キャロル・アップルヤードは婚約者の胃袋をカレーパンで掴みたい。

石動なつめ

第1話


 世の中には『試練がある恋ほど燃える』という話があるらしい。

 それはキャロル・アップルヤードにも訪れていた。


 キャロルには好きな人がいる。

 婚約者のクライド・オルコットだ。歳はキャロルと同じ十七歳。

 優秀な騎士を多く輩出してきたオルコット家の三男で、彼もまた騎士を志している。

 輝くような金の髪に青い瞳をした、絵本に描かれているような『王子様』をそのまま現実に引っ張り出して来たような男性だ。

 口数は多い方ではないが紳士的で親切で、キャロルが通っている学園では「その控えめさが良い!」と彼に憧れる女生徒も多い。


 しかしあいにくとキャロルが惹かれたのはそこではない。

 大好きなのは事実だけれど。


 さて、そんなキャロルは今、学園のカフェテリアへ向かおうとしていた。

 クライドと一緒に昼食を食べる約束をしているのだ。

 好きで好きでたまらない婚約者と一緒に昼食である。スキップしそうになるのを抑えながらキャロルが歩いていると、


「キャロル・アップルヤードさん。ちょっと良いかしら?」


 なんて呼び止められた。

 振り返るとそこには、艶やかな長い黒髪を揺らした美少女が立っていた。

 同じ学年のルイーズ・ハンプトンだ。

 意志が強く、気が強く、実家も裕福。それに加えて容姿の美しさもあって、学園ではなかなか有名な人物だ。

 キャロルも彼女の事は知っているが顔見知り程度で、特に接点はなかった。


 ――はずだ。


(私に何のご用事かしら)


 声をかけられる理由は思いつかないが、とりあえず返事はしてみよう。

 そう思ったのでキャロルは頷いた。


「こんにちは、ルイーズさん。何かしら?」

「あなたの婚約者の事でお話があるのよ」

「クライドの事で?」


 ルイーズの口から出て来た名前にキャロルは目を丸くした。


「ええ、そうよ。あなた、クライドを強引に婚約者にしたって話じゃない」

「強引……」


 どうだろうかとキャロルは少し考える。

 確かにこの婚約は、キャロルがクライドに恋をして、押して、押して、押しまくったから結ばれたものだ。

 そう考えると強引と言われても仕方がない気がする。

 けれどもクライドや彼の家から嫌だと断られた事はないので、無理矢理というわけでもないと思うのだが。


(それにうちの家はオルコット家よりも立場が下だし、メリットだって、ひとまず両家にデメリットはないよねくらいの感覚だし)


 クライドが嫌だったら断りやすい立場ではある。

 なので嫌がれてはいない……と思うのだが。

 キャロルがそう思っていると、


「ええ、そうよ。クライドの優しさに付け込んで、強引に婚約したんでしょう? クライドが迷惑がっていたわよ!」

「えっ」


 それは初耳だった。それが本当だったら、さすがにキャロルもショックである。


「クライドから言われた事はありませんわ」

「言わないでしょうね。クライドはそういう人なのよ、私には分かるわ」

「どうしてあなたなら分かるんですの?」

「そんなの見ていれば分かるもの。だってあなたと一緒にいるクライド、ちっとも楽しそうじゃないのよ。気付いていなかった?」


 ルイーズはそう言うと、左手を腰に当て、右手の人差し指をずい、とキャロルにつきつけてきた。

 確かにクライドは表情の変化が乏しいが、そのささやかな変化を見るのがキャロルは好きなのだ。


 ――けれど、もし、あれが本当に楽しくないと思っている表情だとしたら?


「……お分かりかしら? 分かったら、婚約の解消について彼とお話をしてちょうだい?」

「……嫌です。お断りしますの。だって、私、クライドが大好きですもの!」

「それが迷惑がられているって言っているの。あなたが卑怯な手を使ったから、私とクライドは婚約できないのよ」

「クライドとあなたが?」

「ええ、そうよ。そのつもりでいたのに……何であなたが……」


 ルイーズはキッとキャロルを睨みつけると、


「私の方がクライドにふさわしいわ。私の方がクライドを愛しているのよ。いいこと、婚約解消の事、ちゃんと考えなさいね!」


 言うだけ言うと、そのまま踵を返して去って行ってしまった。

 残されたのはキャロルと、たまたま居合わせた学生達だけだ。

 

「…………迷惑。クライドに、迷惑」


 キャロルはぶつぶつと呟く。

 さあっと青褪めたキャロルを見て、さすがに心配になったようで、


「あ、あの……大丈夫?」


 と声をかけてくれる生徒もいた。

 しかしキャロルは応えられない。

 ルイーズに言われた言葉で、頭の中がいっぱいだったからだ。


(クライドが大好き。好き。大好き。大好きで……でも、嫌われていたとしたら?)


 嫌だ。そんなの嫌だ。

 言われてみれば、可能性としては確かにある。

 だけど、どんなに迷惑でも婚約を解消したくない。

 だってキャロルはクライドの事が大好きなのだ。結婚して、子供を産んで、おじいちゃんとおばあちゃんになって、そして一緒のお墓に入るのである。

 その間はお互いに好きな関係でいたい。


 ならば、どうするか。

 そう考えた時、キャロルの頭に名案がピーンと浮かんだ。


「そうだわ。なら、なら……クライドに私をもっと好きになってもらえば良いんだわ……」


 そこである。

 要は落とせば良いのだ。メロメロに。でろでろに。

 クライドが自分に惚れてくれるように頑張れば良いのである。

 キャロルはぐっと右手をで拳を作り、


「待っていてくださいませ、クライド! 私っ、あなたをしっかり、ばっちり、がっつりと! 落としますの!」


 天に向かって突き上げると、大きな声でそう宣言した。

 ちなみに声をかけてくれた生徒を含む周囲は、


「元気そうで良かった良かった」

「いつも通りだね」


 何てほっとした顔をしていたのだった。

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