第4話

勿忘草

 「もっと奥の方まで行こう」

少し太りぎみの男の子が森のなかを走っている。小学生の高学年ぐらいだ。これは夢だろうか。そして、女の子が追いかける。

「涼君、待ってよ。私はあまり走れないから」

走りながら咳をしている。涼君って風倉と同じ名前。第三者視点で子供を見ている。これって僕の記憶じゃないだろうか。夢の中のはずなのに意識がはっきりとしていた。そして、二人を追いかけて、もう一人が走ってくる。

「鈴ちゃんが待ってって言ってるだろ。風倉!」


「ツキミナ、分かったって」

ツキミナ。間違いなく僕だろう。鈴ちゃんと呼ばれているのが浅桜さんで涼君が風倉だろう。僕が忘れてしまった記憶だ。小さな僕たちが良く見える。仲が良さそうだ。真剣に三人を眺める。

「二人とも、なにして遊ぶ?走る以外でお願いね」

「かくれんぼとか?」

「いいね」

遊びはかくれんぼになったらしく、じゃんけんで鬼を決めている。浅桜さんと風倉はグーを出し僕はチョキを出していた。鬼役をするみたいだ。目を閉じて、十秒ほど数える。そしてキョロキョロと辺りを見渡して走り出した。近くの低木に向かっているようだ。浅桜さんのスカートが少し見えている。


 「鈴ちゃん、見つけた!」

勢い良く飛び出した。しかし、そこでは浅桜さんの意識はなく倒れていた。

「鈴ちゃん、大丈夫?えっと、どうしたら……」

「大きな声がしたけどどうした?」

涙目になっている小さい僕に風倉が駆け寄る。この現場を見た風倉は全部理解したようだ。

「ツキミナは浅桜を見てろ。俺は大人の人を呼んでくる」

そう言って風倉が走っていった。涙を拭って浅桜さんに声をかける。

「鈴ちゃん、大丈夫?」

「湊君……ごめんね」

浅桜さんの意識が戻ったようだ。でもまだ、はっきりしているとは言いがたいのだろう。

「鈴ちゃん!大丈夫なの?」

「うん……でも、私は……もう長くないんだって……」

泣きじゃくって、辛そうにしながら話していた。そして、意識を失っていった。


 浅桜さんはもう長くは生きられないのか。寿命が迫ってきているのだろうか。浅桜さんが生きられない。そんなはずはないと自分に言い聞かせる。色々な思考が一気に巡る。だって、今の浅桜さんは高校生だ。だから、この記憶の状態から回復したと思った。でも、さっきの記憶が鮮明によみがえる。


「……まだ、治ってなかったんだな」

「残念ながらね」


浅桜さんと風倉の会話。僕の立てた仮説が全部潰れる。僕が必死に頭を動かしていると風倉が大人を連れて戻ってきた。そこで、夢は終わり現実の意識となった。


 「浅桜さんはもう……」

そこまで言葉にしてやめた。まだ、確定した訳じゃない。でも昨日倒れたことも合わせて考えると治っていないのだと思う。自分のなかで浅桜さんの死を否定しても現実が襲ってくる。きっと頭では分かっている。分かっていてもその可能性に懸けていたい。願いたいのだ。


 少しでも気を紛らわせたいので、今日は早く学校に行こうと思う。そして、小説を書こう。


 先に来ていた風倉が話し掛けてくる。

「ツキミナ、おはよう」

「おはよう、風倉」

夢の光景がよぎる。ただの夢だと思うほど、僕の記憶なんじゃないのかと強く思う。僕の中でまとまらない答えがちらつく。

「今日は、浅桜は休みだ。体調不良だと」

「そうか」

体調不良で休み。あまり考えたくないことばかりが頭のなかを駆け巡る。本当に体が悪くて、もう会えないんじゃないか。声を聞くこともできないんじゃないか。僕が浅桜さんのことを思い出す前に消えてしまいそうで不安だ。浅桜さんは他人で、僕には関係ない人。ちょっと前まではそう思っていたのに、心と頭がざわざわして落ち着かない。

「ツキミナ、顔色悪いぞ。何かあったのか?」

「…………」

ほんの一部だけ思い出したことを言うべきだろうか。言ったらこのざわつきは落ち着くのか。僕の夢の話で終わって明日には元気な浅桜さんを見れるだろうか。いろんな事と感情の整理ができない。


「何か……思い出したのか?」

風倉が気を使って小さな声で話す。真剣な顔で迫ってくる。

「……昔の夢を少しだけ見た。それで、浅桜さんはもう…………」


言えない。言葉にしてしまったら、僕の考えていることや夢が本当になってしまいそうで言えなかった。形にしてしまったら、僕の前から浅桜さんが消えていく気がする。次の言葉を言おうとすると顔が熱くなって、視界が滲んでいく。その様子を見た風倉がため息をついた。


「そうだ。浅桜はツキミナには言うなと言ったがもう……長くない」

「僕の悪夢であってほしかったな」

「確かにな」

発する言葉に力が入らない。夢じゃなかったと確定してしまった。風倉は笑顔を作っているがその目はとても悲しそうだ。浅桜さんは、自分勝手で明るくて、笑顔が良く似合う普通の高校生だ。記憶が全部戻ったわけではないが浅桜さんと過ごしたこの数日は楽しかった。そんな彼女が死ぬなんて信じられない。


「浅桜は俺たち三人で楽しく過ごしたいと言っていた。そして約束したことを守りたいとも言った」

三人で楽しく過ごしたい。浅桜さんがそれを望むなら僕もそうしたい。今でも思い出せずにいるけど、僕にとって大切な存在だ。約束したことが僕には分からないけど僕も守りたいと思う。


「これも、浅桜が言うなと言ったが……俺の転校時期に合わせて浅桜も来たみたいなんだ。三人が再会するために」

「……そうなのか」


少し浅桜さんの言っていることが理解できた気がする。自分の死期が近づいているかもしれないから、三人で笑って過ごしたかったのだろう。なのに、僕の記憶がなくて浅桜さんのことが分からなかった。そんな思いで転校までしてきたのに。だから、僕と会ったときに平手打ちをもらう事になったのだろう。浅桜さんの気持ちを考えれば怒るだろうし理解はできる。そして、転校生が二人とも同じクラスに来たことの理由も分かる。きっと浅桜さんの事情を知った学校側が配慮をした行動だ。


 自分の席に座って今の情報を整理をしていた。受け入れたくない現実を否定するだけじゃダメなんだ。きっと後悔するから。僕にできることを必死に考えていたんだ。しかし、風倉が話し掛けてきた。


 「ツキミナ、スマホ貸して」

「えっ、何で?」

急に目の前の現実に戻された感覚があって驚いた。僕の机の上に置いてあったスマホを風倉が取る。何で僕のスマホを風倉に貸さないといけないんだろうか。

「おい!」

「いいから、いいから」

風倉が強引に僕のスマホを使う。暗証番号をつけてないので電源を入れれば使えてしまうのだ。今になって後悔する。


「成木斗 澄人《なりきと すみと》って小説家だよな。確か、次回作が期待されてる新人小説家」

調べていたサイトを消していなかった。成木斗澄人は僕のペンネームだ。僕が書いた小説の感想を書いた人がいたので気になったのだ。一人で画面に向かって書いていると自信がなくなってくるのだ。僕が成木斗澄人だと言うことはバレたくない。可能な限り自然に振る舞うようにする。


「この小説家を知ってるのか?そもそも、風倉って小説を読めるのか?」

「失礼なやつだな、読めるし。この小説家のデビュー作もしっかり読んだ。浅桜もおすすめしてくるぐらいだし有名だから知ってんだよ」

「浅桜さんが?いつごろ?」

今日は頭を使う日だな。風倉が僕の小説を読んだのか。それもデビュー作。確か、イラストレーターを目指す話だった。壁があっても夢に向かう人の物語だ。

「昨日、ツキミナをアパートで待っている時におすすめされたぞ。浅桜もデビュー作を読んだみたいだぞ」

「へー」

自然に振る舞えない。僕の小説を風倉と浅桜さんが読んでいた。その事実だけで平常心を保てない。でも、僕だとバレているわけではないと言い聞かせて落ち着かせる。

「ツキミナもこの人の小説を読むのか?」

「あっ、うん」

隠すためと言っても、自分で褒めているようで恥ずかしい。顔が熱い。赤くなっていないことを願っている間、風倉が僕のスマホを操作する。


「よし、できた」

「人のスマホで何ができたんだ?」

何かできたらしいスマホが帰ってくる。どこをさわったのか確認していく。

「連絡先の交換だよ。俺と浅桜のを入れといたから」

「勝手に入れるな」

言ってくれれば自分で入れたのに。他に何かをしていないか疑ってしまう。

「まあ、いいじゃん。これで連絡が取れるんだし」

何で、僕の周りは自分勝手な人が多いのだろう。


 そして、一日の授業が終わった。なんとなく風倉と歩いて帰る。他愛のない話をしながら歩く。男友達のいない僕としては少し楽しかった。家に帰ってお風呂に入る。その間も浅桜さんの死が頭から離れない。ご飯を食べても、小説や学校の課題をしてもそればかり考えてしまう。

「……はあ」

今日はもう寝よう。何をやっても作業に集中ができないので休もうと思う。道具を片付けてベッドに向かう。するとスマホから着信音がなった。浅桜さんからだった。


 (昨日はごめんね。私、一週間ぐらい入院になっちゃった)

入院。その文字が夢の記憶を鮮明によみがえらせる。本当に体の状態が悪いのだろう。返信を打とうとする手が止まる。風倉が教えてくれたことを知らないように振る舞うべきか迷ったからだ。確か、風倉は浅桜さんから口止めされていたのに話してくれた。だから、僕は知らない方がいいだろう。気を付けながら文字を打つ。

(入院って大丈夫?そんなに悪いのか?)

女子と連絡を取ることがなくて少し緊張する。とりあえずは、頑張ったという評価にしておこう。


(うん。もう落ち着いたんだけど一応、検査入院みたいな感じだって)

本当だろうか。浅桜さんを疑いたくはないが嘘っぽい。この状況を知らなければ納得していただろうが、今の僕には嘘に聞こえる。

(落ち着いたのなら良かった。無理はするなよ)

(湊君、もしかして心配してくれた?なら、明日お見舞いに来てよ。それらしくお花もほしいな。勿忘草《わすれなぐさ》のピンク色がいいな)


文章だけだから分からないが、浅桜さんが笑っている気がする。それも僕を面白がってからかっている顔だ。安易に想像ができてしまう。それに勿忘草という名前は聞いたことがあるがどんな花なのかピンとこない。花にはあまり詳しくはない。お見舞いに行くなら手ぶらも嫌だし買うぐらいならする。

(明日、お見舞いに行くよ。花も買っていく)

緊張するからか考えることがいっぱいあるからかは分からないが、単純な文章になったしまう。それから少しやり取りをしているうちに寝てしまったようだ。


 次の日。いつもより遅く起きてしまって焦る。一人で家の中を走りながら準備をしていた。鞄に教科書を詰めながら朝御飯を作る。口にトーストを詰め込んで家を出た。結果としてはギリギリセーフだった。遅刻寸前だった。原因は夜中まで浅桜さんと話していたことだろう。話の切り方も分からないし、次々と話が変わるのでついていくのがやっとだった。

「ツキミナ、おはよう。今日は見舞いに行くだろ?」

「ああ、行く予定だけど」

風倉の方でも話が出ていたのか。勿忘草を持ってくるように言われたのも同じなんだろう。

「ツキミナ、今は七月だよな?」

「そうだけど、どうした?」

真剣な顔で聞いてくる。少しずつ気温も暑く感じる日が増えてきたぐらいだ。学校帰りに通る川沿いはいつでも涼しいが日が出ている時間が長く感じられる。

「勿忘草って三月から六月に咲く花らしいぞ?」

そう言って調べたスマホの画面を見せてくれた。そこには淡い色の小さな花があった。勿忘草は暑さに弱く六月頃には終わるらしい。

「……マジか」

この情報が本当なら今は咲いていないのかもしれない。


 授業中も花のことを考えていた。色々な花屋さんに問い合わせたが置いていなかった。シーズンが過ぎていると言われてしまった。浅桜さんが花の種類と色まで指定してきている。何か理由やこだわりがあるのかもしれない。風倉が色々調べ、僕が電話をする。この繰り返しだった。何十件も調べたが見つからない。隣の県にある花屋さんまで調べたがダメだった。そんなことをしているうちに午前中の授業も終わり、昼休みになってしまった。


 「違う花を持っていくか?」

「……それしかないかな」

窓辺に座ってお昼ごはんを食べる。僕はジャムパン、風倉は焼きそばパン。袋を開けて食べる。

「焼きそばパンって美味しいか?パンに麺類って」

「考えた奴は天才だと思うくらいには美味しいぞ」

少し、話したら無言になる。お互い、勿忘草と浅桜さんのことを考えているのだろう。何で、勿忘草なんだろう。なんとなく、勿忘草の名前の由来を調べた。


 要約するとドイツにいた騎士と恋人の話が元になっているようだ。騎士が恋人のために川のほとりに咲いていた勿忘草を詰もうとしたが足を滑らせ川に落ちてしまった。その際に騎士が「私を忘れないで」と言って帰らぬ人となった。恋人は騎士の言葉を一生忘れず、髪に勿忘草を飾り続けた。この話が元となって勿忘草と名前がついた。


 悲しいお話が元になっているようだ。しかし、僕としては刺さる物があった。記憶がない僕。忘れてしまった人。無関係ではないような気がしてならない。浅桜さんが勿忘草と言ったのはこの話を僕に伝えたかったからではないか。そんな気がする。ジャムパンを口に突っ込みながらスマホを見ていた。すると、窓の方を見ながらパンを食べていた風倉が声を上げた。

「あっ!」

「ビックリした。どうしたんだよ」

急に大声を出すからビックリした。今まで考えていたことが一気に飛んでしまった。

「ツキミナ、あったぞ」

「いや、何が?」

ビックリしたことなどが重なって、情報の処理が追い付かない。風倉は何の話をしているんだ。少し混乱をしていると風倉が窓の外を指した。その方向には地面がある。ここは三階のため見えにくい。目を凝らしてよく見る。そこには用務員さんとプランターが見える。淡い色の小さな花が咲いていた。

「あれって……」

風倉と顔を見合わせる。同じことを考えているようだ。僕と風倉はパンを急いで口に入れ一階へと急ぐ。靴もそのままで外に出た。用務員さんを探す。僕たちの教室の場所からしてこの辺りのはずだ。見渡していると風倉の方が先に見つけ、走っていった。

「……早い」

さすが、サッカー部。足も早い。そう思いながら追いかけたが追い付かなかった。なので先に風倉が声を掛けていた。


 「すみません。その花って勿忘草ですか?」

「そうだよ。よく知っているね」

六十歳ぐらいの人の良さそうな男性だった。風倉に続けて僕が質問をする。

「少しでいいので僕たちに勿忘草をくれませんか?」

「何に使うんだい?」

用務員さんが不思議そうな顔で訪ねる。なので、僕らは一から説明した。

「なので、友達のお見舞いに持っていきたくて……」

「どうかお願いします」

ふたりで頭を下げる。花と言っても学校の備品だ。個人の都合でもらえない可能性が高い。それでも最後の可能性だ。

「そうか……持っていくといい。学校の人には秘密だ」

「ありがとうございます」

「ありがとうございます」

ふたり同時に感謝を伝えた。良かった。これで浅桜さんに勿忘草を持っていくことができそうだ。良かったと素直に思う。

「でも、今渡してしまうと枯れてしまうし帰りまでに用意しておくよ」

「ありがとうございます!」

再び感謝を言葉にする。ただ、少し疑問が残った。


 「勿忘草って六月頃には終わりますよね?もう七月ですけどまだ咲いてるものなんですか?」

「ここは川沿いの高校。そのお陰で涼しくてね。普通より長く咲いていることが多いんだよ。それでも、もう終わりが近づいているがね」

「なるほど」

気温が川によって少し下がっているのか。冷たい風もいい影響となっているのだろう。


 「何色の勿忘草を持っていくかね」

「ピンク色でお願いします……あっ」

「ピンク色でお願いします……あっ」

また、同じタイミングで話してしまった。なんか、今日はよく被ってしまう。

「ピンク色だね。了解したよ、仲のいいお二人さん」

最後にいじられてしまった。僕たちは何度もお礼を伝えて教室に戻った。花は放課後に取りに行くことになった。


 授業が始まっても浅桜さんのことを考えていた。浅桜さんと風倉と僕のことを覚えていない。そんな僕があの二人といてもいいのだろうか。ふと、不安に思う。少なくとも、僕は二人に会えて良かったと心から思っている。二人はどうなんだろう。もうすぐ、この世を去ってしまうかもしれない浅桜さんは三人で笑っていたいと願っている。風倉もその願いを叶えようとしていると。僕は、このままでいいのだろうか。二人を知らない、忘れてしまった僕でいいのだろうか。それで、浅桜さんは幸せだろうか。本当の願いなのだろうか。いつの日かに言っていた約束が思い出せない。答えのない問いを投げ続け繰り返し考えた。それでも僕の答えは見つからず、授業の終わりを告げるチャイムが鳴り強制的に思考が停止した。


 その後、急いで帰る準備をして一階に向かった。花を用務員さんのところに取りに行くのだ。昼間と同じところに行くと用務員さんがいた。

「お二人さん、花束にしておいたよ。これでどうかな?」

「おお」

「すごい」

花屋で買ったと言っても疑わないレベルできれいな花束になっていた。小さな花が咲き誇り、集まって淡いピンク色に光っているようだった。風が吹くと花が揺れてきれいだ。

「その、入院をしている子もきっと喜ぶよ」

「だといいんですけど」

花は浅桜さんが指定したが僕が持っていっていいのか不安はある。こんなこともはじめてだし、友達と言う存在が長らく無かったから自信がない。

「大丈夫だ。ツキミナが持っていくんだぞ?喜ぶ」

風倉に背中を押される。誇らしそうに笑っている。

「さあ、早く届けてあげなさい。待っていると思うぞ」

「はい。ありがとうございます」


 花束を大事に持って病院へ向かった。学校からだとバスで三十分ぐらいだ。そこから少し歩くと浅桜さんがいる病院に着く。思っていたよりも近く、花も大丈夫そうで安心した。早速、病院の窓口に向かう。浅桜さんがいる病室を聞いていなかった。

「すいません、浅桜鈴さんと面会をしたいのですが……」

「浅桜鈴さんですね。少々お待ちください」

そう言って慣れた手付きで調べている。さすがだと思う。

「浅桜さんの病室は三階にありますよ」

案内図を見せながら説明したくれた。風倉と一緒に聞く。その説明道理にエレベーターを探す。

「ここを右に行けばエレベーターだな?」

「違う。左だ」

説明を聞いていたはずだが反対に行こうとしていた。その後は無事にエレベーターに乗れたが、そんなことが続いた。

「風倉って方向音痴だったんだな」

「浅桜にも言われた。そんなに間違えてるか?」

まさかの無自覚だった。大きいと言っても病院で道を間違えるとかは方向音痴の域を越えている。やっとの思いで浅桜さんの病室の前まで来た。ここに来て少し緊張する。ノックをして返事を待つ。

「どうぞ」

音がない部屋から落ち着いた声が聞こえた。僕は静かにドアを開けて風倉と入る。そこには無機質で白い空間に浅桜さんがいた。カーテン、ベッド、床、全てが白い空間。消毒の匂いだろうか病院特有の匂いがする。浅桜さんは、入ってきたのが僕たちだと気がついて笑顔になった。予想していたよりも顔色が良さそうだ。

「本当に来てくれたんだ。嬉しい、ありがとう」

「入院したって聞いて来ないわけがないだろう」

ベッドの近くにあったイスに座る。そして花束を渡した。ほんのり甘くて優しい匂いがする。

「浅桜の注文通り、ピンク色の勿忘草だ」

「ありがとう。やっぱりきれいだね」

嬉しそうに花束を抱えている。その様子は、とても幸せそうで死んでしまいそうなんて想像はつかない。花を抱える浅桜さんの背景に病院は似合わなかった。花を渡したり、学校のことを話していた。すると風倉が一つの質問を浅桜さんに投げる。


 「そういえば、何で勿忘草を選んだんだ?」

「何でだと思う?考えてみて」

やっと質問が来たと言わんばかりに話している。その顔は何かをたくらんでいる時の顔だ。一応、僕も考えてみる。先ほど考えたこともよぎる。でも、違った場合が恥ずかしすぎる。素直に考えるなら勿忘草が好きだから。僕の中で色々な答えが出てくる。しかし、先に答えを言ったのは風倉だった。


「誕生花だろ。誕生石の花バージョンみたいな奴があったはずだ。それで、浅桜の誕生花が勿忘草なんだ。どうだ?正解か」

悔しくも風倉の説明で納得してしまった。これが正解だろうと思った。

「残念でした。惜しいけど、男の子は知らないか」

仕方ないと言った顔をしながら説明してくれた。どこか、懐かしそうにも見えた。

「正解は花言葉だよ。勿忘草のピンク色の花言葉はね、真実の友情」

僕の顔が赤くなっている気がする。真実の友情。長らく、友と呼べる存在がいなかった僕は少し取り乱してしまったんだ。でも、少し嬉しかった。それを隠そうと慌てて話す。

「何で僕らが渡したみたいになっているんだよ」

「いいじゃん。夢だったんだから」

花を貰うのが夢だったんだろうか。それとも、真実の友情の方だろうか。ふと、疑問に思った。

「浅桜、よく花言葉なんて知ってたな」

「私、昔からお花好きだしね。これくらいは分かるよ」

浅桜さんは、花が好きなのか。僕はあまり詳しくない。正直、花好きとは意外だと思ったが女の子らしいとも思った。

「あと、押し花を作るのも好きだよ」

「なんだそれ?」

風倉がさっぱり分からないといった様子だ。一応僕でも知っているが、確かに風倉は知らなさそうだ。

「花を図鑑とか重いものに挟んで栞とかにするやつだろ?」

「うん、それ」

 そんな会話をしていたらすぐに面会時間の終了を知らせる時間になった。仕方なく病室を出る。

「今日は来てくれてありがとう」

「ああ、また明日な」

「ゆっくり休めよ」

浅桜さんに挨拶をしてから帰る。病院を出て、風倉とバスに乗って真っ直ぐ帰った。


 お風呂やご飯を済ませて小説を書いていた。しかし、病院で見た浅桜さんのことが忘れられない。浅桜さんが死ぬはずがない。そんな思いが頭から離れない。

「……はあ、明日続きを書くか」

ベッドに入るとすぐに着信音が鳴った。きっと浅桜さんだ。

(今日はありがとう。持ってきてくれた勿忘草、押し花にしてあげるね)

(ありがとう。楽しみにしてる)

浅桜さんは検査入院と言っていたが心配だ。今日、見た限りは元気そうだったが本当なのか疑わしい。


 また、少しやり取りをしてから眠りについた。昨日、よりはうまく返信できた気がする。


 お見舞いに来て貰っちゃった。湊君の点数は七十点ぐらいかな。涼君は全部気づいてるけど湊君はまだまだ。勿忘草の名前の由来に気づいてくれたかな。もちろん、嬉しいけど本当はピンク色じゃなくて青色がほしいんだ。だって花言葉は、私を忘れないで、真実の愛。これは私の心を表してるみたいだし。何で、忘れちゃうの。私はずっと覚えてるのに。大切なみんなのこと。


 夜になると不安になる。皆が私のことを忘れて、私が消えてしまうことを。いなかったことになるのが怖い。私がいなくても平然と流れていきそうで嫌だ。余命宣告された。今年がその年。もう、生きられないかもしれない。生きているのが不思議だと言われたぐらいだ。日を重ねる度に体調が崩れてる。でも、絶対最後まで笑うんだ。湊君と涼君の前では泣かない。どんな最後でも。そう、決めたのに……夜が、寝るのが怖くて仕方ない。明日、ふたりの顔を見れないかもしれないから。だから、夜にスマホを開いて二人に連絡を取ってしまう。怖いよ……湊君、涼君。

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