第3話


 キャロル・アップルヤードがクライド・オルコットと出会ったのは今よりずっと前の事。

 騎士団へ見学に行った時だった。


 当時六歳のキャロルは、寝る前に両親が聞かせてくれる騎士のお話が大好きだった。


 竜を倒して、高い塔からお姫様を助けたり。

 国を守るために命を懸けて戦ったり。

 忠誠を誓った主のためだけに、すべてを敵に回したり。


 中には六歳の子供に聞かせる内容ではない、なかなかシビアでどろどろした物語もあった。

 あまりにキャロルがせがむものだから、物語のストックに困った両親があちこちから騎士に関係する物語を集めた結果がこれである。ついでに兄と姉もそれに参戦した。

 そして末っ子の関心を引きたい家族達が競い合って物語を集めた結果、多種多様な騎士物語が揃ったというわけである。


「キャロルは本当に騎士が好きだね」

「うん、大好き! だってかっこいいもの! 私もそうなりたいわ!」


 そしてついにはそんな事まで言い出した。

 しかしキャロルはどんくさい。向上心があってもどんくさい。なので騎士になるのは無理だろうと、木の棒をえいえいと振り回すキャロルを見て家族は思った。

 ついでに、その内飽きるだろうと。

 しかし木の棒を振り回すのは毎日続くし、乗馬の練習もしたいと言い始めたあたりで、家族は「あ、これはまずい」と思った。

 うちの娘、このままだと本気で騎士を目指しそう、と。


 キャロルの家族は、彼女が目指した道であれば応援する事は吝かではない。

 けれども騎士はまずい。どんくさくて、素直で、猪突猛進気味なキャロルが、万が一でも騎士になったら何をしでかすか分からない。

 キャロルの事はかわいいが、それはそれ、これはこれである。アップルヤード家の人間はそこまで能天気ではない。それにキャロルが騎士になれるとも思えなかった。

 なのでキャロルに出来れば早めに、納得の行く理由で諦めてもらいたいと考えた。


 しかし、どうしたものか。家族は頭を悩ませた。

 そうして浮かんだのが「本物の騎士の厳しい訓練を見せれば諦めがつくのではないか」という案だった。

 思い立ったが吉日と言わんばかりに、父は騎士団の知り合いに頼んで、訓練を見学させてもらう事になった。


「キャロル、私の今度の休みに、一緒に騎士団へ見学に行かないかい?」

「行きたいですの! 嬉しい、お父様大好き!」


 ついでにかわいい娘からの大好きをゲットした父は、しばらくデレデレしていた。

 さて、そんな調子で父と騎士団へ見学に行く事となったキャロルは、そこでクライドと出会ったのだ。

 



◇ ◇ ◇




 クライド・オルコットはその日、とても不機嫌だった。

 父親に強引に騎士団に連れて来られたからである。


「お前と同い年くらいのお嬢さんが、騎士団へ見学に来るんだ。せっかくだから一緒においで」


 父はクライドにそう言った。冗談じゃないとクライドは思った。

 だってクライドは騎士なんて好きじゃないし、なりたくもないと思っていたからだ。


 多くの優秀な騎士を排出しているオルコット家の人間だからと、クライドは生まれた時から騎士を目指す事を望まれた。

 六歳にもなれば、自分がやりたい事やなりたいものだって漠然と浮かんでくる。

 実際に幼馴染のチャーリーは、将来はピアニストになるのが夢なんだと楽しそうに語っていた。


 けれども自分は違う。自分が望んだからではなく、周りから「騎士になれ」と押し付けられているだけだ。

 それがクライドはたまらなく苦しく感じてしまった。

 もしもこれが周囲からの望みではなく、自主的になりたいと思っていたなら違っていたかもしれない。

 そんな理由で、この頃のクライドは騎士に憧れなんてこれっぽっちも持っていなかったのだ。


 しかし父は「まぁまぁ、とりあえずおいで」なんて言って、クライドを騎士団へ連れて行った。

 物腰が柔らかく、優しく、口調もおっとりした父だが、どこか他人に有無を言わせぬ謎の迫力がある。

 まぁ、ただ優しいだけの人間が騎士団の副団長なんて務まらないはずだから、クライドの知らない何かはあるのだろう。


 ――という事を考えて現実逃避をしつつ、クライドは件の「同い年くらいのお嬢さん」の前へ連れて行かれた。


 薄茶の髪に、くりくりした緑色の瞳をしたかわいらしい少女だ。

 クライドが抱いた第一印象は「リスみたい」だった。

 名前をキャロル・アップルヤードと言うらしい。


「私、騎士が大好きですの。将来、騎士になりたいんですの!」


 キャロルはそんな事を言うものだから、クライドは内心「ケッ」と悪態を吐いた。


「騎士なんて良いものじゃないよ」


 そして反射的にキャロルにそう言った。

 すると目の前の少女は目を丸くして首を傾げる。

 しまった、言い過ぎただろうか。泣いてしまうかなとクライドは一瞬思った。

 しかし、


「キャロルが好きなものを、あなたに否定される謂れはありませんの」


 キャロルはごくごく当たり前のようにそう言った。

 これにはクライドの方が驚いてしまった。目の前の少女は、泣くでもなく怒るでもなく、淡々とそう言い返してきたのだ。


「そっ! ……それは、そう。……ごめん」


 彼女の言葉に、さすがにちょっと悪いなと思ったのでクライドは謝ると、


「構いませんの!」


 キャロルはにこにここ笑って許してくれた。

 その笑顔にクライドがすっかり毒気を抜かれてしまっていると、キャロルはトコトコと自分の直ぐ近くまでやってきて、


「一緒に訓練を見学しませんか?」


 と聞いて来た。

 まぁ、それが理由で連れてこられたので、そこから逃げられるとは思えない。

 選択肢がないんだよなと思いながらクライドが頷くと、


「いや、えっと……別に良い、けど」

「うふふ、嬉しいですの!」


 キャロルは言葉通り嬉しそうに笑ってクライドの手を握って来た。

 そして「行きましょう!」と手を引いて歩き出す。

 見かけによらずかなり行動的だ。クライドが困惑して父達を見上げたが、


「行ってらっしゃい」

「キャロルをよろしくね」


 なんて笑顔で送り出されてしまった。助けて欲しい。

 しかしクライドのそんな気持ちなど伝わるはずもなく。

 微笑ましいものを見るような目を向けられながら、クライドはキャロルに引っ張られて、騎士団の訓練場が見えるところまで歩いて行った。


「わあ! 騎士様がたくさんです。すごいですの!」

「別にすごくはないだろ」

「私、こんなに集まっているところを見たのは、今日が初めてなんですのよ」


 ウキウキと声を弾ませるキャロルに、何がそんなに楽しいのかと思いながら、クライドも騎士達へ目を向ける。

 今日は剣術の訓練らしい。皆、真剣な顔で訓練に勤しんでいる。

 その中にはクライドの兄の姿もあった。

 クライドの兄は騎士になるのが夢だと言っていた。自分で選んだ夢を叶えられて、きっと誇らしいだろう。


「…………」


 じわり、と胸の中に苦い気持ちが広がる。

 自分で選んでいない未来を選ばされる。それが――それがクライドには本当に嫌だった。

 自然と視線が下りていく。


「あなたは騎士がお嫌い?」


 するとキャロルがそう尋ねて来た。

 クライドは、ハッとし、彼女の方へ目を向けた。


「……嫌い」

「理由を聞いても良い?」

「…………僕は騎士になんてなりたくないのに、父様も母様も兄さんも、皆が騎士になっているから。だから僕もなるんだって勝手に決められた。それが、すごく嫌なんだ」


 家族でもない、よく知らない少女だからか、クライドはするすると自分の気持ちが口から出た。

 どうせ言ったってどうにもならない。そういう相手だったから言えたのだとクライドは思う。


 ――しかし。


 そのどうにもならないと思っていた少女は、


「ならそれを、あなたのお父様へ言いに行きましょう!」


 なんて言った。

 彼女が何を言っているか理解出来なくて、えっ、とクライドは聞き返す。


「な、何」

「だって、嫌なんでしょう? なりたくないんでしょう? なら黙っていないで、言葉で伝えに行きましょう。私も一緒に行きますわっ」

「は――――」


 何を言っているんだ、この子は。クライドは目を剥いた。


「い、言えるわけないだろうっ!? そんなの、どうせ無駄だって」

「あら。やってもいないのに、無駄だと決めつけないでくださいまし」

「簡単に言うなっ」

「簡単だと思っているなら。その簡単を、どうしてあなたはしないんですの?」

「…………っ!」


 キャロルは真っ直ぐにクライドを見てそう言った。

 その問いかけに、クライドは直ぐに答えられなかった。

 どうして。……どうして?

 自分で無駄だと決めつけてはいたけれど、どうしてしないのかまでは、しっかり考えた事がなかった。

 クライドは視線を彷徨わせながら、胸の前で両手をぐっと握る。


「…………だって。……だって、期待、してくれている、から」

「はい」

「……………嫌だって、言ったら、がっかり、する」


 自然と浮かんだ言葉に、ああ、とクライドは納得する。

 決めつけられて嫌だった。自分で選べない事が不満だった。

 でも、嫌だ嫌だと言っているだけで――本気で嫌だと、その理由を伝えられなかったのは、本当は。

 再び視線が下を向く。情けなさと羞恥心で目の奥が熱くなってきた。

 しかし、


「あなたは家族想いですのね」


 キャロルは優しい声でそう言ってくれた。


「っ」


 思わず顔を上げたら、彼女は優しく微笑んでいる。


「……僕が?」

「はい。だって、悩んでいるじゃありませんか。自分の気持ちだけなら、そんなに悩んだりしないと思いますの」

「…………そうかな」

「そうですの。ですから」


 そこで彼女は言葉を区切って、クライドの後ろを指さした。


「もう一度、伝えてみましょう?」


 振り返り、その細い指の先を見ると、そこにはクライドの父と、キャロルの父が立っていた。

 クライドの父は申し訳なさそうな顔をしていた。


「父様……」

「クライド、お前がそんなに悩んでいるとは思わなかった。……気付いてやれずに、すまなかったね」


 父はそう言うとクライドをそっと抱きしめた。

 クライドはあたふたとしながら、キャロルを見る。

 キャロルはにこっと笑っていた。それから声に出さずに『ファイト!』と口を動かす。

 クライドは目を瞬くと、こくり、と頷いた。


「あの、父様。僕――――」




 これがキャロルとクライドの出会いで――この時クライドはキャロルに恋をした。

 実のところキャロルが彼に恋をしたのは、初めての出会いよりももう少し後になる。

 そしてそんな二人が婚約者になったのは、そこからさらに時間が経ってからだった。

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