第11話
学園のお休みの日、キャロルはクライドと一緒に街を歩いていた。
デートである。
お洒落な空色のワンピースを着て、髪をリボンでまとめて。
手に持った鞄にはクライドに渡す用のカレーパンも入れてある。準備万端だ。
ちなみにカレーパンに限っては、家族から「本当に今日も持って行くのかい……?」と心配そうな目で見られてしまっていた。
だって今日はデートである。カレーの香りを漂わせてデートというのは、家族からすると何かこう、違う気がしたらしい。
けれどもキャロルからすれば、クライドの胃袋を掴んで自分に落すために、カレーパンは大事なキーアイテムである。手放せない。
そう宣言してキャロルは家を出た。
――のだが。
歩いていると、何だか家族の言っている言葉が気になり始めてしまった。
カレーの香りを漂わせながらデートに来た女の子って、クライド的にはどうなのかしら、とキャロルは不安になってきたのだ。
もしかしたらルイーズの言った「迷惑」云々は、そういう気遣いが出来ない事を指しているのかもしれない。そんな事を考えたとたんに、キャロルはサッと青褪めた。
「……キャロル? どうしたの、具合が悪い?」
そうしているとクライドが足を止め、キャロルの顔を覗き込んで来た。顔色が悪くなった事をいち早く察知してくれたらしい。
近づいて来る顔に、キャロルの顔が今度は赤くなった。
(ち、近いですの。かっこいいですの……!)
キャロルはクライドが好きだ。大好きだ。その大好きな人の顔が至近距離にあるというのは、なかなか刺激が強い。
はわ、とキャロルが慌てながら、首を横にぶんぶんと振る。
「だ、大丈夫ですの! その、ちょっと……心配になって」
「心配?」
「その……」
そう言いながらキャロルはバッグへ目を落とす。
すり、と左手で鞄に触れながら、
「……クライドは、カレーの香りのする女の子って、どう思います?」
と恐る恐る聞いてみた。それから、ちらり、と上目遣いに彼を見上げる。
するとクライドは、ピシャーン、とまるで雷に撃たれたかのように固まった。
それから彼は数歩後ずさって両手で顔を覆うと、
「かわ、いい……っ!」
なんて悶え始める。本当にキャロルに関してのみどうしようもない男である。
クライドはひとしきりそうした後、ふう、と息を吐いて現実に戻って来た。
そして何事もなかったかのように、
「カレーの香りのする女の子、好きだよ」
とキャロルに言った。
正確にはカレーの香りのするキャロルという女の子が好きだ、になるのだが。
その辺りはぐっと我慢して、ひとまず聞かれた事だけクライドは答える。
するとその言葉にキャロルは、パッと花が咲いたような笑顔を浮かべた。
「良かった……」
そして安堵の声を漏らした。
クライドはその顔を見て「ンッ」と変な声を上げていたが。
――その時だ。
「あら、クライドじゃない! 奇遇ね!」
なんて第三者の声が聞こえて来た。
これまでに何度も聞いているルイーズ・ハンプトンの声である。
彼女の声が聞こえた瞬間、クライドの目が据わった。
珍しい表情ねと思いながらキャロルが見ていると、彼は何も聞こえなかった素振りで、
「それじゃあ行こうか、キャロル」
なんてキャロルの手を再び握って歩き出す。
しかし、
「もう、聞こえているでしょ! 私よ、私!」
ダダッと走って来たルイーズに回り込まれてしまった。
クライドが大きくため息を吐く。
「俺とキャロルは今デート中なんだ。邪魔をしないでもらえるか?」
そして淡々とそう言った。小さな声で「せっかく楽しい気持ちでデートしていたのに……」とも呟いている。
それはキャロルも同感だ。
二人で楽しくデートをしていたのに、何の用事なのだろうか。
そう思ってルイーズを見るが、彼女はキャロルの方を一切見ていない。見事なまでにクライドしか、その瞳に映していなかった。
「あら、そうなの? ちっともそうは見えなかったから、ごめんなさいね」
「ルイーズさんは何のご用事ですか?」
ただ、目の前にいるのに黙っているのもどうかなと思ったので、キャロルはそう聞いてみる事にした。
すると彼女の目が、ようやくキャロルへ向けられる。
「ええ、そうなの。用事があるのよ。……ねぇ、クライド、それからキャロルさん。私、今、とっても困っているの。力を貸してもらえないかしら?」
そしてルイーズはそう続けた。
とても困っているという雰囲気には見えないのだが、とキャロルとクライドは揃って首を傾げた。
「困っている事?」
「ええ、そうなの。私、今……お見合いをさせられそうになっていて」
「ああ、いつもの事か。それは俺達にはどうにも出来ないから諦めてくれ。行こう、キャロル」
しかしクライドの判断は早かった。お見合い、の言葉が出た時点でキャロルの手を引いて歩き出している。
それを見て慌てたのがルイーズだ。
走って二人の進行方向へ飛び出ると、両手を広げて「止まって」とアピールする。
「ちょ、ちょっと! 困っているって言っているでしょ! 見捨てるの!?」
「ああ、見捨てる」
クライドは大きく頷いた。本当にキャロル以外には容赦のない男である。
それを見てキャロルは、助けた方が良いのかな、なんて思ったが彼女のお見合いに口を挟めるほど親しい仲では無い。それどころか、ルイーズがクライドを狙っているならば彼女はキャロルのライバルに当たる人物なのだ。
下手な事はしない方が良いし、助けるならばきっと彼女の友人が何とかするだろう。
そう思ったのでキャロルも、
「そうですわね。頑張ってくださいですの」
とクライドに同意した。これにはルイーズも若干ショックを受けたようで、
「あ、あなた達……意外と冷たいのね……」
なんて慄いている。ルイーズに言われる筋合いはないと思うが、やり取りだけを聞けば確かに冷たい印象を受けてもおかしくはない。
クライドはともかく、キャロルにまでそう言われたのが、ルイーズには効いているようだ。
はぁ、とため息を吐いて肩を落としている。
「……分かったわよ、もう」
彼女の様子に、おや、とキャロルは目を瞬いた。
いつもはもっと溌溂と色々と言って来るはずなのに、今日はその元気がないらしい。
すげない対応をしたものの、何だかちょっと気になって来た。
「ルイーズさんは、お見合いが嫌ですの?」
「嫌よ。当たり前でしょう。だって私、クライドの事が好きなんだもの。他の人と結婚なんてしたくないわ。……なのにお父様が勝手に」
「それに関しては同情するが、俺はキャロルと結婚するし、そもそもそうなったのは君の素行が原因だろう?」
「それは! ……そう、だけど」
ルイーズはカッとなって反論しようとしたが、直ぐにしゅるしゅると勢いが萎れてしまった。
……何だか本当に、いつもと違うので調子が狂ってしまう。
キャロルは少し考えた後、クライドを見上げた。
「ねぇ、クライド。お見合いにカレーの香りを漂わせて行ったら、どう思うかしら?」
するとクライドは目を丸くした後、顎に指を当てて少し考えてから、
「そうだね、俺なら大歓迎だけど……お見合いの場には相応しくないと考える人もいる思うよ」
と答えてくれた。
彼の言葉を聞いて、キャロルは「うん」と頷いた後、鞄からカレーパンの包みを取り出した。
そしてルイーズに近寄ると、それを彼女に差し出す。
ルイーズは怪訝そうな顔で包みとキャロルを交互に見た。
「……何よ、これ」
「カレーパンですの。どうぞ、お持ちになって」
「な、何でお見合いへ行くのに、カレーパンを持って行くのよっ」
「お見合い、上手く行きたくないんでしょう?」
「それは……そう、だけど」
「でしたら、どうぞ」
そう言ってキャロルはカレーパンの包みを、強引に彼女の手に握らせる。
ルイーズは困惑した顔になり、カレーパンの包みと、キャロルと、クライドを順番に見た。
見かねてクライドが、
「相手にもよるけど、カレーパンの香りを漂わせてお見合いに行ったら、まぁ変な顔をされるんじゃないかい? 後は君が上手くやると良いよ」
とフォローを入れた。ルイーズの目が大きく見開かれる。
それから彼女はパチパチと瞬いた後、手の上のカレーパンの包みを見下ろしす。
キャロルとクライドはそんなルイーズに「それじゃあ」と一言告げて、その場を後にした。
ルイーズは何か言いたげにキャロル達を見ていたが、先ほどのように追いかけて来る事はなかった。
「……はぁ。キャロルが俺のために作ってくれたカレーパンが……」
歩きながらクライドが残念そうにそう呟く。
ふふ、とキャロルは微笑んで、
「今度、もっと美味しいカレーパンを差し入れしますの!」
と言うと、クライドはパッと元気になって、
「っ、本当? 約束だからね、キャロル」
なんて嬉しそうに言ったのだった。
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