第41話 『着実に』

「ふっ!ふあっ!」


「煌大、最近やけに気合入ってるよな」


「なんかいい事でもあったんじゃね?」


 夢花と交わした約束から、一週間が経過した。

 煌大はあの日を境に、練習のモチベーションに拍車がかかった。


 羽生との打撃練習は羽生と同じくらいの量をこなしながら、ピッチング練習も欠かさない。

 欠かさないとは言っても毎日するのは肩や肘に過度な負荷をかけることになるため、二日に一回程度に収めてはいるが。


「ラスト!」


「ぐあっ!」


「その変な叫び声出しながら打つのどうにかならないのか?」


「俺のこれは脳を介してないので。

 脊髄から直接信号受け取ってるんだと思います」


「どういうことだよ……」


 煌大は、もはや恒例となりつつある羽生とのバッティング練習をおこなっている。

 毎週の土日のどちらかに開催されている紅白戦。そこで煌大は、やはり自分の打撃力が課題であるということを感じた。

 そのため、羽生との練習を週二日から週三日に増やした。

 普通の野球部員ならば、自分の練習に集中したいため特定の相手と特定の練習をすることはあまり好ましくないはずだが、羽生は寛大な心で煌大の頼みを受け入れている。


 羽生はチームの四番であり、次代キャプテンの候補である。

 そんな相手と週三日の練習ができるということは、煌大にしてみればこれほどないアドバンテージになる。


「羽生ー!二年生集合!」

 

「すまん、ちょっと行ってくるわ」


「どうぞ」


 羽生は呼ばれた方へ駆け出して行った。

 練習相手が居なくなってしまった煌大は、周りを見回す。

 それぞれペアを作って練習している部員も居れば、一人で体幹トレーニングをしている部員もいる。

 その中で煌大は、煌大と同じように練習相手を失っている部員を見つけた。


 その部員の方へ向かい、声をかけた。


「……東雲くん、何してるの?」


「パートナーを失って虚無ってる」


「虚無になるくらいのことなの……?」


 その部員とは、東雲太陽だ。


 ーーー


「東雲くん。サイン教えるから、出してくれないかな」


「いいよ」


 煌大の頼みを、太陽は快く承諾してくれた。


 キャッチャーがピッチャーに向けて出すサイン。

 屈んでミットを構える前に、太ももと太ももの間に指を出し、立てている指の本数でキャッチャーの要求する球種を判断するのだ。

 サインの出し方や、どの指にどの球種を設定するのかは人による。


 煌大の場合は、人差し指を立てたらストレート、人差し指と中指を立てたらスライダー、加えて薬指を立てたらカーブ、更に小指を立てたらカットボール。手を完全に開いたらフォークだ。


 そのサインを太陽に伝え、ピッチング練習を始めた。


 (……ストレート)


 太陽が出したサインはストレート。

 煌大はしっかりとボールを握り、セットに入る。


 そして、足を上げて前へ足を踏み出し、投げた。


 スーッと、ボールが空気を切る音が太陽の耳に入る。

 一瞬で、煌大の投げたボールは太陽の構えるミットへ吸い込まれて行った。


 太陽は立ち上がり、煌大にボールを投げ返す。


「花村くん、球速くなった?」


「えっ、ほんとに?」


「球速が上がったのかは分からないけど、キャッチャーとして球を受けてみて速く感じた。

 少なくとも、この間ボクが受けた時よりもね」


「マジかっ……!やった!」


「変化球も見せて」


「うん!」


 煌大は喜びを露にしたあと、再びセットに入ってサインを見る。


 (……スライダー)


 ピッチャーにとって、球速とコントロールは生命線である。

 球速なんて速ければ速いほど良いし、構えたところにきっちり投げ切れるコントロールもあるに越したことはない。

 煌大の最速は百四十キロ前半であるが、百五十キロ、或いは百六十キロが投げられるようなピッチャーというのは、日本中探し回ってもほとんどいない。

 そのようなピッチャーは、数年に一人出るか出ないかの逸材なのだ。


 煌大に対して、太陽の最速は百五十キロ前後。太陽くらいのレベルのピッチャーですら、全国でも指折りだ。


 煌大は球速アップのために、走り込みからフォーム確認、シャドーピッチングや実際にボールを投げるということを積み重ねている。

 まだ高校野球を始めてから二ヶ月と少しであるが、煌大は一度だって練習をサボったことはないし、自主練だって頑張っている。

 

 これからも、煌大はさらに高みを目指すため、努力を欠かさないつもりだ。


「ふっ!」 


「……うん。いい球」


 太陽はマスクの下で、わずかに頬を緩めた。


「花村くん。変化球のキレも上がってる。あとは精度だけだね」


「やっぱり、精度が悪いんだよなぁ」


「インステップにならないように意識することも大切にね」


「あ、忘れてた。全然いつも通り投げてた……」


 煌大は下を見て、自分の足跡を確認する。

 以前と同じように、軸足よりも右側に左足の足跡がーーー、


「……あれ?」


「どうしたの?」


「インステップに、なってない。全く意識せずに投げてたのに」


「普段から意識して投げるようにしてるなら、もうインステップで投げる癖がなくなったってことかもね」


 煌大はその太陽の言葉を聞いて、胸から何かが込み上げてきた。

 これは、『嬉しい』という感情だ。


 ーーー着実に、力がついてきているということなのだから。


 ーーー


 練習を終えてこれから家に帰る煌大は、今日の練習を振り返る。

 どうやら二年生の集合はほんの一瞬だったようで、羽生は煌大が居なくなって困ってしまっていたらしい。

 練習相手を失ったのは羽生の方であった。


 あの後、煌大は太陽と共に投げ込んだ。

 投げれば投げる分だけ、力がつく。ピッチャーを本職としている煌大は、二日に一回のピッチングを欠かさないように心がけている。

 太陽とするピッチング練習は、正直、優とするよりも調子がいい。

 なにも、優に対して投げにくいというわけではない。自分が目標にしていて、自分がいずれ打ち倒したいと思っている相手と練習することは、常に高いモチベーションを保つことができる。

 相手よりもいい球を投げようという気持ちが、煌大の球速、制球力を向上させるきっかけとなったのだ。


 『球が速くなった』と太陽に言われた煌大は、球速自体が上がったのか、それともキレが出てきたのかが気になったため、自分でスピードガンを取りに行って球速を測った。

 球速には変化がなかったことから、後者のキレが出てきたという方が正しいことになる。

 いずれにせよ、煌大のピッチングのレベルが上がってきていることは間違いないだろう。


 もう夏の県大会まで一ヶ月を切っている。怪我をして南関東大会に出られなかった夢花の分まで、煌大は何としてでもメンバー入りを果たし、そして甲子園に出場しなければならない。

 そしてそこで、天国から見守ってくれている父・俊介のためにも、優勝を果たすのだ。


「ただいま〜」


「おかえり〜」


 家に到着すると、どっと疲れが襲ってきた。

 まだ六月だというのに気温は三十五度近い真夏日。一リットルくらいかいたのではないかというくらいの汗を流したため、体中がベタベタである。


「先、風呂入るね」


「あっ、ちょっと待って煌大、今はーーー」


 立ち上がり、玄関から真っ直ぐ繋がっている脱衣所へ向かった煌大は、雅子の声が耳に入っていなかった。

 煌大は気が付いていないのだ。


 ーーー玄関に、煌大と雅子以外の人間の靴があることを。


「「あ」」

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キラメクユメ 蜜蜂 @amagawa

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