第2話
落とすと決めたら、まずは情報収集である。
……と言ってもクライドの事は大体知っているので、新しい情報となるとなかなかコアなものになってしまうのだが。
そんな事を考えながら、キャロルはカフェテリアへやって来た。
クライドと一緒に昼食を取る約束をしたのである。
カフェテリアはほどほどに混んでいて、美味しそうな香りが漂っている。
今日はカレーなのだろうか、食欲をそそるスパイシーな香りに、思わずお腹が鳴りそうになった。
「キャロル」
そんな事を思いながら待ち合わせ相手を探して辺りをきょろきょろ見回していると、席を取ってくれていたクライドが、直ぐにキャロルに気付いて呼び掛けてくれた。
大好きな婚約者の姿を見て、キャロルはパッと表情が明るくなる。
走り出しそうになるのを抑えながら、キャロルは彼の元へ向かった。
「クライド、お待たせしました!」
「全然待っていないよ。……何か顔色がいつもと違うけれど、どうかした? 何かあった?」
「いえっ何もありませんのよ。大丈夫ですの!」
心配してくれるクライドの気持ちが嬉しくて、キャロルはにこにこ笑いながら首を横に振ってそう答えた。
彼に隠し事はしたくないが、さすがに、先ほどのルイーズとの事を話す気にはなれない。
『クライドの優しさに付け込んで、強引に婚約したんでしょう? クライドが迷惑がっていたわよ!』
ルイーズの言葉が頭の中に浮かんで、ちくりと胸が痛んだ。
(……大丈夫、大丈夫よ。弱気になってはだめ。クライドがもし……もし本当に私を嫌いだとしても、落とすって決めたんだから)
やるぞと決めたものの、嫌われている可能性を考えていると悲しくなる。
もしもを想像したとたんに気持ちがしゅるしゅると萎む。
「……キャロル? 本当は何かあったんじゃないのか?」
そうしているとクライドが顔を覗き込まれてしまった。
顔がいつもよりちょっと近い。
「はわ」
キャロルは思わず心臓を押えて数歩後ずさった。
(か……かっこいい……!)
それだけで悲しい気持ちが吹き飛ぶくらいの効能がある。
キャロルはそこそこ単純なのだ。
「だ、だ、大丈夫ですの! 今日もとっても素敵ですわ、クライド! 大好きです!」
「あまり大丈夫には見えないのだけど」
「えへ……大丈夫じゃなくても、大丈夫になるくらいの力がクライドにはありますの」
「そ、そう……か」
キャロルがにこにこし笑ってそう言うと、クライドは手で口を隠し、少し動揺しながらそう言った。
心なしか照れている――ような気がするが、キャロルは先ほどの事で学んだ。
自惚れてはいけないと。
クライドを完全に落としきるまでは『もしかしたら』を考えなくてはならない。
そう思い、ぐっ、とキャロルは自分に気合を入れた。
まぁ、それはそれとしてだ。
情報収集――も大事だが、自分達はまだ午後の授業がある。
最優先すべき事は食事だ。腹が減っては何も出来ない。
「クライド! とりあえずお昼を食べましょうっ」
「あ、ああ、そうだね」
「クライドは何を食べます?」
「今日はカレーかな」
「カレー! クライド、カレーお好きですもんねぇ。私もそうしましょ! ……甘口あるかしら?」
「もし辛口だけだったら、一口あげるよ」
「嬉しいですの!」
キャロルはクライドの手を握ると、軽く引っ張りながら、メニューを注文しに向かって行った。
◇ ◇ ◇
「――という話をしたんだが、キャロルに何があったんだと思う?」
昼食後。
カフェテリアを後にしたクライドは、キャロルを教室まで送り届けた後、自分も教室に戻り、そこで幼馴染のチャーリーに先ほどの事を相談していた。
どう考えてもキャロルの様子が、いつもとちょっと違ったからである。
クライドの婚約者キャロル・アップルヤードは天真爛漫で天然で素直――そしてちょっと猪突猛進だ。
そういうところもクライドはかわいいと思っているが、如何せん、突拍子の無い事をしかねない面もある。
だからキャロルが無茶をしないように、なるべく事前に情報を仕入れておきたい。そして出来る限りフォローをしたい。
クライドはそう思っていた。
そんなクライドの相談を受けたチャーリーは、
「ああ。俺が聞いた話だと、お昼前に、ハンプトン家のお嬢さんとちょっと揉めたらしいぜ」
と教えてくれた。
これにはクライドも少し驚いた。キャロルは揉め事を起こすタイプではないからだ。
「揉めた? キャロルが? あのルイーズ・ハンプトンと?」
「驚くよな~。分かる分かる。キャロルちゃん、騒動は起こすけど喧嘩はしないタイプだもんな。安心しろよ、突っかかってきたのはルイーズさんの方だからさ」
「ああ……」
それなら納得だとクライドは思った。
クライドはルイーズと幼い頃から多少の交流はある。
両親が仕事の関係で、ハンプトン家とやり取りがあり、その関係で食事会等に連れて行かれたからだ。
しかしクライドからルイーズへの印象は最悪だった。
会うたびに命令のような物言いをされて、引っ張りまわされ。
出来れば距離を置きたいと考えている相手だった。
しかも同い年なので、学園に入学してから以前よりも絡まれる頻度が増えて困っている。
「だが彼女がどうしてキャロルに突っかかって来たんだ?」
「何かお前と婚約を解消しろって言っていたらしいぜ」
「は?」
婚約解消。
チャーリーの口からそれが出た途端、クライドの周囲の温度が一気に下がった――ような気がした。
「お前、顔が怖いよ」
「俺の表情はあまり変化がないと言われているので問題ない」
「問題あるわ。もう少し感情を顔に出せ。どうも今回の揉め事はそれが原因らしいぞ」
「俺の表情が?」
チャーリーの言っている言葉の意味がよく分からず、クライドは首を傾げる。
「キャロルちゃんといるお前、ちっとも楽しそうじゃないってよ」
「楽しくて仕方がないが?」
クライドは婚約者であるキャロルの事が大好きだ。
キラキラした目で自分を見つめてくる彼女がとてもかわいいと思っている。
きっかけは本当に些細な事だった。誰かに話したら「それだけ?」と言われるくらいのものだ。
けれども、それが理由で今の自分があるし、それで彼女を好きになった事を恥ずかしいとはクライドは思わない。
彼女と婚約出来た時は本当に嬉しかった。
元々クライドは自分が騎士になれたら堂々とキャロルに、婚約を申し込みに行こうと考えていた。
まぁ当時の自分のちっぽけなプライドのようなものだ。
それまではキャロルに変な虫がつかないように牽制して――なんて思っていたら、逆にキャロルから婚約の申し込みが来た。
会うたびに「婚約してほしいんですの!」とか「大好きですの!」と言われて最初は、嬉しいけれど騎士になってからと決めていたのに、このまま受けて良いのだろうかと悩んでいた。しかしそんなクライドのプライドは、ひと月ほど熱烈に告白されたあたりで崩れた。
だってあまりにかわいかったのだ。好きと言い続けてもらえて幸せだったのだ。
キャロルの手を取って「僕もキャロルと婚約したい」と答えた時の、キャロルの笑顔を思い出すと今も顔がにやけて来る。
なのでクライドは今、キャロルと同じ学園に通えて毎日がとても楽しいのである。
確かに顔には出ていないかもしれないが、楽しくて楽しくてたまらない。家族からは「婚約した時と同じくらい浮かれている」とまで言われているくらいだ。
なのでよく知らない他人から「ちっとも楽しそうじゃない」と言われるのはだいぶ不快である。
「俺はキャロルと婚約を解消するつもりはないよ」
「うん。キャロルちゃんもそう言ってたらしいよ」
「そ、そうか……」
それを聞いてクライドの機嫌がちょっと良くなった。
そんなクライドの様子に、チャーリーは苦笑する。
「まぁ、それは良いとして。ルイーズさんさ、キャロルちゃんにお前との婚約を解消させて、自分が婚約者になろうとしているみたいだぜ」
「あり得ないし、普通に嫌だ」
「だよなぁ。昔からあの子、お前に対して態度悪いもんな……」
チャーリーは遠い目になってそう言った。
幼い頃から付き合いのあるチャーリーも、ルイーズに振り回されるクライドの姿はよく見ていて、同情してくれているのだ。
「確かに婚約がどうのという話はハンプトン家からあったが、母が激怒して断っていたよ」
「それ、今も諦めてないみたいよ」
えっ、とクライドは目を丸くした。
「キャロルと婚約しているのに?」
「だから解消させようとしているんだよ。モテるねぇ」
「迷惑だ……」
クライドは呆気に取られて、こめかみを押えた。
そんなに常識のない行動を取る相手だとは思わなかった――わけではないが、取って来るとは思っていなかったからだ。
「ま、指の皮程度のうっすい可能性で婚約解消になったとしても、クライドがルイーズさんと婚約する事はないからなぁ」
「まず婚約解消しないから。……それでキャロルに迷惑をかけたなんて最悪だ」
「……ちなみにこの話には続きがある」
「まだ何かあるの」
「キャロルちゃんさ、お前をしっかり、ばっちり、がっつり落とすらしいぜ」
「えっ」
再び降下していた気分が、その一言で一気に急上昇した。
クライドは目を見開いてチャーリーに詰め寄る。
「本当か」
「近いよ。本当だとも」
「そ、そうか……キャロルが……。もうすでにがっつり落ちているのに、さらに……?」
「…………お前はそういうところを、他人の前でもうちょっと出せば良いと思うよ」
チャーリーに呆れ混じりに言われたがクライドの耳には聞こえていない。
そんなクライドはチャーリーと、何だかんだで話が聞こえてしまった級友達から生暖かい眼差しを向けられながら、キャロルがどうやって自分を落してくれるのか想像して喜びに悶えていた。
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