第5話 音の行方
遠くで、何か音がする。生きてる。生きてるから聞こえる。でも。やがて音は消えてくのでしょう。いつまでも生きていられないように。
最近、特に調子がよくない。起きているとすぐに疲れる。立っていられない。ベッドから出るのも億劫になった。だから不幸かと問われればなんて答えよう。
「おかあさん?」
姪の双葉が心配そうに声をかけてくれる。
「ごめんね。双葉」
ベッドの上に横になったまま答える。
「どうして?お母さん、何も悪いこと、してないよ」
双葉は無邪気な返事をくれる。
「そうか。そうだね。不思議だね。でも双葉に謝りたいんだ」
いつまで双葉と会えるかわからないから。もうすぐお別れをしないといけないから。双葉の大切な「お父さん」と「ママ」を悲しませてしまうから。双葉に謝りたい理由はたくさんある。双葉には理解できないだろうけど。
「大丈夫。おかあさんを許してあげる」
ああ、この子はこんな子なんだ。双葉の隣で伸也が微笑んでいる。誇らしげにしている双葉を見ながら、生きていることの意味を考える。
やはり調子がよくないからだろうか?思考は暗く、澱んだ方向に進む。昔、同じような問いを投げかけたことがあったっけ。
「私、生きてる意味があるのかな」
そんなことを呟いたのは、高校生二年生の時だっただろうか。確か、伸也が音楽の授業でギターに触れてみたなんて言った時だったと思う。放課後の保健室での、何気ない会話だった。あの時伸也はギターの音が消えていくのを「見た」と表現していた。
消えていく音と終わりに近づいていく命。どの道無くなってしまうのなら、今在ることの意味は何なのだろう。そんなことを考えていると疑問をそのまま口に出してしまった。
「哲学者だね」
あの時、伸也は軽口で応えた。
「そうかもね」
軽口には軽口。意味があろうがなかろうが、私は生きている。それでいいのかもしれない。
「音ってさ」
少し考えながらの発言なのか、伸也は間を取りながら言った。
「そのうち減衰して無くなるけど、音が鳴った事実は無くならないでしょ」
音楽は人の心を動かしてくれる。すぐに消えることなんて誰も気にしない。その瞬間を、時に強く、時に弱く。時に楽し気に、時に悲しげに。だったら命も。伸也は同じようなことを考えていたのだろうか?本当のところはわからない。
いずれ消えゆく定めなのは誰も同じ。残された時間が多いか少ないかの違いでしかない。でも、誰かの心に残るなら。
「人知れず震えた弦なら、なかったことと同じかな」
同じことを考えていたことを期待して、少し伸也に意地悪をしてみた。
「弦はひとりでには鳴らないよ。僕が触れたから震えたんだから」
なかなか情熱的だと思ったのは勘違いだっだろうか。でも、答え合わせはしなかった。否定されなければ、私の中でその解釈が事実のままでいられるから。
「おかあさん、だっこ」
双葉が甘えてくる。
「いいよ、おいで」
と答えると、双葉は靴を脱いで、ベッドに上がってくる。体を起こして、双葉を抱きしめる。抱き上げることはできないけれど、双葉はそれで満足みたいだ。私の顔を見上げてニコニコしている。
双葉の鼓動を感じる。
いよいよ、調子が良くない。一日の大半を眠ったまま過ごしているようだ。食欲もない。だからといって、絶望しているわけではないけれど。
気が付くと伸也の気配がある。目を開けるのも億劫だけど。なんとなくわかる。
「伸也、が、いるの?」
声を出しづらい。声になったかどうかわからない。
「うん、みんないるよ」
少し震えているけれど、可奈の声だ。
また、少しずつ意識が遠のいていく。これで終わりなのかな。私は幸せだったよ。
「よかった」
かろうじて呟けたと思う。
母の声が可奈の声が遠くに聞こえる。少しずつ小さくなって
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