カフェにて

「……で、結婚を前提にお付き合いすることにしたの?」


 リュネーの褐色の眉間には深い皺が刻まれている。くっきりとして形の良い眉もぎゅっと顰められて、呆れたように大きな溜め息。眉の上で切り揃えられた黒髪がさらさらと揺れる。大きな空色の瞳が疑念たっぷりに私を睨む。整ったお顔のパーツ全てを使って不信感を表してくれた。

 頭ごなしにありえない、馬鹿じゃないのと口に出すのを辛うじて堪えてくれているのだろうな。私の親友は優しい。


「そうそう、お互いのこと全然知らないのに求婚されてもさすがにねー。お付き合いっていうか、まずはお友達から? みたいな?」

「いやいやいやいや断らなかったのが信じられないんだけど。よく考えなさいよ診察中に医者が患者に求婚とかありえないでしょ馬鹿じゃないの」


 めちゃくちゃはっきり口に出した。この友人は厳しい。

 リュネーは初等学院時代からの友人、いわゆる幼馴染だ。家は魔道具・雑貨の店を代々営んでいて、私が体調を崩して倒れてしまった時も、体力を回復するお香を差し入れてくれたり安眠効果のある薬湯を調合してくれたりと気遣ってくれた。昔から面倒見が良いのだ。


「何で受け入れちゃうかなー。顔中包帯だらけで、素顔も知らないんでしょ?」


 リュネーは横髪を耳にかけると、顰めた表情のまま紅茶のカップに口をつけた。健康的な色味と艶で彩られたハリのある唇に、一瞬見惚れる。滑らかな褐色の肌に腰まで真っ直ぐ降りた黒髪は光に透かすと濃紺で、近くを通る人達の視線を奪う。美貌の友はただ飲み物を飲むという何気ない仕草まで絵になっていて、彼女に怒られてるのにちょっと胸の高鳴りを感じてしまった。


 衝撃の求婚劇から数日後。私はリュネーとカフェに来ていた。注文の品を持ってきた男性店員がリュネーに流し目を送るのをうんざりしながら見つつ、期間限定の林檎クレープを口に運ぶ。期待以上に美味しかった。今、デミエール地方の若者の間では林檎のお菓子が流行っているのだ。小さな子がクレープを食べたそうに窓の向こうからこちらを覗いている。

 昼下がりのカフェは空いていて、ゆったりとした空気が流れている。勤め人の休日にはいくらか早いおかげで時間を気にせずお喋りができる、と同時にそろそろ新しい職を探さないとという焦りも込み上げてくる。


「……それがねえ、断る理由を探す方が難しいんだよ」


 たとえ素顔を知らなくても。

 私はコーヒーのカップを持ち上げた。ミルクも砂糖もたっぷり入れた甘いやつだ。私の仕草は至って普通で、全然絵にならない。癖のある黒髪をちょっと明るく染めて、毎朝頑張って巻いて、メイクも毎シーズン研究してやっと人並みに見られる程度の容姿。誰も私に目もくれない。僻まない僻まない。普通が一番。


「あっそ……聞きましょ」


 私がカップを傾けて飲み干すのを見守ってから、リュネーは言ってくれた。空色の瞳が優しく細められる。なんだかんだ言って私のことを信頼してくれている。考えなしに軽率な行動を取ったわけじゃないことをわかっているのだ。

 私は肩まで伸ばした茶髪の毛先を摘んで弄びながら、頭の中を整理する。あ、枝毛。帰ったら切らなきゃ。


「んーとね、一番大きいのは、ってやつかな」

「いきなり語弊」


 そう、語弊のある言い方。彼は診察に必要な時を除いて私に指一本触れていない。でも、そう表現するしかないのだ。

 生命維持のために莫大な量の魔力を必要とするらしい私に対して、フィン・レスターはの体質なのだそうだ。



「実際に見てもらうのが一番だと思う」


 突然結婚を申し込まれて混乱している私に「レスターじゃなく、フィンと呼んでほしい」と言いながら、彼は両手の手袋を外し始めた。その下にも薄い手袋をしていて、それを外してやっと素手が現れた。脱いだ手袋をよく見ると、所々薄らと黄色く変色している。よほど膿んでいたのね……と彼の指先に目を向けて、すぐに私は違和感を感じた。

 おや、と顔に出ていたのだと思う。

 そんな私を見て、フィンはふふ、と軽く息を吐いた。包帯で表情は見えないけど、たぶん笑った。両手を何度か返して、掌と甲の両面を見せてくれる。


「君のおかげなんだよ」

「私の? 何がですか?」


 手首から爪の先まですっかり露わになった彼の両手はとても綺麗だった、綺麗すぎるくらいに。短く整えられた血色の良い爪がまず目に入った。細身だけどしっかりとした関節が男性的な指、頼もしい大きさの掌、どこも至って健康そうに見える。二重の手袋が必要とは思えない。私みたいな医療の素人には見た目ではわからない疾患なのだろうか。じゃあ、手袋についている黄色いシミは? 傷ひとつ見当たらないのに。

 そこまで考えて、はたと思い至った。


「もしかして、せん……フィンも、治った……んですか?」


 極度に衰弱していた私が見た目も変わるほど元気になったように、彼も、露出できないほど皮膚が膿んでいたのが跡形もなくなるくらい急激に回復したということなのか。でも、何故? 私のおかげってどういうこと?


「君と同じで正確には治ったとは言えないんだけど、現時点で体調が回復しているのは確かだね。『魔素過剰症』と言うんだ。その名の通り魔素が過剰に身体に溜め込まれて、消費できない魔力の分だけ肉体が崩壊していく病気だよ。皮膚が膿んで、痛みと痒みを伴って少しずつ溶けてしまうんだ。魔石鉱山の採掘者がなりやすいけど、通常であれば魔素の薄い場所で過ごすことによって自然治癒できる。ただ、私は君に負けず劣らずの特異体質でね。体内で魔素が絶えず生産されてしまうんだ。しかも、それを制御できない。そのせいで今この診察室は高濃度の魔素が充満しているし、その魔素によって私の身体は常にあちこちに不調をきたしている。それを君が大量に消費・吸収してくれているお陰で、私は今とても身体が楽なんだ」


 フィンは暗紅色の瞳が見えなくなるほど目を細めた。きっと、にっこりと笑った。

 体内で魔素が生産される……そんなことってあるんだ。生産量を自分で調節できたらめちゃくちゃ便利な能力だろうに、崩壊していくなんて。聞いているだけで全身が痒くなってくる気がした。

 とはいえ、いきなり結婚っていくら何でも話が飛躍しすぎてない? もしかして私めちゃくちゃ怪しい話に巻き込まれそうになってるのでは。でも、よりによって私みたいな貧乏無職の一般人をカモにする必要あるかなあ。それにカモにするんならもっと怪しまれないような話し運びをするだろうし。ていうか考えるの面倒くさくなってきたな。


「えっと……もしこのお話をお断りしたら、私はもう治療を受けられなくなりますか?」


 フィンは大きく顔と手を振って否定の意を示す。


「いやいや、求婚を断られて治療を拒否するような卑劣な真似はしないと誓うよ。それは信じてほしい。そして、そもそも君の身体はもう治療を必要としていないから医療院に通う必要はない。さっきも言った通り、適切な土地に移り住むだけで大丈夫。ああ、魔素と受容体の研究のために協力を依頼したいとは思っている。それだってあくまで“お願い”だから」

「はあ……」


 ちょっと“心外だな”感出して言ってきたけど、医師が患者に求婚するのって見方によってはギリギリ卑劣では?

 とはいえ、せっかくの申し出だし少し前向きに考えてみても良いのかもしれない。流石に身元ははっきりしてるから結婚詐欺ではなさそうだし、お金持ちだしなあ。今無職だから金欠なんだよな。

 あと、シンプルに面白そう。突然のプロポーズ! なんて物語のヒロインみたいで素敵だし。リュネーならともかく、私みたいな凡人には二度と訪れない劇的な展開だよね。

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