近付く悪意

急展開

 東ヤールからデミエールに戻るまで大分時間がかかってしまった。何しろ大騒ぎだったのだ。主にフィンが。


 かなりの勇気を奮って告白をしてみたは良いものの、見つめ合っていたフィンがしばらくフリーズしてしまってどうしようかと思った。あっヤバい一人で勝手に盛り上がり過ぎたか? と不安になっていたら、フリーズの解けたフィンに抱きしめられた。あー良かった引かれてはないなとホッとしてたら、フィンの肩越しに黒髪長髪の使い魔——誰だっけ、そう、テオ——が駅舎のガラス扉に映っているのが見えた。私の後方で大きめの紙に書かれた何かをフィンに見せているのが、うっすら反射して見えている。東ヤール内にある結婚式場の会場候補リストだった。フィンが私を抱きしめながらハンドサインでテオとやりとりしている気配がした。料理と音楽と招待客の席次表について検討しだした。待って待って待って気が早い。そこまで言ってない。

“お友達”からのステップアップとして恋人としてのお付き合いをしたいなということであって、結婚はもうちょっと待ってほしい。物事には順番というものがあって。

 その辺りをフィンを傷つけないように柔らかく丁寧に説明していて、すっかり帰るのが遅くなっちゃった。「先走ってすまない……」と謝る彼は、長身なのにとても小さく見えた。テオはあーあーフィン君のこと泣ーかしたー、という顔で眉間に皺を寄せていた。泣いてねえだろうが。


 デミエールの駅からは当然だけど一人で歩いた。実家のあったヴァン・ダはこの時期になると薄ら雪が積もっていたけど、この地域はそこまで冷え込むことはない。それでも靴底から上がってくる冷気はやっぱり堪える。さっきまで気にならなかった寒さが、一人になった途端全身を刺してくるようだった。コートの襟を締め直して、速足で歩く。お風呂にゆっくり浸かって、今日の余韻を反芻したかった。

 新年の賑やかさは落ち着いて、街の雰囲気も通行人の表情も普段通りになっていた。自宅までは大通りからいくつか道を入る。駅から離れるほど人通りがぐっと少なくなって、申し訳程度に街灯がある道は誰も歩いていない。自分の靴音、息遣いまで耳につく。


「……?」


 思わず立ち止まる。勘の悪い私でもわかるくらいに違和感があった。何か、静かすぎない? 

 街路樹の葉擦れの音も、風すらも聞こえない。周囲の家から漏れてくるはずの団欒の気配もない。どこか不気味で、早く家に入ってしまおうと再び歩き出した時だった。


「わっ……ぶ」


 いきなりフサフサしたものにぶつかったかと思うと、毛だった。見上げると真っ白い大狼が立ちはだかっていた。鋭い牙も月の光のように白い。今の今まで絶対にいなかった、こんな大きな生き物見逃すはずがない。でもそれについて思考する時間は与えられなかった。

「へっ?」

 視認できたのは一瞬で、すぐに視界が暗転した。

 魔法陣を使用した時とは別の独特の浮遊感があって、自分が何かに呑み込まれたような感覚があった。悲鳴も恐怖も特になかった。非日常の渦中にいる時なんて案外そんなもので、恐慌は後になって湧き上がってくるものだ。

 地面が無くなったかのように感じたのは一瞬で、すぐに靴が何かふかふかしたものに沈み込んだ。バランスを崩しかけたところを長椅子のようなものに座らされた。


「こんばんは」


 視界が晴れる。明るさに一瞬目が眩む。

 広い応接間だった。そしてやっぱり私が座っているのは長椅子——しかも相当上質な革張りのもの——で、床は毛足の長いグレーの絨毯敷きだった。高い天井、ベージュの壁紙、大きく取った窓の向こうには夜闇に紛れた木の枝しか見えなくて、この建物がどこに建っているかわかるような手がかりは得られなさそう。二階より高い位置の部屋なことは確かだ。何の役にも立たない視覚情報だった。

 心細さを全身を硬直させて誤魔化す。目を開いて、とにかく自分の今の状況を整理しなきゃいけない。頭の後ろで警戒音が鳴っている。我ながらびっくりするくらい冷静だった。

 声の主は、艶のある木造りのテーブルを挟んで私の真向かいに掛けていた。

 白い。印象を一言でまとめるならそうだ。部屋や調度品じゃなくて、目の前の男に対する感想として。

 柔らかそうなプラチナブロンド、グレーの虹彩、血色の良い白い肌。長い足の上でこれまた長い指を組んだ男が私に微笑みかけている。年の頃は二十代後半だろうか、眉も睫毛も色素が薄くて、彫像みたいだ。着ているスーツまで色味が薄い。

 こういう容姿の人間を「美しい」と言うんだろう。でも、私が普段美人のリュネーに感じるような憧れを持てないタイプの美しさだと思った。微笑んでいるのに瞳の奥に全く優しさが感じられなくて、いけすかない。そして明らかに初対面だけど、何となく身元の予想がつく顔立ちだった。鋭い眼光、すらりとした鼻梁、厚過ぎない唇——あまりにもフィンに似ている。

 さっき道で出会した、そして私をここまで運んだであろう白い魔獣が部屋の隅に蹲っていた。男の使い魔だろうか、光っているのかと思うほど白く艶やかな毛並み。


「お門違いです」

「まだ何も言ってないよ」

 男はにこやかに答える。何がそんなにおかしいのかと思うくらいに笑っている。目、以外。

「何かしら私に言うことを聞かせたいからここに連れてきたんでしょう。奪いたいものがあるなら挨拶なんてせずに問答無用で痛めつけたら良いし、そもそも私はここまでして狙われるような財産を持っていません。心当たりがあるとすればフィン・レスターに関係することです、彼に近づくなと言うような要件でしたらフィン本人に言ってください」

 噛まずに言えたのは我ながら上出来だけど、声が上擦った。どんなに早口で話しても震える音は誤魔化せない。気づかないフリをした。怯えていることを自覚したら、気持ちの収拾がつかなくなる。自分を見失うな。ここには私の味方はいない。

「突然知らない男に知らない屋敷に連れ込まれたのに、随分肝が据わっているね。そして察しが良い。少し君のことが好きになったなあ。幸先が良い」

 幸先って何だ。ほとんど勘で喋ったことが当たっていて正直困った。私はただ、ビビっていることを悟られるのは悔しいから適当言っただけなのに。やっぱりフィンの関係者なのか。代々続く資産家の当主とか、普通にお家騒動的なものありそうだもんね……。でもこんなあからさまな荒事をするなんて、現実でもあるんだ。あるな。


「自己紹介がまだだったね。初めましてエリィ・マレス。僕はジョルディ・レスター。フィンの従兄弟に当たる。こっちは僕の使い魔セレン」

 ジョルディは笑っていない目をきゅっと細める。セレンと呼ばれた魔獣は徐に立ち上がると、その場ですらりと人型に姿を変えた。目鼻立ちは人間と変わらない、無表情の顔が私を監視するようにこちらを向く。似た印象の魔族についさっきも会った、なんて名前だったか——そう、テオだ。髪が長い以外これと言って特徴のない若い男。目の前の魔物はもっと中性的な外見で、髪はこちらも長くて色は白い。テオと違って名前は相応だ。ジョルディとセレン、主従揃ってやたらと白い。


「君は話が早そうだし僕もまどろっこしいのは嫌いだから、前置きなしで結論から言うよ」

 従兄弟だけあって、彼は声も少しフィンに似ている。少しだけ、ジョルディの方が高い。さりさりとしたノイズは聞こえない。つまり、聞いていて全然心地良くないということ。

 ジョルディは歌うように続ける。朗らかな音が室内に響き渡る。


「僕と結婚しよう」


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