第8話 機巨組の紫虎
紫虎は貧困街では有名だった。
虹色の瞳、赤、橙、黄、緑、青、藍、紫と七色に輝く珍しい瞳の少女として街で知られていて、同時に遺伝子操作で生まれたと思われるほどの美少女でもある。
頭の回転が速く、夷狄による大規模襲撃では少年少女達を指揮して生き延びた武勇伝もあった。
現在は仲間と共に機巨組に所属していて、進級探索士として遺跡探索を仕事にしていた。
月盾よりも三ヶ月早く十五歳になったので、月盾よりも三ヶ月早く彼女は探索士になった。
しかし、三ヶ月の間に、紫虎は進広四級から進広三級と二階も昇級している。
来週には進大三級に昇級すると言われていて、小建社会で期待されている将来有望な探索士である。
月盾は今まで三回だけ紫虎と言葉を交わした。
三回とも月盾が年上の不良に襲われている時に助けてくれたのだ。
不良達は月盾を脅して盗みを手伝わせようとして、あるいは十二月二十四の降誕祭前夜に配布される焼き菓子を奪おうとして、月盾を殴り、暴力で従わせようとした。
しかし、正義感が強いのか、紫虎と彼女の仲間が傷だらけになった月盾を助けてくれたのである。
紫虎は怪我をしていた月盾に傷薬を渡して、何かあれば私達に相談しなさいと言った。
彼女の庇護下にあると思われたのだろうか、三回目を最後に月盾は襲われなくなった。
一度、彼女の徒党に入れて貰おうと決心して、月盾は紫虎が住処にしている集合住宅を訪ねた経験がある。
紫虎には恩があると信じて、彼女に恩を返すという名目で近付きたいと夢想していたのだ。
しかし、紫虎派の少年少女達は不機嫌な顔をして、当時十三歳だった月盾は追い返されてしまった。
紫虎の仲間達は月盾を歓迎していなかった。
徒党に加えて欲しいと言ってきた貧しい少年の正体も目的も分からないからだ。
当時、月盾には何の信頼もなかった。
「紫虎は誰にでも優しい。だから、お前のような得体の知れない奴を紫虎の徒党に入れる事はできない」
「ぼくは徒党に貢献できる」
月盾が言うと、相手は睨んだ。
「最近、紫虎を狙う暴力団が多い。お前が暴力団に何かを頼まれて来た可能性がある限りは紫虎に会わせる訳にはいかない。今年だけでも八人が紫虎を狙ってきた。もう裏切りは二度と御免だ」
月盾は紫虎の徒党に入るのを諦めた。
彼等の主張に納得したのもあるが、同時に自分と紫虎の徒党に大きな距離を感じたからでもあった。
同じ小建でも紫虎と自分は別の世界の住人だと思った。
徒党に貢献できると言ったが、本心では自分が紫虎派に貢献できる姿を想像できなかった。
二年後の今、月盾は十五歳で探索士だった。
紫虎派の活動拠点が白薔薇遺跡なので、彼女の徒党とは大型乗合車で一緒になる。
しかし、同じ大型乗合車にいても紫虎と月盾は今でも別世界の住人だった。
月盾は路地裏で暮らす小石で、紫虎は暴力団でも小建支部でも期待されている輝く星である。
同じ車にいるのが恥ずかしくて、月盾は離れた席で静かにしていた。
「はじめまして、私は進大三級探索士の幽鬼よ。同じ進級探索士の月盾君ね」
食料配給所で月盾の隣に並んだ黒髪の少女は、幽鬼だった。
瞳は黒曜石のように漆黒に輝いていて、黒髪は長く背中まで伸ばしている。
白薔薇遺跡で入手したのだろう、椿の赤い髪飾りを挿していた。
進級探索士らしく青と黒の防弾服を着ている。
実際に言葉を交わして話をしたのは初めてだったが、月盾は彼女を知っていた。
幽鬼は紫虎の側近として小建支部でも有名な探索士である。
紫虎派の少女部隊の統率者で、紫虎と同じく美しい容姿で少年達の憧れだった。
大型乗合車では常に紫虎の隣に座っていて、紫虎が最も信頼する腹心とされている。
「はじめまして、進広四級探索士の月盾です」
月盾は幽鬼が十六歳で、自分よりも一歳年上であると思い出した。
それで敬語で自己紹介をしたのだった。
幽鬼は笑った。
「月盾君は昨日は狼型兵器を連れていたでしょう。契約したの? 気になったので話しかけさせていただきました」
幽鬼が悪戯な笑みを浮かべると、月盾は赤くなった。
「それで、話を聞かせて貰っても良い?」
「分かりました」と月盾は笑顔で答えた。
「ありがとう」と幽鬼は笑った。「そういえば、先に謝罪しておくね。鱗蛇本部長が月盾君の獲物を横取りしようとしたのでしょう。彼は機巨組で、私達の仲間なの。だから本当にごめんなさい」
幽鬼は深く頭を下げた。
月盾は鱗蛇が機巨組であると知っていたし、紫虎が機巨組であるのも知っていた。
「別に怒っていません。むしろ逆です。黄金姫はぼくの獲物ではなくて、ぼくは彼女に襲われていたのです」
「そうなの? それなら良かったわ」と幽鬼は笑顔になった。「でも、それでも獲物を横取りするのは褒められない行為だから謝罪するわね。そして、月盾も獲物を獲られたのなら怒らないと駄目よ」
月盾は幽鬼に遺跡での出来事を話してしまった。
地下室に連行されて、それから黄金姫に報酬として狼型兵器を貰ったという内容まで話した。
結果、幽鬼は小建支部の女性職員が知った内容と同程度の情報を手に入れた。
食料を受け取るために並んでいた貧困者の列は徐々に進んだが、幽鬼と話をするのが楽しかったので、月盾は列が永遠に続けば良いとすら思っていた。
左薬指に嵌められていた金の指輪が、今直ぐに会話を止めろと激しく振動していたが月盾は無視した。
幽鬼と話ができる時間は貴重だったので、黄金姫に邪魔されてくなかった。
月盾は食料配給所で、残念な気持ちで朝食と昼食用の弁当を受け取った。
幽鬼は親しげに月盾に尋ねた。
「ねえ、月盾は今から白薔薇遺跡に行くの?」
「その予定ですけど」
月盾の答えを聞いて、幽鬼は手を叩いた。
「ねえ、私達と一緒に探索しない? 紫虎と組めば効率的に遺物を収集できるから悪い話ではないと思うわ。最低でも一日一万三千紅銭は保証するわよ。ちなみに、今までの最高値は一人当たり二万二千紅銭ね」
「本当に?」
これまで遺物の販売額が五千紅銭を超えた経験がない月盾は驚いた。
左手の指輪が悲鳴を上げているかのように振動した。
「それくらいにしておきなさい、幽鬼」
突然、後ろから声がして月盾は驚きで身体を跳ねさせた。
振り返ると、防弾服を装備した銀髪の少女が立っていた。
「紫虎、私に任せてと言ったでしょう」と幽鬼が文句を言った。
「幽鬼、やり過ぎよ。私は挨拶までしか許可してないわ」
銀髪で虹色の瞳をした少女。
彼女は紫虎だった。
紫虎は月樹に微笑むと、不機嫌な顔で再び幽鬼を見た。
「私、紫虎は慎重すぎると思うわ」と幽鬼が溜息を吐いた。
「幽鬼は無邪気すぎるわ」と紫虎が答えた。「相手の迷惑も考えなさい、昨日の今日なので神経質になっているかもしれないのに」
そして、再び月盾を見ると、紫虎は美しい声で自己紹介をした。
「進広三級探索士の紫虎です。こうして話をするのは五回目ね」
月盾は驚いた。
月盾の記憶では四回目だったが、月盾が憶えていないだけで幼い頃に彼女と会話した経験があったのかもしれない。
しかし、それ以上に驚いたのは紫虎が月盾の存在を憶えていた事だった。
月盾が紫虎との会話を憶えているのは当然である。
紫虎は有名人で英雄だからだ。
しかし、紫虎には月盾は夏の街灯に集まる羽虫と同じなので、彼女が月盾を記憶しているのは驚きだった。
紫虎は出会った人物全員の顔と名前を覚えているのだと月盾は確信した。
そして、それは月盾だけの妄想ではなく、小建支部で広く共有されている噂だった。
「進広四級探索士の月盾です」
月盾も自己紹介をした。紫虎は笑った。
「知っているわ。今、小建支部で月盾は有名よ。黄金姫と契約して無事に遺跡から帰ってきたのは月盾が最初だもの」
月盾は「契約」という単語で動揺した。
紫虎の目が怪しく光った。
「ごめんなさい、噂の話なの」と紫虎は慌てて両手を振りながら言った。慌てているように見えるが彼女の表情と仕草が演技であるのは確実だった。「黄金姫は取引を断ると姿を消すと言われているでしょう。だから、黄金姫に攫われて、しかも狼型兵器まで貰った月盾は黄金姫と取引したのだと誰もが噂しているのよ。私もそうだと思ったわ。間違っていたらごめんなさい」
「取引はした。規則に反しない範囲で」と月盾は固い声で答えた。
「そうなのね」と紫虎は笑った。「私も黄金姫に会ってみたかったわ」
月盾は黙った。
過去、紫虎と言葉を交わしたのは、常に自分が虐められていて彼女が味方として守ってくれる状況だった。
敵対してはいないが、味方でもない紫虎と会話するのは恐いと感じた。
「ねえ、紫虎。今、月盾に一緒に遺跡探索をしないか誘っているのだけど」
幽鬼が言うと、紫虎は首を傾げて微笑んだ。
「そうなの? 私は構わないけど」
月盾は紫虎と一緒に探索したいと思った。
紫虎は恐いが、それ以上に月盾は彼女と一緒に過ごす時間にも魅力を感じていたのである。
しかし、今日は先に黄金姫との約束があるので無理だった。
「ごめん、今日は一人で探索する予定なんだ。良い場所を見つけたから」
月盾が言うと、紫虎は微笑んだ。
「それは残念ね。もし何かあったら私達に相談してね。徒党の皆には話を通しておくから次は追い返したりはしないわ」
紫虎は幽鬼を連れて、紫虎派の仲間達の所に戻った。
月盾は先ほどから振動してる指輪を自分の耳に当てた。
「よくも無視してくれたわね。許さない」
黄金姫は怒っていた。
「ごめん、機会が見つからなくて」
「嘘を吐くな」と月盾の言い訳を、黄金姫は乱暴に切り捨てた。「幽鬼という娘、彼女は蜂蜜型諜報員よ。間違いなく危険人物だわ。警告するけど、月盾は誘惑されて情報を搾り取られていたのよ」
「小建支部で話した事しか話していないけど」
月盾が言うと、指輪から不機嫌な声が返ってきた。
「紫虎は全部を知ってしまったわ。殺してしまおうかしら」
月盾は慌てた。
「駄目だよ。紫虎を殺したら」
月盾が慌てて紫虎を擁護すると、黄金姫は急に上機嫌になった。
「それならば約束しなさい。もし紫虎を生かして欲しければ、これからは指輪が振動したら三秒以内に出ること。絶対に、どのような時にでもよ。もしも遅れたら私は間違いを犯すこと確実だわ」
「分かった。約束する」
月盾が約束すると、黄金姫は「それなら許す」と言って月盾を許した。
大型乗合車が出発する時間が近付いたので、月盾は慌てて麦焼を食べた。
昨日まで黄金姫が焼いてくれた麦焼と比べると、小麦の芳ばしい香りも、固い皮も、しっとりとした粘りもない低予算で作られた麦焼だった。
大型乗合車では紫虎の徒党と一緒になった。
紫虎は軽く月盾に挨拶をすると、仲間達と笑いながら奥に座った。
紫虎の隣には幽鬼がいて、仲間達と楽しげに話をしていた。
ふと、徒党の一人と目が合った。
彼は闇牙だった。
闇牙は十八歳の有名な探索士だった。
闇牙は観察するように月盾を見ていた。
月盾は慌てて闇牙から目を逸らして、携帯端末で天気を確認した。
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