第11話

手紙を持つ手が震えている。大粒の涙が頬に流れる。浅桜さんが幸せだと、楽しかったと言ってくれた。僕に生きてと言った。なんでこんなにも人のことを思えるのか。優しくできるのか。まるで僕の心を見透かしたような文章。今度こそ絶対にこの日々を忘れない。今でも浅桜さんのことが好きだから。あの日々が大切だから。僕は忘れないと決めたんだ。涙を拭う。もう大丈夫だ。ありがとう、浅桜さん。大好きだ。泣き腫らした目を擦りながら僕は立ち上がった。



 お葬式が終わった次の日。僕はその箱を開けていた。なにやらいくつか入っているようで一番上にあったそれを手に取った。それは栞だった。きれいな押し花の栞。いつかの浅桜さんの言葉が脳裏をよぎった。


 今日はありがとう。持ってきてくれた勿忘草、押し花にしてあげるね


そうだ。そんな約束をしていた。押し花にされていた花に見覚えがある。勿忘草だ。あのときに持っていたピンク色ともう一つ。青色があった。花言葉を調べる。青色は教えてもらわなかった。ピンク色は真実の友情。そして青色は、真実の愛、私を忘れないで。浅桜さんらしいと笑みがこぼれる

 そっと栞を机の上に置いて次のものを取り出した。紺色の細長い箱が入っていた。箱を開けるとそこには万年筆が入っていた。黒く輝く万年筆に僕の姿が少し映る。紙に書くようにして持ってみて驚いた。そこには名前が書いてあった。


  成木斗 澄人


 僕のペンネームが書かれていたのだ。浅桜さんは知っていたのか。知った上であんな行動をしていたのかと恥ずかしくなる。僕だとばれないための演技はさぞ面白かったに違いない。顔が熱い。体温が上がったのが分かる。でも、浅桜さんからの万年筆がとても嬉しい。あのときに行った雑貨屋で買ったものらしかった。そんなときから準備していてくれていたんだなと思う。


 そして最後に残されたそれを手に取る。少し分厚い本がそこにはあった。全体的には黒いがきれいな花が沢山、描かれていた。題名は……


「これは彼のアルバムです」


浅桜さんの書いた小説だ。旅行に行っていた時に題名を聞いた。それと同じなのだ。浅桜さんが書いた世界。そんなことを考えながら再度、表紙を見る。題名の下に著者名が書いてあった。僕は目を見開いて何度も確認する。



「花琉巣 杏紗」


なんで花琉巣さんの名前が書いてあるのか理解ができなかった。そしてその意味を理解したときには顔が燃えているんじゃないかと思うほどだった。僕は花琉巣さん本人の前で熱弁していたことになってしまう。それに、憧れの小説家が浅桜さんなんて。僕が成木斗澄人であることを知られていた上に本人の前でしっかりと語ってしまっていた。恥ずかしいが本人にその思いが言えたのかと思う気持ちもある。なんとも言えないが顔を手で覆う。


 花琉巣さんが浅桜さんであると気がついて初めて分かった。僕と同じなのだ。僕のペンネームの決め方が全く同じ。どうして気がつかなかったのだろう。僕の本名をローマ字で書いて並べかえると成木斗澄人になるのだ。つまりtukisiro minatoを並び替えてnarikito sumitoとなるわけだ。浅桜さんも同じでasakura suzuを並び替えてkarusu azusaとなっているんだ。確かに名前の響きが似ている。浅桜さんは全部分かっていて僕にライバルなんて言ったのだろうか。完全に僕の敗けじゃないか。そんなことを考えながら僕はページをめくり浅桜さんの最後の本を読み始めた。花琉巣さんの世界がそこには広がっていた。なぜだか安心できるような言葉の一つ一つ。暖かみのある物語、目の前で本当にそれらを見ているような感覚。溢れる涙を拭いながら一気に話を読んでいた。気がつくと本を読み初めてから三時間が経過していた。そして、物語は終わり作者である花琉巣さんのあとがきを読んでいた。

  あとがき


 今回も私の小説を手に取っていただきありがとうございます。そして、ごめんなさい。きっとこれが私にとっての最後の小説になります。私は病気と戦ってきましたが余命宣告を受けましてきっとこれが最後に書ける物語なんです。長い間応援していただいた皆様には大変申し訳なく思っております。でも、私の物語がここで皆様の中で生きています。きっとあの花のように消えることはなく覚えていてくれる人がいると思っています。私の人生はとても有意義で幸せでした。本当に長い間ありがとうございました。

 そして、最後に。この物語はある人に送る私の記憶でもあります。どうか、思い出して。私がこれまでに描いてきた世界は大切なはずです。



 そんなことが書かれていた。ある人に送る私の記憶。もしかしてと思い、本棚に向かう。そして、花琉巣さんの本を読み漁った。思考が止まらない。あの本、この本。僕は知っているんだ。かくれんぼ、ガーベラを渡した告白、あの日の事故。どうして気が付かなかったのだろうか。花琉巣さん……いや浅桜さんが書いてきた物語は僕らの記憶そのものだったんだ。僕らが同じ時間を過ごしてきた証で、浅桜さんや風倉、そして僕が過ごしてきた思い出だ。浅桜さんは忘れてしまいそうな小さな出来事も僕らのやり取りを小説と言う形で僕らに残してくれていたんだ。まだ、ちゃんと思い出せない僕のために残してくれた。今後、何十年も先でも思い出せるように。僕が知っている記憶と何ヵ所も一致するんだ。じゃあ、僕は浅桜さんの世界の中のように楽しく笑っていたのか。僕の中に無い記憶はここにあるんだ。


 なぜだか分からないが涙が止まらない。嬉しいのか、悲しいのか、何も分からないまま涙が溢れて流れ出す。浅桜さんが居なくなってしまったことはまだ、悲しくて仕方ない。でも、この小説を書いている浅桜さんはどんな気持ちだったのだろうか。自分が居なくなった後の世界を想像して、それでも僕らが生きていけるように。自分を忘れずに生きていけるように。僕と浅桜さんの約束を守れるように。

 そうだ。浅桜さんの優しさ、暖かさ、強さに泣いているんだ。本当に今までありがとう。


 大好きだ、鈴

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