第九話 「こんにちは」

 女性まで、あと二メートル手前まで迫った。


 女性は正面を見据えたまま、こちらに視線を向けない。


 

 どうして……。


 僕の心が嘆きに近い声を漏らす。


 同時に、僕の手が女性の右肩に伸びそうになる。


 理由は僕にも分からない。


 

 女性との距離は数十センチまで縮まる。


 すると、無意識のうちに僕の口が開く。


 そして、言葉を発しようとした。



 次の瞬間、二つの瞳がゆっくりと僕に視線を向けた。


 それからすぐ、瞳の主がやさしい声を発する。



 その瞳の主は……。



「こんにちは」



 僕の耳をやさしい女性の声が包む。

 

 それからすぐ、木漏れ日が差し込む。


 そして、女性の表情がはっきりと僕の目に映る。



 彼女は、あの子によく似た……。


 いや。



 二年前まで僕が交際していた、あの子だった。



 彼女と正対した瞬間、僕の高鳴る鼓動の音をかき消すように、風が木々の緑をやさしく揺らした。

 

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