を見ていた。【微笑みの王妃】と揶揄された姿は剥がれ落ち、為政者としての顔が明らかになっていく。


「6年前、だと?」

「その時いた貴族ならば覚えているのではないかしら。私の名前でその原案が提出されていたことを。あなたたちに却下されて、自費で着手せざるをえなかったのよね」


貴族のうち数人が目を見開いた。王妃は満足そうに笑う。


「わたくしの執務能力は証明されたかしら?」

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