第一話:魔法使い、誕生 ⑥

◆春風が吹く①◆

 智也は大蛇から飛んでくる攻撃に少しでも抗うために目をかたく閉じ、両腕で顔を覆った。

(……あれ?)

 智也は不思議に思った。

 どれほど待っても、衝撃が来ないのだ。

 あの大蛇は智也に襲いかかっていたのに。

 一体何が起こったのか、それを知るために智也はかたくとじた目をゆっくりと開ける。

 徐々に広がる視界に飛び込んできたのは、智也を守るように大蛇と対峙する颯の後ろ姿だった。

(……は、颯君?)

「これは一体どういう真似だ? 答えろ、【バジリスク】」

 普段の温厚で優しい口調の颯からは考えられない、怒りと荒々しさが含んだ声に智也は肩をビクリと震わせた。

「――! 何故、貴様がココに?」

「それはこっちのセリフだっての。お前こそ、どうしてココにいる?」

「ぐっ……」

 バジリスクと呼ばれた大蛇は明らかに動揺していた。

 智也に向けていた威勢は消え去りそれどころか、ブルブルと身体を震わせている。

 目の前にいる颯に襲い掛かってくる気配はない。

 まるで見えない壁に阻まれているように見えた。

 颯が掌をバジリスクに向けると、周囲に風が集まり、やがて渦になった。


【――・――!】

 

 颯が謎の言葉を呟くと、渦はバジリスクめがけて飛んで行った。

 見えない壁を抜けた瞬間、渦は風の刃となりバジリスクを攻撃するが、バジリスクの身体には小さなキズしか付かなかった。

「……やっぱり、『一人』だと厳しいな」

 颯が悔しそうにもらした言葉を、智也は聞き逃さなかった。

「颯君……?」

 智也の困惑混じりの声を聞いた颯は、くるりとまわり智也の方を見た。

「あぁ、ゴメンね」

 颯は微笑みを浮かべ、トレードマークの分厚いメガネをはずした。

「――!」

 メガネをはずした颯の顔を見て、智也は目を大きく見開いた。

 颯の顔は夢の中で何度も顔を合わせていたあの青年と全く同じだったのだ。

「え、何で……?」

 この短時間で色んなことが起こってしまったことで、智也の緊張の糸がプツリと切れてしまった。

 聞きたいことが多すぎて、言葉がうまく出てこない。


 ふわり。


 柔らかな風が智也の頬を優しく撫でるように吹き抜けていった。

 まるで心を落ち着かせるように。

 大丈夫だと諭すように。

「……」

「少し落ち着いたか?」

 バジリスクと話していた時のものとはうってかわって、いつも通りの優しい口調で颯は智也に話しかけてきた。

「う、うん……」

「良かった」

 智也は大きく深呼吸をし、少しずつ頭の中を整理し始めた。

「あの、颯君」

「どうした?」

「あの蛇のこと【バジリスク】って呼んでいたけど……知ってるの?」

「あぁ。アイツは【蛇の精霊】だ」

「え……。精、霊?」

 智也は眉をひそめながら言葉を絞り出した。

 さも当然のように颯はあの大蛇の正体を【精霊】と答えたが、この世界には魔法も精霊も存在しない。はずだ。

 颯は風の壁の向こうにいるバジリスクに目をやると、どこか腑に落ちない、納得していない顔をしてる。

「アイツは……バジリスクは普段大人しくて、争いごとは好まない性格だったんだが……あの様子から見るに、どうやら【凶暴化】してしまったようだ」

「……凶暴化?」

 颯が口を閉じ、数秒の沈黙が流れる。その様子を智也はジッと見ていた。

「ああなってしまった以上、倒す必要がある。……放っておいたら確実に、次の被害者が出てしまう」

 智也は青ざめた。

 心の底から『命をとられてしまう』と感じたあの恐怖が、他の誰かにも及ぼすと考えたら、背筋が凍り、心臓の辺りがギュッと握りつぶされる感覚に襲われる。

「そんなっ! どうしよう。何とかしないと……でもどうしたら」

 慌てふためく智也に、颯は問いかけた。

「……何とかしたい?」

 智也は颯の方を見た。

 普段の穏やかで優しい颯の表情は消え、その鋭い若草色の瞳が、智也を見つめる。

「うん」

 颯の鋭く真剣な声に智也は一瞬驚くが、その問いに智也も真剣に答える。 

「その為にはどうしても君の【力】が必要なんだって言ったら、協力してくれるかい?」

「え……俺の、力?」

 颯は小さく頭をたてに動かし、静かに答えた。

「俺と【契約】を結んで欲しい」

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