初めまして、結婚しましょう〜呪われ召喚士からのプロポーズ

惟風

初めまして、結婚しよう

診察室

「マレス、先日の検査結果から言うと、君は魔素欠乏症とは言いにくい。確かに君にはこの難病に見られるものと似た症状が現れているし受容体もないけれど、もし本当に魔素欠乏症なのであれば、適切な処置をしない限り一日として生きていることはできないんだ」

 フィン・レスター医師はゆっくりとした口調で私に語りかける。

 彼の発する深い低音の端々に、微かにとしたノイズが混じって聞こえる気がする、喉の調子を崩しているのだろうか。でも不思議と心地の良い声だった。

「はあ……」

 随分気の抜けた返事をしてしまった。だって、あまりにも聞き飽きた説明だったから。有名な難病にそっくりの衰弱症状が出ている、でもこの病として診断するのは躊躇われる、何故なら本当にこの病気なのであれば、今こうして生きているのがおかしい状態だから。でも原因がわからない。何度そう言われただろう。決定的に体調を崩してから、貯金が底を尽きそうなくらいに医療費がかかっている。栄養剤も、通院するための移動用魔石も、きっと来週まで保たない。このままじゃ、身体的じゃなく経済的な問題で死んでしまいそう。


 魔素。

 この世界の大気中にありふれた魔法エネルギー・魔力の粒子で、人々はこれを魔力を溜め込む特殊な石・魔石を介して多種多様に活用している。光源、動力源、医療、娯楽、兵器、エトセトラ。そして、個々人の感度に差はあれどほとんどの人間が魔素を身体に取り込んで生命エネルギーとして利用している。

 人体への必要量はごく微量で、でも生命維持には必要不可欠で、だけどごく稀にこの魔素の受容体が何らかの理由で機能しなかったり失われてしまう難病がある、らしい。

 報告されている多くの症例が先天性で、胎児の時点で不育となり流産もしくは死産、運よく生まれても沢山の管に繋がれたまま短い一生を寝たきりとして過ごす。後天性であっても発症した途端に起き上がることが困難になり程なくして死に至る絶望的な病……と、昔は恐れられていた、らしい。数百年前は。

 この病気が難病とはいえそれほど悲惨なものではなくなったのは、不運な衰弱死ではなく特定の病として認識されてから百年ほど経った頃らしい。魔具の研究が進み、一定の魔力供給を行う装身具を身につけることで健康な人々と変わらない生活を送れるようになったらしい。

 らしいらしいの連発だけど、これは私がこれまで様々な医師にかかって講釈を受けて少しずつ知った受け売りの知識だから。

 確かに、私は子供の頃から身体が弱かった。すぐに熱を出すしお腹は壊すし食べても食べても貧血を起こすし脱水になりやすいしで、しょっちゅう学校を休んだ。健康診断では毎回引っかかった。でも成長するにつれて少し体調はマシになってきて、何とか一端の大人として仕事に就くことだってできていた。最大限の注意を払って体調管理をする必要はあったけれど。

 それが、職場の人間関係で躓いて精神的な疲弊が頂点に達してしまったある日、道の真ん中でぶっ倒れた。担ぎ込まれた時、「立って歩いていたのが不思議なほどの衰弱よう」だったと後から聞いた。


 大きな病院に入院して二十を超える検査を受けてお医者さんとはその倍の人数と対面した。

 そこで判明したのは「私の身体には魔素の受容体が存在しない」ということだった。おそらく先天的に。でも、それなら本来成人するまで多少病弱とは言え何の魔力治療も受けずに日常生活を送れるわけがないらしい。そもそも、胎児の時点で死んでいなければおかしいそうだ。受容体の数が少なかったり機能が阻害されている例はあっても、受容体自体を持たない成人という症例の報告はこれまでなかったらしく、治療や検査に当たった医師達を大いに混乱させた。どうして生きてこれたのかわからない、なんて当の私に言われても困るとしか言えない。様々な検査を受ける間にも、私の身体は何故か対症療法と点滴で最低限の日常生活を送れる程度には回復した。これがまた医療人達を困惑させた。

 そして行き着いたのが、家から遠く離れた港町にある、この王立東ヤール医療院だ。ルベルツィア王国各地に設立されている医療院の中で唯一、魔素欠乏症の研究と治療を専門にしている、この施設に。


「それで、私はどうすれば良いんでしょう……」

 正していた背の力が抜けて、椅子に沈み込んでしまった。診察室の椅子はこれまでかかったどの医院のものよりも上等な座り心地で、さすが王立医療院なだけはあるななんて私はぼんやりと考えた。思い悩む気力も尽きかけていて、全てのことが他人事のようだった。

 ぴかぴかに磨かれた床が視界に入る。ついでに、私の顔が映りそうなほどつやつやのレスター医師の靴も。きっと高いやつなんだろうな。お医者様は儲かるらしいから。

 今いる診察室だけでなくこの建物全体が清潔で、清浄で、明るい。大きな窓から差し込む日差しは穏やかな秋の温もりを届けてくれている。気持ちは落ち込んでいるのに、特段治療を受けているわけでもないのに、衰弱状態の身体が楽になる気がするほどに“陽”の気に溢れているのを感じる。

「まあまあ。顔を上げて、最後まで私の話を聞いてほしい。大きな発見があったんだよ。そしてそれはきっと君にとって悪い話じゃない」

「え?」

 軽やかな声が降ってきて、反射的にレスター医師の顔を見上げた。暗紅色の瞳とぶつかる。表情はわからない。彼は顔中、だけでなくからだ。辛うじてはみ出している毛先から想像するに多分黒髪。年齢はもちろんわからない。声を聞く限りそこまで年配ではなさそう、たぶん。側から見ると、白衣を着ていなかったらどちらが患者かわからないと思う。レスター医師はその長い体躯を屈めて、白い手袋をはめた右手を差し出した。そこには手鏡が握られていた。指先からは消毒液の匂いがした。

「自分ではまだ気づいてないのかな。見てごらん」

 受け取った手鏡を、素直に覗き込んだ。

「あれ……?」

 我知らず声が出ていた。鏡を見て、自分の頬を触って、再びレスター医師と視線を合わせた。

「これ、もしかして私、回復してます?」

 鏡の中にも指先の感覚にも、やつれ果てていたエリィ・マレスはいなかった。カサついた肌はしっとり潤って、くっきりとしていた隈は跡形もない。そういえば喋る度に切れた口角が引き攣れる痛みもいつの間にか消えていた。いつの間にか——いつから?

「治った……の……?」

「いや、そうではない。この待合室から出て少し時間が経てばまた軽い衰弱状態に戻ってしまうと思うよ。ここは今一時的に魔素が濃い空間になっていてね」

「え、でも私は魔素を吸収できない体質なんじゃ?」

 魔素が潤沢にあったとして、関係ないはずだ。一体どういうこと?

 首を傾げる私に向かって、対面に座るレスター医師は身を乗り出す。

「そこが、その認識が違っていたんだ。君は魔素を取り込めないんじゃない、その逆だ。君は人よりも大量の魔力を必要とする体質で、通常の魔素受容体を持っていない代わりに変わった形状の受容体を備えていることがわかった。つまり非常に珍しい特異体質の持ち主なだけで、君は病気でもなんでもないんだよ。」

 病気じゃ、ない……? この数ヶ月悩まされ続けた這いつくばるほどの痛みと苦しみと倦怠感が? 嘘でしょ?

「これまでは、不足する魔力エネルギー分を食事などから摂取する別のエネルギーによって補い持ち堪えていたんだろう。それが何らかの急激なストレスがかかったことによって魔力の消費が促進してしまい、崩壊したのだろうと私は見ている。心当たりはある?」

 レクター医師の暗紅色の瞳が私の目を覗きこむ。元職場の意地の悪い先輩方の顔が頭に浮かんで吐き気がした。心当たりがあるどころじゃなかった。

「まあ、たとえ病気じゃないとしても今のままでは日常生活に多大な支障があることには変わりないから、そこまで喜べる状況ではないかもしれないね。体調というのは大きく崩すと元の状態に戻るのにとても時間がかかるんだ」

 そうだ。人よりも必要な魔素の量が多くてここまで弱ってしまったんなら、大気中に含まれる分以上の魔素をどこかから調達し続けなきゃ結局すぐに死にそうになるんじゃないのか。魔力補給の魔具は、今の私には高価すぎる。

「そんな悲しそうな顔しないで。『今のままでは』……つまり今と同じ場所に住み続けていたらまた衰弱するだろう、ということが言いたかったんだ。魔素の濃い地域に移り住むだけで君の不調の大半は解消すると思われる。魔石鉱山のある地方は確実に魔素が豊富だけど、正確な魔素の分布を知りたければ王都の役所に問い合わせるのが確実だ。住める地域が限られるのは今後の人生で不便ではあるだろうけど、呼吸器の弱い人が空気の綺麗な郊外にしか住めないように、決して珍しい事例ではない」

 なるほどそういうものなのか。引っ越し費用は痛いけど、背に腹は変えられないよね……。

「確か今はデミエール地方に住んでいるんだろう? 大気中に含まれる魔素の量にはわりとバラつきがあってね、あのあたりは特に魔素が薄い。通常の受容体を持つ人にとっては問題ない量だが」

「……もしかして、ヴァン・ダ地方って結構魔素が濃い地域ですか?」

「ヴァン・ダ……ああ、デミエールの南西の方か。そうだね、確かあの辺りにも小さな鉱山があったと記憶している。平均よりも多いはずだ、少なくともデミエールよりはずっと」

 ヴァン・ダは実家のあった地方だ。学院を卒業するまで住んでいた。職場に近く地価の安い場所をと思ってデミエールに越したのが去年だった。体調を崩したのは、そのせいもあったのかもしれない。

「そこでね。ここからが本題なんだけれど」

 え、ここまででまだ本題じゃなかったの。

 レスター医師は軽く咳払いをした。座ったまますらりと背筋を伸ばして、何やら改まった様子が包帯越しに窺い知れた。こちらも思わず息を呑む。


「私と結婚してほしい」


 深い低音で、彼は一息にそう言った。


 

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2024年12月27日 07:00

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