第6話 願いの行方

 願い事ってどこに行ってしまうのかな。叶えばそれまで。だけど叶わなかったら?


 昔、真由ちゃんのお婆ちゃんに言われた。

「願い事は、身の丈を考えるといいよ」

 どうしてなのかは聞かなかった。だから理由はわからない。わからないけれど、大それた願い事はしない様に気を付けた。

 小学校の七夕会、笹飾りの私の願い事はいつも細やかなことばかり。名前は書かない決まりだったから、「いっしょにばんごはんを食べたい」とか、「たんじょうびかいをしたい」とかの短冊を書いた。「世界平和」とか、「お金持ちになりたい」という願いに比べるとだいぶ見劣りがしたと思う。

 細やかだった半面、私の願いの半分くらいはすぐに叶った。二年生の時に願い事が叶ったのがうれしくて、三年生の時にはこっそり二つ短冊を書いたりした。咎められることは無かったけれど、後ろめたかったので、四年生以降は一つだけにした。

 「ほうかごみんなと遊びたい」と書いた年に、真由ちゃんが声を掛けてくれて、それ以降、放課後は真由ちゃんの家に遊びに行けるようになった。

 「水遊びをしたい」と書いた年は、竜君がみんなに声を掛けて、竜君のお父さんに連れられて一緒に自転車で川遊びに行った。

 「西瓜を食べたい」と書いたら、夏休みに子供会でバーベキューと西瓜割が企画された。みんな西瓜を割れなかったけれど、おかげで包丁で切ったきれいな西瓜を食べられた。

 名前を書いていないから、誰が書いたかわからないと思っていたのは私だけだったみたいだ。

「可奈の字は優しい字だから、何人かは気付いていたよ」

 高校卒業まで一緒だった幼馴染の洋ちゃんは、後になってそんなことを教えてくれた。


 五年生の時の願い事は「ケーキを食べたい」だった。このころには気恥ずかしさを覚えていたので、「誕生日に」は書かなかった。今にして思えば五年生にもなって「ケーキを食べたい」も幼稚で恥ずかしい願い事だけと、全校児童六十人程度の中に紛れれば気にならなかった。

 その前の年に真由ちゃんは中学生になっていて、部活で帰りが遅くなったから放課後一緒に遊べなくなっていた。だけど、真由ちゃんの弟の伸ちゃんが家に招待してくれて、引き続き真由ちゃんの家で遊ばせてもらっていた。真由ちゃんの家で伸ちゃんと遊んでいると、真由ちゃんのお婆ちゃんが時々、お団子やお萩を作ってくれた。

 その年の私の誕生日も、お姉ちゃんは病院だった。朝、お母さんが、「お誕生日おめでとう」と言ってくれて嬉しかった。だから、ケーキは無くてもいいと思った。

 その日も放課後、真由ちゃんの家に寄らせてもらった。真由ちゃんのお婆ちゃんは和菓子を作るのは上手だけど、洋菓子が出たことは無かった。だから、ケーキは無理だと思っていた。

「今日は、一緒にケーキを作ってみない?」

 伸ちゃんが声を掛けてくれた時、涙が出そうなくらい嬉しかった。真由ちゃんのお婆ちゃんと伸ちゃんと力を合わせて、本を読みながら、シフォンケーキを作った。見よう見まねで作ったケーキは少し固かったけれど、そんなことはどうでもよかった。

 そうだ、自分で作ればいいんだ。私くらいの細やかな願い事は自分で叶えればいいんだ。そう気づいた。


 中学生になって、漸く、一年生の時の「おねえちゃんとくらしたい」という願いが叶った。

 高校生になったお姉ちゃんは、「いっぱい迷惑かけるね」と謝った。

 部活を終えて中学校から帰ると、お姉ちゃんが先に帰っていて出迎えてくれた。時折、伸ちゃんもいた。

「二人は付き合っているのかな?」

 そんな話をすると洋ちゃんは、

「あれはね、もう、恋人を越えて熟年の夫婦よ」

 となぜか怒った。洋ちゃんは自転車を二人乗りで帰るところを見ることがあると言っていた。大好きな二人が幸せなら、私の一番の願いは何なのだろう。心にとげが刺さったみたいな気がした。


 高校二年生になった。お姉ちゃんは何とか形の上では高校を卒業して、自宅療養を続けることになった。

 相変わらず、伸ちゃんは学校帰りに家にやってきた。伸ちゃんは進学を目指して勉強していると聞いて、心のとげが更に気になるようになった。

 どうしたらいいのか、どうしたいのか。自分の事がわからなくなって、でも、誰にも相談できなくて。

 そんな時、町のスーパーの七夕飾りに「結婚できますように」って短冊を見かけた。私は衝動的に「一緒にいたい」と短冊に書いて笹に飾った。これが私の願いなんだと納得した。誰にも知られたくないことなのに、堂々と笹に飾ったことを後悔した。


 その翌年の初めから、お姉ちゃんは体調を崩して、また、お姉ちゃんの病院生活が始まった。伸ちゃんは希望の大学に合格して、四月から町を離れることになった。

 引っ越しの前日、伸ちゃんの家に会いに行った。

「伸ちゃんは、お姉ちゃんの事、好き?」

「付き合ってる?」とは聞けなかった。

「好きだよ。」

 迷いなく、伸ちゃんが答えて、息が止まりそうになった。知っていたのに。言葉になると思った以上に重かった。

「だけど、振られた」

 伸ちゃんは何でもないことのように言った。何と声を掛ければいいのかわからなかった。混乱した。ただ、このままもう会えなくなるのは嫌だった。だから、私は私の心に正直に、精一杯の勇気を振り絞って、

「手紙を書いていい?」

 と聞いた。

「返事は遅いけど、いい?」

 まだ、伸ちゃんと繋がっていられる。そうわかって嬉しかった。でも、後で、人の不幸に付け込んだみたいで後ろめたい気持ちもした。お姉ちゃんが伸ちゃんのことを振ったわけなんて考えもしなかった。


 高校を卒業して、伸ちゃんが学生をしている街に押し掛けた。いつしか伸ちゃんと恋人になり、それから婚約者になり、夫婦になった。

 時折、二人でお姉ちゃんのお見舞いに行った。双葉を生んでからは三人で。お姉ちゃんは私たちを見て、微笑んでいた。


 下の子の和樹を生んで間もない時、お父さんに呼ばれて、伸ちゃんは双葉を連れてお姉ちゃんの お見舞いに行った。

 伸ちゃんは帰ってきて、

「ごめん」

 と謝った。詳しく聞くと、お父さんのいい加減な紹介で、お姉ちゃんの相部屋の方が、伸ちゃんとお姉ちゃんが夫婦と勘違いしたこと、双葉がお姉ちゃんのことを「おかあさん」と呼んだこと、その場で夫婦であることを否定できなかったことを教えてくれた。そのとき初めて、お姉ちゃんはなんで伸ちゃんを振ったんだろうって疑問に思った。何日か考えて、私なりの答えを出した。

 お父さんのことをひどく叱ったけれど、お姉ちゃんと伸ちゃんを責めることができなかった。

 双葉は和樹が生まれてから、私があまり抱っこしていなかったこともあり、「おかあさん」の抱っこを求めた。伸ちゃんは双葉を連れて、度々お姉ちゃんのお見舞いに行くようになった。嫌な気持ちはしなかった。伸ちゃんを取られたとも思わなかった。でも、少し切なかった。


 お姉ちゃんがいよいよとお母さんから聞いたので、みんなでお見舞いに行こうって言った。

 病室でお姉ちゃんは眠っていた。

 お母さんが椅子を二つ用意してくれたので、和樹を抱いて座らせてもらった。双葉も椅子に行儀よく座ってくれた。伸ちゃんは立ったまま、お姉ちゃんの顔を見ていた。

 お母さんと小声で話しているとお姉ちゃんの声が聞こえた。

「伸也、が、いるの?」

 一番近くにいた私にぎりぎり聞こえるかどうかの小さな声だった。私が考えた、お姉ちゃんが伸ちゃんを振った理由は正しかったような気がした。

「うん、みんないるよ」

 私は幸せになりたい。お姉ちゃんも幸せになってほしい。伸ちゃんも幸せになってほしい。すべてを満たす答えはあったのだろうか?でも、私が短冊に書いたのは私の事だけだった。

「よかった」

 それがお姉ちゃんの最後の言葉になった。

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