第12話


 クライドとデートをした翌日。

 昨日の楽しさの余韻に浸りながら、キャロルは今日も彼への差し入れのカレーパンを用意して、学園へ登校していた。

 朝の澄んだ日差しと小鳥の囀りの中を漂うカレーパンの香り。

 ここ最近、カレーパンの香りに染まっている学園では、あまりおかしな光景ではなかった。


 ちなみに今日のカレーパンはひよこ豆のカレーだ。

 試食してくれたキャロルの母には好評だったが、他の家族達は「そろそろカレーは飽きたな……」と言っていた。

 もしかしたらカレーパンを楽しんでもらうために、間に一度は違う料理の差し入れを挟むべきなのかもしれない。

 

 例えばレモネードとか、オーソドックスにクッキーもありだ。

 そして一度それを挟んだらまたカレーパン。完璧な流れではないだろうか。

 そんな事を考えながら歩いていると、


「キャロルさん、おはよう」


 生徒会長のバートランドに出会った。

 向かい側からやって来た彼の腕には、分厚い本が三冊抱えられている。

 本の背表紙にはキャロルも知っているミステリー作家の名前が書かれていた。ついでにその本は上巻、中巻、下巻となっているようだ。

 これは読みごたえがありそうである。たぶんタイトル的にはミステリー作品だろうか。

 バートランドのミステリー好きは学園内では有名な話である。


「おはようございます、生徒会長。図書館の帰りですか?」

「ああ。新作が入ると聞いたからね。一番に読みたくて、予約をしていたんだよ」


 そう言ってバートランドは抱えている本を軽く持ち上げ、爽やかに笑った。

 楽しそうで何よりである。学校が休みだったら、家に帰ってずっと読みふけっていただろう。

 ふふ、とキャロルが微笑んでいると、


「ところでキャロルさん。イリス殿下はクラスで上手くやっているかい?」


 バートランドはそう聞いて来た。

 眼鏡の奥の目には、こちらを心配しているような色が感じられる。

 「上手く」とは言うが、言葉の裏を返せば「問題を起こしていないだろうか?」である。

 イリスの素行について多少なりとも知っている人間で、かつ、生徒会を任された彼からすると気がかりなのだろう。


「大丈夫ですわ。……今のところは」


 さすがに不安点もあるので、キャロルは百パーセント肯定する事は出来なかった。

 だが、ひとまず今日までの時点では問題行動は起こしていない。

 なのでそうキャロルが答えると、バートランドはホッとした顔になった。


「そうか、良かった。メイさんからも聞いているんだけど、他の生徒の視点も欲しかったから」

「情報収集の基本ですものね」

「そうとも! 探偵に重要な技術だとも! ……いや、違う。生徒会長に必要な技術だよ」


 元気よく答えた後、バートランドは慌てて言い直した。将来は探偵になりたいのかもしれない。


「だけど本当に良かったよ。もし何かあったら遠慮なく相談してくれ」

「はい。ありがとうござます、会長」


 そう話しながら、キャロルはバートランドと別れ、教室へと向かった。




◇ ◇ ◇




 キャロルが教室へ入ると、そこにはイリスと話すクライドの姿があった。

 意外な組み合わせである。

 キャロルは目を瞬きながら、二人の方へ近づいた。


「おはようございます、クラ……イリス殿下、クライド」


 先にクライドの名前を呼ぼうとしかけて、キャロルは言い直した。

 さすがに不敬かなと思ったのだ。

 キャロルの声に気が付いて二人はこちらへ顔を向ける。


「おはよう、キャロル」

「おはようございます、キャロルさん」


 クライドは僅かに微笑んで、イリスは軽く手を振ってにこりと笑って挨拶を返してくれた。

 

「お二人がお話しているの、初めて見ましたわ」

「うん。初めて話しましたからね。クライド君は面白い人ですね」

「俺はキャロルに会いに来ただけなんだが……」


 楽しそうに話すイリスとは逆に、クライドは少し疲れた様子で息を吐いた。

 そんな彼の姿を見たキャロルは、これは元気付けるタイミングだとハッとなる。そして元気付けるならばやはり差し入れだ。

 キャロルは鞄からカレーパンの包みを取り出し、クライドへ差し出した。

 ふわりと広がるスパイシーな香りに、クライドが嬉しそうな顔になる。


「クライド、こちらをどうぞ! 今日はひよこ豆のカレーパンですのよ」

「わ、美味しそうだ。いつもありがとう、キャロル。今日はどんな味なのか楽しみだよ」


 クライドはカレーパンの包みを大事そうに受け取ってそう言った。

 するとそれを見ていたイリスが、


「いいなぁ。ねぇ、キャロルさん。私もあなたのカレーパンを食べてみたいです」

「駄目です。これは俺だけの特権です」

「一口で良いから」

「あげません」


 クライドはカレーパンの包みをサッと抱きしめて、イリスを軽く威嚇する。

 この二人、意外と馬が合うかもしれない。


「ところでクライド、そろそろカレーパンに飽きたりしていませんか?」

「いや、全然。キャロルの手料理なら、毎日でも食べたいくらいだよ」

「え? もしかして、このカレーパンってキャロルさんの手作りなんですか?」

「はい、そうですわ。クライドに食べて欲しくて頑張っておりますの!」


 正確には、クライドをがっつり落とすためではあるのだが。

 そこはぼかしてキャロルが頷くと、イリスは「そっかぁ」と呟いた。

 そして、ふわり、と先ほどとは違う優しい笑みを浮かべる。


「いいなぁ。私も、そういう相手に会いたいなぁ……」


 本当に羨ましそうにイリスは言う。

 うーん、とキャロルは少し考えた後、


「イリス殿下は、どんな女性が好みですの?」


 とストレートに聞いてみた。


「そうだね。皆、素敵だけど……強いて言うなら、気が強くて、押しが強くて、話をしていてゾクゾクするような女性……かな」

「…………」

「…………」


 やはりこの王子は特殊な趣味を持っている気がする。キャロルとクライドは真顔で押し黙った。

 ただ、まぁ、しかし。後半はともかくとして、前半部分ならキャロルの知り合いにいたような気がする。

 しかもここ最近よく見かけているような。


(気が強くて、押しが強くて……)


 そう考えていた時、


「失礼するわ!」


 と大きな声で誰かが教室へ入って来た。

 つられて顔を向けると、そこにはルイーズ・ハンプトンが立っている。

 彼女は可愛らしい紙袋を片手に持って、きょろきょろと教室内を見回していた。

 ややあって、彼女と目が合う。ルイーズは「あ」と口を開けると、キャロルの方へ真っ直ぐに近づいて来た。

 いつもはクライド以外見ていないのに珍しい。

 そう思っていると、


「キャロル・アップルヤードさん!」


 名前まで呼ばれた。どうやらキャロルに用事があるらしい。


「はい、何でしょう?」

「これよ!」


 聞き返すと、ルイーズはキャロルの胸に、持っていた紙袋を押し付けて来た。

 キャロルは目を瞬いてそれを受け取る。かさり、と中のものが揺れる音がした。

 紙袋からは甘い香りが漂って来る。この匂いは焼き菓子だろうか。


「ルイーズさん、これは?」

「マドレーヌよ。……貸しを作ったままじゃいられないから」


 ルイーズはそう言うと、ほんの少し顔を赤くして、


「それから、この間は……あ……あ……ありがと」


 小声で、早口で。

 彼女はそれだけ言うと、そのまま踵を返し、教室を出て行った。

 いつものルイーズと違って何だかかわいらしかった。

 キャロルがそう思っていると、クライドがポカンとした顔で「あのルイーズ・ハンプトンがお礼を言いに来た……」と呟いていた。


 まぁ、それはそれとして。今の言葉から察するに、どうやら昨日のお見合いは無事に破談となったようだ。

 カレーパンが役に立ったらしい。ふふ、とキャロルが微笑んでいると、


「…………かわいい」


 イリスの呟きが耳に届いた。

 顔を見ると、彼はルイーズが出て行った方向を食い入るように見つめている。アメジスト色の瞳が、とろんとしている。


『気が強くて、押しが強くて、話していてゾクゾクするような女性……かな』


 イリスを見ていたら、キャロルの頭にその言葉が蘇って来た。

 後半は個人の感じ方が違うので何とも言えないが、前半なら確かにルイーズ・ハンプトンが該当する。


「ルイーズ・ハンプトン……さん……」


 クライドの言葉もしっかり聞こえていたようで、イリスはうっとりとした声でルイーズの名前を呟いている。

 これは、どう見ても。


(一目惚れ……かしら)


 あらまぁと思いながら、キャロルは頬に手を当てた。

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