第2話 帝錦都市の貧困街


 白薔薇大阿飡による大惨劇から宇宙人類が学んだのは、地球は容易く征服できる場所ではないという現実だった。



 地球人類が滅亡して二千年、宇宙人類の殺戮兵器を排除した夷狄は驚くほどの技術的進化を遂げていた。科学力は宇宙人類を超えており、鹵獲した夷狄を分析しても、演算装置の記述だけではなく装甲の素材すら解析できなかった。


 遺跡で発見される調理器具や衣服は、人類が製造できる品質を超えていた。


 白薔薇大阿飡は全長五百メートルを超える超大型兵器だったが、どのようにして巨体を動かしているのか原理が正確には分からない。


 何度も誘導弾を直撃させたのに、白薔薇大阿飡は平然と進撃を続けていた。


 移民団が展開していた情報空間にすら侵入されて、情報を奪われたり書き換えられたりした。





 夷狄は宇宙空間まで支配していた。大惨劇は母艦にまで及び、白薔薇大阿飡の超長距離熱核誘導弾と宇宙で待機していた要塞攻撃機によって、衛星軌道で待機していた宇宙人類移民団の本隊は全滅した。


 白薔薇大阿飡、現在は白薔薇女王とも呼ばれる夷狄が去ると人類には破壊された天織都市だけが残された。


 そして、白薔薇大阿飡に匹敵する大規模兵器が世界中で次々と目撃された。


 しかし、植民者達は絶望せずに残された科学技術を駆使して文明を復興した。大惨劇で世界中に散らばった同胞を回収して、白薔薇女王級の夷狄とは衝突しないように慎重に植民地を広げた。


 列島を回復して、半島を取り戻すと再び大陸東部に進出した。




 大惨劇以降、植民者達は地球を征服するだけではなく、遺物を収集して自分達の文明に利用する方針を立てた。


 探索士協会が設立されて、遺跡探索士と名付けられた将兵が遺跡を探索して地球文明の遺物を集めた。


 遺物は探索士協会に販売されて、探索士は遺物販売により財を得ると社会的地位を向上させた。


 探索士達は大陸東部の武紫都市を中心に東西南北に広がった。ある者は西の砂漠に向かい、またある者は北から海を渡り東にある別の大陸に向けて進軍した。


 探索士達は襲いかかる夷狄を逆に破壊すると、夷狄の残骸から部品を遺物として収集した。


 また、遺跡を深くまで探索して、企業が開発できない製造装置を発掘する場合もあった。


 遺物は探索士協会から企業に販売されて、企業で商品を開発したり製造したりしている技術者を喜ばせた。


 遺物は地球で暮らしている植民者に不可欠な資源となった。





 現在、社会主義国家「紅」は第三次科学技術評議会により統治されている。


 大惨劇で破壊された城郭都市は次々と再建されて、植民者は支配領域を再び白薔薇遺跡周辺にまで拡大させていた。


 破壊された帝乙基地も帝錦都市として生まれ変わり、今では五百万人以上の男女が生活している。


 帝錦都市は第一級城郭都市だった。


 城郭都市という名称に相応しく高さ四〇メートルの分離壁で守られており、地対空誘導弾も充実していて、空から近づく夷狄を迎撃できる防衛力もある。


 科学者は大学で研究をして、技術者と労働者は企業で商品を開発していた。


 消費者は開発された商品の恩恵を受けていた。


 人工知能により都市は最大効率で運営されている。


 大企業の支部があるだけではなく、都市内からも大企業が何社も誕生していた。





 夷狄による脅威はあるが、それでも住民は守られていた。分離壁と防空兵器により夷狄が都市内に侵入する危険はない。


 実際、今まで何度も襲撃を受けたが、大惨劇以降は分離壁が突破された過去はなかった。


 空を飛ぶ夷狄は地対空誘導弾により撃墜して、地上から来る夷狄は探索士達が迎撃して撃退してきた。


 絶対で異常な武力、白薔薇女王の怒りに触れない限りは城郭都市は壁に守られた安全な場所だった。


 しかし、帝錦都市で暮らしている全員が都市の防衛力に守られている訳ではない。


 分離壁と防空兵器の内側で守られているのは乙位以上の階位を持つ住民だけだった。


 帝錦都市を守る分離壁、その外側で暮らす者も存在していた。





 帝錦都市の住民五百万人の四分の一、百三十万人は分離壁の外側で暮らしていた。


 彼等の一部は経済力を理由に分離壁の外側で生活する人生を選び、また評議会が定めた法律を嫌って壁の外側で自由に暮らす者もいた。


 しかしながら、経済と思想を理由に壁外で暮らしている者は少数である。


 多くは壁内に入都する資格を持たない不法移民と、不法移民から生まれた子供達だった。


 織、縫、紫、錦、山、乙、建。


 評議会により、地球で暮らしている植民者全員は七色二十六階法により階位が定められている。


 山位は経営者や技術者が多くて、乙位は労働者が中心である。


 そして、犯罪者や脱走兵、壁外で育ち義務教育を履修しなかった者と彼等の子孫は最下位の「建」位だった。


 建位者は分離壁の内側で暮らす権利を剥奪されていた。





 建位者にも自由権が保障されている大建と、自由権が制限されている小建がいる。


 分離壁に密着して広がる住宅街で暮らしている者は全員が大建で、彼等は事業をして自分達の経済圏を作り上げていた。


 一方、貧困者と犯罪者は小建と定められていて、暴力団が支配する貧困街で暮らしていた。


 小健が生んだ子供達も、親と同じように小健として貧困街で生活している。


 小建は政治権力から放置された人々だった。


 月盾も小建で、父親は月盾が生まれる前に事故死して、母親と妹は月盾が六歳の時に夷狄に襲われて死亡した。


 月盾は小建なので両親を失っても孤児院に入る資格がなかった。そもそも、貧困街には学校も孤児院も存在していない。


 壁内のように、両親を失った孤児を守るための法律も仕組みも貧困街にはなかった。





 月盾は配給で食糧を得ながら一人で生きてきた。


 清掃の仕事をして金を稼ぐと、拳銃と背負い鞄を購入した。住宅街と貧困街が広がり人が住んでいても、分離壁の外側は夷狄が支配する危険地帯である。


 貧困街は何度も夷狄による襲撃を受けたが、月盾は夷狄の襲撃を何度も生き延びた。


 夷狄に殺された住民の遺体を処理する仕事をして、稼いだ金で板材を買い路地裏に小屋を自作していた。


 貧困街で両親を失った子供の多くは数年で死亡する傾向がある。


 悪人に利用されたり、夷狄に殺されたりして、三年以上も生き延びる子供は少なかった。


 しかし、月盾は生き残った。


 襲われないように私物を持たず、抗争に巻き込まれないように暴力団を避けていた。


 切られた経験があるので、親しい友達がいなくても寂しくなかった。





 探索士になりたい。そして、壁の内側で暮らしたい。


 月盾が探索士を目指したのは彼が十歳の時に経験した、夷狄による大規模襲撃が原因だった。


 誰かが危険な遺跡を刺激したのかもしれない。


 十四年ぶりに夷狄による大規模襲撃が都市を襲った。


 普通、帝錦都市を襲撃する夷狄は狼型兵器で他の型の夷狄が来る事は滅多にない。


 しかし、襲撃日は朝から小型無人機が飛び回り、午後になると姥型兵器と童型兵器の大群が現れた。


 盾付重戦車が街に突撃して、貧困街だけではなく住宅街も破壊された。


 砲弾が飛び交い、住民は次々と殺戮兵器に殺された。


 警備会社と暴力団が夷狄と戦ったが彼等も殺された。月盾は拳銃を片手に逃げ回った。




「大丈夫? 怪我はないかしら」




 童型兵器に襲われた時に、女性探索士が助けてくれた。女性探索士は狐の形をした機動兵器に騎乗して住民を夷狄から守っていた。


 他にも多くの熟練探索士が現れては建位者を守るために戦った。


 月盾は女性探索士に手を引かれて、探索士が確保している避難場所に誘導された。


 戦闘は二十日間も続いたが、武装された熟練探索士に守られていたので月盾は安心して過ごす事ができた。


 朝、昼、晩と一日に三回も炊き出しがあったので、生活の質はむしろ向上したほどだった。


 貧困街では一日に二回しか配給はないし、両親のいない子供は社会に守られてはいない。


 病気をしていないか気遣う大人はいないし、食事を見守る大人もいない。配給は弁当なので温かくもない。


 しかし、避難場所は違った。


 誰であろうと探索士達は子供に親切で優しく、気遣ってくれて、料理も温かくて、しかも安心して食べられる場所だった。




「月盾君、きちんと食事は食べている?」


 助けてくれた女性探索士は頻繁に安全地帯に来ては、月盾に話しかけた。家族がいない月盾を心配していたのである。


 月盾は大人から優しくされた経験に乏しいので、直ぐに彼女が好きになった。


「大丈夫です。ありがとうございます」


 月盾の笑顔を見て、女性探索士は笑った。


「それは良かったわ。後で味を確認してやろうかしら」


 女性探索士は雷人という名前だった。彼女は務級探索士で、夏嵐という勤級探索士が団長をしている夏嵐探索団に所属していた。


 明、浄、正、直、勤、務、追、進。


 探索士は探索士諸帝王十二階諸将兵四十八階等級法により等級が定められているが、勤級も務級も壁内に拠点がある上級探索士である。


 突撃銃も強化服も、月盾が貧困街で見てきた装備よりも輝いていた。





「しかし、緊急事態なのだから住民を壁内に避難させたいね。小建はどのような理由があれども壁の内側に入れてはならないとか狂っている。帝錦都市は基本的人権の意味を勉強しろと言いたい」


 いつも文句を言っていたのは、雷人と同じ務級探索士の炎風だった。


 炎風は月盾が今まで見た経験がない種類の青年で、彼も雷人と同じ夏嵐探索団に所属していた。


 炎風は対物狙撃銃を装備していた。対物狙撃銃は強力な弾丸を撃てる銃で、軽戦車の装甲を撃ち抜く威力がある。


 対物狙撃銃を見た経験がない月盾は、大きくて強そうな銃に素直に感動して憧れを抱いていた。


 雷人は呆れて言った。


「それより私は建位制度を廃止して欲しいのだけど」


「それは雷人が正解」と炎風は笑った。「建位は存在自体が憲法違反だ。七色二十六階法は建位をなくして五色二十四階法にするべきだね。いや、冷静に考えたら、錦位以上はいらなくないか? 山位と乙位だけで良いような気がする。二色十二階法にしたら無駄がなくて気持ちが良い」


 炎風の発言を聞いて、雷人は手を叩いた。


「私、今気付いたわ。階位そのものがいらない。全員平等」


 二人の気楽な会話を聞くのが月盾は好きだった。


 彼等は輝いて見えた。貧困街で恐れられている暴力団の組員、その組員を容易く虐殺している夷狄と戦える熟練探索士達は少年には特別な人種に思えた。


 月盾は今まで大人に憧れを抱いたことはなかったが、炎風に出会いはじめて自分は彼のような男になりたいと思った。そして、雷人の笑顔を見て将来は彼女のような女性と結婚したいと思った。


 分離壁の内側で暮らしたい。


 壁内での生活が耐えられないほどの望みになった。

 

 壁内で暮らせれば、乙位者になれば自分は彼等の仲間になれると希望を抱いた。


 炎風も雷人も乙位者だった。


 乙位者になれば、自分は幸福になれると月盾は信じた。





 月盾は襲撃が永遠に続いて欲しいと思った。


 そして、いつまでも炎風と雷人に側にいて欲しかった。


 避難場所での生活は楽しくて、本当の家族ができた気がした。しかし、襲撃は終わり二人と別れる時が来た。


 月盾は泣いた。


 夷狄の駆除を終えた探索士達は分離壁の内側に帰った。


 そして、避難場所は封鎖されて、建位者の月盾も再び一人になり孤独な毎日に戻ったのだった。


 それから毎日、月盾は大規模襲撃が起きる事を望んだ。警報が鳴ると大規模襲撃が起きたのではないかと期待して、狼型兵器の群れに失望した。


 再び炎風と雷人に会いたかった。


 月盾の思いは徐々に強くなり、そして耐えられないほど避難場所での生活が恋しくなった。


 路地裏にある自分の寝床で目を覚ます度に、炎風と雷人を思い出して、いつか再開できると自分を慰めた。





 誰もが十五歳になれば探索士になれる。そして、務級探索士になれば建位から乙位に昇位できると知ったのは月盾が十三歳の時である。


 乙位者になれば貧困街出身でも壁内に入る権利が得られて、炎風と雷人に会いに行ける。


 月盾は大規模襲撃に期待するのを止めて務級探索者を目指す事にした。


 帝錦都市だけでも、年に四百人程度は建位者から務級探索士になり乙位に昇位する者が現れる。


 務級探索士になるのは現実的な目標に思えて月盾は探索士になった。

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