小人
海中図書館
小人
電車の吊り手で小人が首を吊っていた。なんてことない通勤風景をくぐり抜けて電車に乗り込んだらこれだ。誰にも気づかれないようにため息をつき、小人を引っ張って遊んでいるスーツのおじさんを避けて端の方へ移動する。小人は吊り手に首をすっぽりはめてバタバタもがいているが誰も助けない。大抵は退屈そうに手元のスマホを眺めているか、もしくは小人を虐めるのに加わるかだ。
小人の近くに立っていたおばさんがおもむろにカバンから針を取り出した。それを小人の目に近づける。小人は必死で首を振り逃れようとするが顔を掴まれ叶わない。目をつむろうとしたがまぶたをおさえられた。血走った目が恐怖に震える。ぐさりと針が無慈悲に刺さった。そのまま脳を貫き後頭部からその先端をのぞかせる。甲高い小人の悲鳴を聞き何人かが失笑する。おばさんは満足そうに針をしまった。このおばさん、定期的にやっているがよく飽きないものだ。
去年小人が鉄道会社に譲渡されてから犯罪発生率は激減した。当初は愛護団体や人権団体が騒いでいたがその目覚ましい効果を見てから誰も何も言わなくなった。
小人は涙を流さないし切りつけても血が出ない。ものも食べないし言葉だって喋らない。彼らは人間ではないとされた。それならば人類のためにどう活用すべきか? たどり着いたのが年々増える犯罪の防止策、人々のストレス発散のはけ口として電車に放り込むことだった。
これは功をそうした。以前まで朝早くから電車に乗り込んでいた不機嫌そうなサラリーマンは、今ではすっきりした顔で元気いっぱいに目的駅で降りていく。通勤電車につきものだった
アナウンスが響く。次の駅を知らせて周りの乗客が動き出す。無理やり吊り手から外されて首がねじ曲がった小人が、前の女性にぐりぐりと念入りに踏みつけられた後、足元に転がってきた。小人はおびえたように僕を見上げる。涙を流せるのなら流していただろうその目を見ながらふと思い出した。そういえばこいつにチョコレートをあげたことがあったな。バレンタインということで買ったは良いもののあげる相手もおらず、自分で食うのも忍びなく、導入初日の小人にこっそりやったんだった。恋の始まりなんて知る由もない、会社と自宅を往復するだけのゾンビのような僕が出すぎたまねをしたものだ。
そんなことをぼんやり考えていると小人の目が赤く光った。見間違いかと思いよく見てみると確かに赤い。そして顔が次々に変わり始めた。金色のピアスを開けた若い男性、人のよさそうな顔のおじさん、性格のきつそうな目をした女性、かわいらしい顔立ちの少女……。呆気に取られて眺めているうちに、見覚えのある顔ばかりだと気づく。そして先ほどの、小人で遊んでいたスーツのおじさん、針のおばさんの顔になったのを見て確信した。これは今までにこの列車に乗ったことのある人たちの顔だ。もうすぐ僕の顔も来るだろう。
しかし小人の顔は僕の顔にならないまま元の顔に戻ってしまった。どうなるかと思って見ているとその目が一際赤く輝き――バァン。隣の男の頭がはじけた。次いで前の女性の体がメキメキ音をたてて捻じ曲がる。まるで誰かに踏まれたみたいに。悲鳴と絶叫、苦悶のうめきがそこかしこで上がり、乗客たちは見るに堪えない方法で死んでいく。顔の皮が剥がれたり、手足が逆方向に曲がったり。寄りかかってきた針のおばさんの両眼には何本もの巨大な針が突き刺さり、そこから流れ出た血が床を赤く浸していく。あらかた倒れた後、首がありえない長さになっていた、小人の首を引っ張っていたおじさんの頭がポロリともげた。軽い音を立てて床に落ち、それきり静寂。小人はキキキッと嗤い声を残してどこかに消え、あとはこぽこぽと血液の漏れる音が響くだけ。
呆然と立ちつくしているとアナウンスがいつものように駅への到着を知らせる。その時、ぁ……という、か細い声が聞こえた。そちらを見る。死体が積み重なった車両の真ん中でただ一人立っているのは目にクマをつくった眼鏡の女性だ。しわのついた黒いスーツが返り血を浴びている。歳は僕と同じくらいだろうか。いつもは疲れたようにしているだろうその目を大きく見開き、驚いたようにこちらを見つめている。
プシューとうなりながらドアが開いた。それを合図に僕らはお互いに手を伸ばし、握る。彼女の手は柔らかく、少しだけ冷たい。彼女が僕の手を温かく感じてくれればいいと願いながら、僕らは同時に車外に踏み出す。なるほど、恋の始まりはかくあるべきだ。
小人 海中図書館 @established1753
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