第2話 恋の行方

 恋をするって、たぶん幸せなんだろう。恋をしている人は生き生きしてる。だけどいつかは恋も終わるんでしょう。それは不幸なのかな。どこかへ消えてしまった恋のことを思い出すとき、そのときは幸せなことなんだと、そう信じたい。


「恋をしてどうするの? 恋はしないといけないの?」

 そう尋ねると可奈は不思議そうな顔をした。「恋はそんな理由を求めてするものじゃないと思う」と答えがかえってきた。

 病院の外来待合室。今日はもう外来の診察時間が過ぎているため、人気は少ない。傍にいるのは妹の可奈と義弟の伸也。それから姪の双葉が伸也の膝の上で眠っている。ここに来るときは、双葉はいつも眠っている。いつになったら起きてる双葉に出会えることやら。

「恋はどうやって終わるの? 恋が終わるとどうなるの?」

 そう聞くと伸也は

「どうなるんだろうね」

 ととぼけた。別に可奈と伸也を困らせるつもりはなかったから少し後悔。沈黙が重たい。

「嫌いになればそこまで。たまに思い出して感傷に浸るぐらいかな。更に好きになればどうだろう。思い出すたび暖かい気持ちになれるかな」

 そういって伸也は可奈の方を向く。可奈は少し目をそらす。可奈は照れているようだ。想い、想われ。幸せそうで何より。

「で、今日はどうしたの?」

 私は溜息をつきたい気分。

「恋を終わらせたい」

 伸也は苦手だろうな。なんとなくそう思う。可奈はどうだろう。想われた記憶があまりなさそう。それ以上にずっと伸也を想ってたから。あと相談するとしたら、仲の良い看護師の桃ちゃんくらいしか思い浮かばない。だけど桃ちゃんには相談したくない。

「どういうことか説明して」

 伸也がおどけた調子で聞いてくれる。

「同じ病棟の男の子に気に入られて」

 よかったねと伸也が答える。好きなことを言う。可奈はそれでと話を促がす。

「私はその子、苦手なの」

 何故と聞かれると困るのだけれど。

「恋だとしても、無理して終わらせる必要はないと思うけどな」

 伸也には私の言葉が聞こえなかったのか、軽い調子の呟きが聞こえる。作戦会議はそこでお開きになった。


 可奈たちと別れて病棟に戻ると、

「お姉ちゃん」

 と、廊下で渉が声を掛けてくる。桃ちゃんは渉が私に恋をしてると言う。三倍くらい年が違うのだから、桃ちゃんの気のせいだと思うのだけど。

 でも、渉はいつも真剣な眼差しをしている。

「僕、お医者さんになる。そうしてお姉ちゃんの病気を治すんだ」

「そう、じゃあ頑張って長生きしないとね」

 お婆ちゃんが孫をあやすような態度になっていると思う。似たようなことを昔聞いたことがあるからだろうか。その時は「期待してる。早く楽にして」とおどけたんだっけ。私が軽い気持ちで答えた言葉を大切にされると申し訳ない気持ちになる。言葉には気を付けないと。

 軽口でやり取りができる伸也と、正しく言葉にしないとすぐに誤解する可奈と。私の相談相手は極端なので、バランスがとれるかなと思ったけれど、この問題に関してはそうもいかないみたいだ。

 病室に戻って、落ち着いて考えてみる。

 懐かれて何が問題? 嫌われるよりいい。でも居心地が悪い。何故?

 好意をなんで受け入れられない? 何も返せるものがないから? でも見返りを求められているわけではないような気がする。

 桃ちゃんにからかわれるから? いつものからかいで別に気にしていない。

 色々考えた結果、気にしないことにした。私は私。特別優しくすることも、無理に冷たくあしらうこともない。それでいいんだと思った。


 気の持ちようひとつで普段通りの生活が戻った。渉は私を見かけると声を掛けてくれた。気を遣わず、思ったことを口にして何気ないやり取りを重ねた。


 ある日のこと、

「渉君、もうすぐ退院だって」

 と、桃ちゃんが冷やかすような調子で教えてくれた。

「そう、よかった」

 心からそう思う。

「寂しくなるでしょう」

 桃ちゃんは続けてからかってくる。

「ここはずっといるところじゃないよ」

 ここは出来ることなら来ないで済むに越したことは無い場所だ。私はずっとここにいるけれど。

「寂しくなるね」

 今度はしんみりとした調子で桃ちゃんが呟く。

 静かなのは慣れている。静寂が好きだ。薄情だなと思うが、事実なので仕方がない。まあ、桃ちゃんみたいににぎやかなのも悪くないかなと思う。桃ちゃんがいるから私の静寂が引き立つ。そんな気がした。


「明日、退院なんだ」

 廊下で渉が明るい声で話し掛けてくる。

「おめでと」

 短くお祝いの言葉を掛ける。

「お姉ちゃんがいたから、退屈しなかった。ありがとう」

 そうか。それは良かった。ただ日々を過ごしているだけだけど、たまには人の役に立つこともあるんだな。

「僕は、お医者さんを目指す。だから」

 渉は言葉を探すようにそこで区切る。

「ごめんね。約束はできない。できる限り頑張ってみる」

 勝手に続きを想像して、言葉を待たずに先に答える。それでも渉は私の答えに満足したようで、

「お願いしたからね」

 と短く言葉を継いだ。


 渉が退院して、今まで通りの静かな生活が戻ってきた。まあ、周りがにぎやかだろうが、静かだろうがあまり大差はない。

 恋について少し思うところができたので、可奈に手紙を書いた。


 彼には申し訳ないけれど、深く考えない様にしたら、あまり気にならなくなりました。なので、結局、彼の感情が恋なのかはわかりません。でも、真剣に生きている様子は見習わなければいけませんね。

 彼がお医者さんになれるかどうかはわかりませんし、その時まで私が頑張っていられるかもわかりません。人生は分からないことだらけです。

 自然に人を想うことの温もりや切なさに名前を付ける必要はないような気がしました。名前を付けなくてもその感情は確かにそこに在るのです。いろいろと複雑な自分でも分からない気持ち。それでいいと思います。

 今まで私が持っていた、貴女たちへの身勝手な願いが、貴女の重荷になっていないか気になっていました。私に貴女のような優しさがあったなら、こんな押し付けはしなかったのだろうかなんて考えたりもします。でも、こんな身勝手さを含めて私が形作られているのかもしれません。

 訳の分からないお手紙で申し訳ありません。

 

 自分でも訳の分からない内容だったので、当然のことながら、可奈には理解できなかったらしい。誰かに理解してほしかったわけではないので、詳しく説明してと頼まれたけれど、「これは言葉で説明できることじゃないから」と煙に巻いた。


 昔、好意を寄せてくれた人。

 彼はその気持ちを言葉にはしなかった。文字にも残さなかった。そう仕向けたのは私だったかもしれない。彼にとってはそれが恋だったのだろうか? 私は本当にあったかどうかも不確かな彼の感情に、とらわれていたのかもしれない。

 私は彼の幸せを願った。反面、彼の好意に応えることが彼の幸せにつながらないとも思った。今、彼は幸せそうに見えるから、私の選択は待間違っていなかったように思う。

 彼が私に向けてくれた好意がどこに行ったのか。私は知らない。

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