第一話:魔法使い、誕生 ⑤

◆追いかけてくる者◆

(何だよ、あの蛇……!)

 智也は恐怖で足がすくんだが、本能的にその場から逃げ出した。

 もし捕まったら、どうなるか分からない。

「逃がさんぞ!」

 大蛇は智也を追いかけてくる。

 智也は捕まらないように全速力で通学路を駆け抜ける。

 心臓の鼓動が耳の奥で爆発するように響き、呼吸は浅く途切れがちだ。足は鉛のように重く感じられる。

(どうして、何でこんなことに……)

 呼吸もどんどん早く、浅くなっていく。

 必死に足を動かすが、思うように動かない。

 智也の頭の中は「逃げなければ」と繰り返し叫び続けていた。

(これ以上は走れない……だけどこのまま止まったら、捕まってしまう!)

 限界を迎えようとしていた智也の視界に塀代わりに植えてある茂みが映る。

(ここに隠れれば……!)

 智也は茂みに飛び込むと、必死に息を殺しながら、身体を縮こまらせた。心臓が暴れるように鼓動し、全身が小刻みに震えている。

「はぁ……はぁ……」

 声が盛れないように両手で口を塞ぐ。

「どこへ行った、魔法使い……」

(ここで見つかったら……終わりだ)

 頭の中で最悪のシナリオが浮かぶ。

 もし見つかってしまったらどうなるか、想像するだけで震えが止まらない。

 智也はギュッと目をつむり、周囲の音に耳を澄ました。

「……見失ったか」

 大蛇は智也の姿を見つけることができなかったのか、シュルシュルと気管から発せされる音が徐々に遠ざかっていった。

 やがて、静寂が訪れた。

「……やったのか?」

 智也は茂みの隙間から周囲を見渡し、大蛇がいないことを確認すると、ようやく一息つくことができた。

 緊張で強張っていた体中の筋肉が緩んでいくと同時に、智也は大蛇が自分に言っていた言葉を思い出した。


『契約を交わせ。魔法使い!』


 大蛇は智也の事を【魔法使い】と呼んでいた。

 だが、智也は魔法を使うことなどできない。

 それどころか、この世界に魔法なんてものは存在しない。

「あの蛇、俺のこと【魔法使い】って呼んでた…… そんなわけない。魔法なんて、この世界に存在するはずがないのに……」

 智也は呼吸を整え、少しばかり体力を回復させた。

(さっき来た道を戻れば見つからないかも)

 誰もいないことを確認し、ゆっくりと茂みから出てさっき走ってきた道を戻るように再び走り始めた。



*********




 走り続けた智也がたどり着いたのは、昨日颯と話をした小さな公園だった。

 公園の静けさが、緊張していた心を少しだけ和らげた。

「ふぅ、逃げ切れたかな」

 智也は公園のベンチに腰を下ろし、息を整える。心臓の鼓動も少しずつ落ち着いてきた。

 ふと、智也はあることを思い出した。

(……この状況って、昨日見た夢と同じじゃないか?)

 今の状況が昨晩見た悪夢と似たような状況であることを、智也は気付いてしまった。

(もしかしてあの夢……予知夢ってやつだったのかな?)

 智也が考えを巡らせていると何もない場所にフッと、影が落ちた。

(え……)

 引いていたはずの冷や汗が、つぅっと背中に流れた。

 智也は恐る恐る上を見上げると、あの大蛇が宙に浮いていた。

 近付いてきていたことに、気が付けなかったのだ。

 大蛇が彼を見下ろし、再び不気味な声を発した。

「もう逃がさんぞ魔法使い。我と【契約】を交わせ」

「いやだ……俺は魔法使いなんかじゃないし、【契約】なんてしないっ!」

 智也は震える声で叫んだ。

 心臓が再び激しく鼓動し、全身が緊張で硬直する。

「【契約】を交わさぬと、お前を丸のみにするぞ? 良いのか?」

 大蛇は笑うよにシュルシュルと気管を鳴らした。

(怖い。怖いけど……アイツの言うことは絶対ききたくない!)

 智也の目にはうっすらと涙が浮かんでいた。

 それでも、恐怖に負けないように必死で自分を奮い立たせた。

「絶対に……いやだ!」

 智也は鋭く、大きな声で大蛇に拒否を突きつけた。

 智也の心臓が激しく脈打ち、手のひらには冷たい汗がにじむ。けれども、その中で【契約してはいけない】という強い思いが、彼の恐怖を押しのけていた。

「そうか、ならば仕方がない……」

 大蛇が怒りに満ちた目で智也を見下ろし、牙をむき出して襲い掛かってきた。

 大蛇の巨大な牙が迫る。

 逃げたいのに、足がまるで地面に縫い付けられたように動かない。

 絶望が、智也の心を黒く染めた。

 

(もうダメだ……)

 

 智也の頭の中は絶望でいっぱいだった。

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