第21話 食欲を誘う匂い

 客室のベッドで一夜が明けた。

 何故か充分に眠れた気がしない。

 それもその筈で、何もかも勝手が違うからだ。


「ううっ、あー、随分と、寝たのか」


 俺は朝日関係無く目覚めた。

 体中が痛い、硬い。満足に眠れなかった証拠だろう。


「あー、辛い。やっぱり、知らない天井だな」


 俺は寝ぼけた眼を擦った。

 ふとベッドに仰向けになり、天井を見てみる。

 シミが幾つもあり、ボーッと数えてしまった。


「暇だな」


 異世界に来て、暇なんてあるのか。

 それとも、最初がハード過ぎたせいか、ギャップに付いて行けない。

 俺は腕を伸ばして背筋を伸ばすと、体を起こした。


「腹は……減らないな」


 腹を触ってみるが、空腹感がまるでない。

 魔王からの勇者パーティーによる、こってり濃厚展開が続いてせいか、空気だけでお腹がいっぱいになったらしい。


「さてと、とりあえず服は着るか」


 俺はヘッドホンを付け、ボタンを押す。

 右のボタンを押すと、ON状態になる。

 魔王の衣装を再び身に纏うと、OFF状態から一瞬で変わる。


「天河晃陽からカガヤキ・トライスティルに……変身ヒーローかよ」


 腰を曲げ、らしくもない猫背になる。

 溜息を大きく零すと、ふと部屋の扉の隙間から、いい香りがした。


「この匂いは……」


 鼻腔をくすぐるいい匂い。

 古城のカビ臭さとは一線を画している。

 俺は気になって腰を持ち上げると、ベッドから立ち上がった。


「一体何処から……方位磁石座の道標コンパス・ライン


 俺は魔法を唱えた。

 すると壁や床に矢印が表示される。

 ピカピカ輝いていて分かりやすく、俺は矢印の通りに追い掛けた。


「この魔法、普通にチートだな」


 完全に地図要らず。案内人要らず。

 もはや道具や役職を一つ捨ててもいいようなガチチートスキルで、俺はありがたかった。

 戦いには何の役にも立たないが、これだけで稼げそうだ。


「そう言えば、俺はこの世界の金を持っていないな。どうする? 流石にこの見た目じゃ、後ろ指を指されるぞ」


 魔王のような格好じゃ、誰も近付いてくれない。

 勇者パーティー御一行の反応と同じで、魔王扱いされるに決まっている。

 そんなことになれば、俺の立場が圧倒的に悪くなる。街になんて行ける筈もなく、唇を噛んだ。


「どうしよう。現実的な所でヤバいぞ」


 もし、他に異世界転移経験者が居るとすれば、俺の気にしていることは全部バカみたいな話だろう。

 大抵、アニメや漫画の中の異世界転生・転移のものだと、主人公は最強だ。

 与えられたとんでもない力で、どんな状況も覆し、周りからキャーキャー言われるくらいには、充実感たっぷりに違いない。


「強いけど、強いだけなんだよな……メリットに対してのデメリットが余りにも大きすぎる」


 俺はブツブツ念仏のように不満を吐き連ねた。

 そうこうしているうちに、矢印の光が強まる。

 ピカピカがビカビカに変わると、匂いの発生源に辿り着いた。


「ふふーん。ふんふふーん」


 目の前には扉がある。

 更に灯りが付いていて、扉の隙間から声と一緒にはみ出していた。


「ここは……キッチンか?」


 匂いを嗅ごうと、鼻を鳴らした。

 クンクン音を立てると、乳製品の匂いがする。

 とても食欲を駆り立ててくれ、気になって俺は扉を開けた。


「一体誰が……あっ」


 キッチンに立っていたのは少女。

 赤黒いエプロンを着けていて、長い髪を頭の上で結っている。

 見れば見る程スタイルがいい。初見で好きになっちゃう人も居るんだろうが、俺は無視して声を掛けた。


「ミュシェル?」

「あっ、おはようございます、カガヤキさん」

「……おはよう。そこでなにしてるの?」


 いや、訊かなくても分かる。どんなバカでも、エプロンを着けて、お玉を持っていれば分かるはずだ。

 何をしているかなんて野暮すぎて、一目瞭然だった。


「朝食を作っているんです。カガヤキさんも食べませんか?」

「食べていいの?」

「はい。いっぱい作ったので、一緒に食べて欲しいです。一人の食事よりも、大勢の方が楽しいので」


 ミュシェルはいい子過ぎた。何処にお嫁に行っても恥じないくらい、出来が良かった。

 見た目も実力も何もかもが噛み合っている。

 つくづくユキムラ達に置いて行かれたことが不憫に思うと、俺は代わりに泣きたくなった。


「ど、どうしたんですか、カガヤキさん!? クリームシチューはお嫌いでしたか?」

「いいや、嫌いじゃないけど。ミュシェルはいい子だなって」

「い、いい子ですか? 私は普通のことをしているつもりですが」


 普通の基準が高すぎる。今時の現代人はこんな手の込んだことはしない。

 俺はミュシェルの凄みが嫌に思うくらい伝わる。

 自分と重ね合わせる……ことはしないが、少なくとも友人B美玲とは圧倒的に違った。


「ミュシェル、なにか手伝うことは無い?」

「手伝うことですか? それではサラダを用意して貰えますか? 食材はそこに置いてありますから」

「サラダな、分かった。後、パンも焦げ目を付ければいいか?」

「えっ、できるんですか!」

「このくらい、週に一回はやってる」

「しゅ、週に一回。手が込んでますね」


 なにを褒められるのか? 別に俺は料理くらい普通にする。

 テーブルの上に出されていた野菜を一旦水で軽く洗い、包丁を使って適度な大きさに切り分け、盛り付ける。ドレッシングが無いので簡単に作っておくと、同時にパンの表面に焦げ目をつけた。


「ほ、本当にできるんですね!」

「どれだけ俺のことをできそうにない奴だと思ってたんだ」


 俺はミュシェルが思っている以上には、それなりのことができる。

 しかしそれなりの基準も高かったらしい。

 気が付けば、見ただけで美味しそうなパンとサラダができ上がっていて、俺は「こんなものか」と感嘆と吐露した。

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