第13話


 ソルジェンテ・アカデミーのカフェテリア。

 午前十時から午後の十五時まで開かれているここは、学園に在籍する者達の憩いの場だった。

 舌の肥えた人間をも満足させる美味しい料理と、学生のお財布事情にも優しい値段設定で、いつ来てもここは人で賑わっている。

 そんなカフェテリアで、とある日の午後、キャロルとメイはイリスに相談を受けていた。


 今日は教師達が講習会があるとかで、授業は午前中のみなのだ。

 帰宅する生徒もいるし、学園に残って勉強やクラブ活動等を行っている生徒もいる。

 ちなみにキャロルはクライド待ちだ。一緒に帰ろうと約束をしているので、彼の用事が終わるのを待っているのだ。

 その待ち時間にイリスの相談を受けたというわけである。


 さて、件の相談事だが、その内容は「どうしたらルイーズ・ハンプトンを落せるか」だった。

 やはり先日の一件で、イリスはルイーズに一目惚れしたらしい。

 それで、どうにかこうにか気を惹こうとしているらしいのだが、どうも上手く行っていないらしい。

 そこでキャロルとメイは、イリスに助言をもらいたいと頼まれた、というわけである。


「今まではただ微笑んで、甘い言葉を囁けば落せたから……」


 イリスはそうも言っていた。

 丁寧な口調と雰囲気のおかげで誤魔化している節があるが、どうにもこの王子、口から出て来る言葉がいちいち最低である。

 そして自信家だ。特に、相手を自分に惚れさせるという一点においては、相当な自信を持っていたらしい。

 それがルイーズには通用しないのがショックだったようだ。


(ルイーズさんと言えば……先日の一件以来、あまりクライドに近付いて来なくなりましたわね)


 そう言えばとキャロルは思い出す。

 クライドとデートをした時に鉢合わせて以来、キャロルに対してルイーズの態度が軟化したのだ。そしてクライドへ迫る事もほとんど無くなった。

 彼女にどういう心境の変化があったのかはキャロルには分からない。

 けれどもクライドは安堵している様子だったし、キャロルもヤキモキしなくなったので、良かったと言えば良かったなと思っている。


「それで、どうしたら彼女に好きになってもらえると思いますか? 自慢ではないですが、私、お金はありますし、真面目に仕事に取り組めば将来も安泰です」


 事実ではあるのだが、やはりこの王子、自己評価が高い。

 隣に座ったメイが苦笑していた。


「刺された件とか、諸々のトラブルは解決したんですか?」

「ええ。全員に誠心誠意、謝罪をしました」


 メイが尋ねると、イリスはしっかりと頷いた。

 聞いた話によると、この辺りはイリスが家族にちゃんと見届けてもらえるよう頼んだそうなのだ。

 失われた信頼を取り戻すのは時間がかかる。けれども修道院で修行をしている間、イリスなりに思う所があったのだろう。

 しかし全員と言っているが、どれほどの人数だったのだろうか。

 少し気になったが、さすがに下世話である。疑問は疑問のまま自分の胸にしまっておこう。


 とりあえず解決しているなら、もしもルイーズが彼と良い感じになったとしても、大丈夫そうである。

 ……まぁ問題はイリスが本当に一途になったかどうかは、正直、今の段階だと本当に分からない事だが。

 信じたい気持ちはあるが、キャロルは姉から「浮気をする人間は、平気で繰り返すのよ」とも聞いている。

 なので、その辺りを踏まえて、イリスの事を完全には信用出来ていなかった。


「……あっ」


 そうしいると、イリスが小さく声を上げた。

 何だろうかと思って彼を見ると、イリスの目が真っ直ぐに、窓の外へ向けられていた。

 そこにルイーズの姿があった。彼女は一人、背筋を伸ばして堂々と歩いている。

 クライド絡みで色々あったが、こうして改めて見ると、ルイーズは同性から見ても美人である。堂々としているところは、とてもかっこいいとも思う。


「あぁ……素敵だ……。私も足元の石畳になって踏まれたい……」


 するとまぁまぁよろしくない言葉がイリスの口から零れた。

 そういう願望こそ心の中にしまっておいて欲しいものである。

 思わずキャロルとメイが半眼になった。


「……相談に乗るのやめようかしら。心配になって来たわ」

「私もその方が良い気もしてきましたの」


 感想を言い合っていると、イリスがこちらへ顔を向ける。

 そしてとても良い笑顔を浮かべ「それでは、どうしたら良いと思います?」と話を戻して来た。

 この王子はどういう神経をしているのだろうかとキャロルは思った。


「そうですわね……。私の場合は、やはり胃袋を掴んでみたらいかがかしらと思いますけれど」

「胃袋? ……あ、キャロルさんがいつもクライド君に差し入れしている奴ですか?」

「はいですの。カレーはクライドの好物ですのよ。なのでそれで、しっかり、ばっちり、がっつりと落としている最中ですの!」


 握った拳をぐっと天に突き挙げてキャロルは言う。

 おおー、とイリスは拍手してくれるものだから、ちょっとキャロルは気分が良くなった。

 そんな話をしていると、


「お、何ですか? カレーパンの話ですか、お嬢さん方」


 カフェテリアで働いているスタッフが、キャロル達の近くを通りかかった時に、そう声をかけてくれた。

 何度もカフェテリアを訪れている内に仲良くなったスタッフのナディアだ。キャロルより四つ年上の、ふわふわした赤毛が特徴の女性である。

 彼女はにこっと笑うと、


「キャロルさんのおかげで、カフェテリアのカレーやカレーパンがめちゃ売れているんですよ。売り上げが良い感じなんで、臨時ボーナスが出るんです。ありがとうございます!」


 そしてご機嫌にそう言った。キャロルがカレーパンを差し入れている事で、予想外のところに良い影響があったようだ。


「私は婚約者にカレーパンを差し入れていただけですわ。売り上げが良いのも皆さんの努力の賜物ですの!」

「あっ嬉しい事を言ってくれる……! へへへ、えへへ」


 ナディアは指で頬をかくと、ちょっと照れたように、にへらと嬉しそうに笑う。

 それから彼女は、


「ちょっと話が聞こえちゃったんですけど、胃袋を掴むってんなら、良かったらカレーパンを作って行きますか?」


 そんな提案をしてくれた。キャロル達の目が丸くなる。


「よろしいんですの?」

「ええ。カレーもまだ結構量がありますし、これから作る予定だったんですよ」


 ナディアはそう言ってキッチンを指さした。その辺りでは調理スタッフ達が、キャロル達に向かって軽く手を振ってくれている。

 キャロルは少し考えた。イリスは王子だ。たぶん料理とか、あまり経験がないのではないかと思う。

 せっかく場所を貸してくれると言ってもらえたのだ。お言葉に甘えて、この機会にチャレンジだけしてみても良さそうだ。


「イリス殿下、やってみませんか?」

「……そう、ですね。やってみたいです!」

「決まりですわね! メイもやりましょ!」

「あら、私も? 私はあげる相手はいないのだけれど……そうね。楽しそうだからやろうかしら」


 やる気満々のイリスに、おっとりと微笑むメイ。

 二人共頷いてくれたので、キャロルはナディアに向かって「よろしくお願いします!」と元気に頭を下げたのだった。

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