第40話 『俺も』

「え……?」


「わたし、その言葉、大嫌いなの。来年の成功が確約されてるみたいな言い方で」


「ーーー」


「違うよね?来年、必ずしも良い成績が残せるわけじゃないよね?

 絶対、インターハイ出られるわけじゃないよね?」


 夢花は、煌大に迫るように、問い詰めるようにそう言った。


「インターハイに出られるチャンスは、三回しかない。

 わたしはもう、二回逃した。あと一回しかチャンスはない。それなのに、足を怪我して二ヶ月以上も棒に振ることになるんだよ?インターハイまでに大会は何個もあるのに、全部出られないんだよ?」


「ーーー」


「煌大くんのことじゃないから、わたしにそんなことが言えるんだよね」


 煌大が、これ以上ないくらいに心が折れそうになっている夢花を慰め、励まそうとかけた言葉。

 それは、夢花の救いにはなることはできず、心の傷を抉ってしまうこととなった。


 夢花が煌大に対してこれほど怒っているところは、煌大は見たことがない。

 今日は、今まで見たことのない夢花がたくさん出てきた。


「所詮は他人事ひとごとだから、辛くもなんともないもんね」


 しかし、夢花の心を抉り、神経を逆撫でした煌大は、臆することを知らない。


「ーーー辛いに決まってんじゃないですか」


「ーーーっ?」


 煌大は足を止めて、小さな声で、しかし夢花に聞こえるように口を開いた。

 予想外の煌大の言葉に、夢花は驚きの声を漏らした。


「他人事なんかじゃ、ないですよ。俺は誰よりも、先輩を応援してますから」


「……」


「俺も何回か怪我をして、試合に出られない時期がたくさんありました。陸上と野球じゃ訳が違いますし、状況も全く違うかもしれませんけど、俺は一度だって、後ろ向きになったことはありません」


「……」


「でも、だからといって『先輩の辛さはわかります』なんて、軽はずみにそんなことは言えません。そんな知ったような口を叩けるような人間じゃないですから」


 煌大は一度だって、夢花の陸上を他人事だと思ったことはない。

 出会ってから二ヶ月という短い期間の中で、煌大は夢花とあまりにも濃すぎる時間を過ごした。


 否、そんな期間を過ごす前から、夢花の夢は自分のことのように一緒に追いかけたいと思っていた。


 背中におぶっている夢花の大きな夢も、下を見るとすぐに見えるギプスで固く固定されている足も、決して他人事ではない。

 荷物を頼まれたのが夢花ではなく煌大だったら、もしかすると煌大がこうなっていたかもしれない。

 なっていないとは、言い切れない。


「夢花先輩。今から俺が言うことは、先輩にとっては少し……というか、すごくきついことかもしれませんが、言わせてもらいますね」

 

「……なに?」


「……もう起こってしまったことは、どうにもならないんですよ」


「ーーー」


「先輩がどれだけ泣いても、どれだけ悔やんでも、こうなってしまった以上はそれを受け入れなければいけないんです」


「……そんなこと、分かってーーー」


 夢花が声を荒らげようと顔を上げたその時、煌大は夢花の顔を見た。

 夢花が見たことのないくらい、柔らかな微笑みを浮かべて。


 煌大の背中の上でその表情を見た夢花は、押し黙ってしまった。


 タイムマシンがあれば、それに乗って過去を変えられるならば、いくらでもそうしたい。煌大は、これまでに何度も、そう思うことがあった。

 萌から受けた告白を断った時を思い起こした時だって、何度も悔やんだ。


 だが、一度してしまった決断は、一度してしまった行為は、発してしまった言葉は、もう二度と取り返すことができない。

 忘れた水筒を取りに行くという決断をしたのは、その時の夢花である。荷物を頼まれるという決断したのも、その時の夢花。


 それをいくら悔やんでも、もうやり直すことはできないのだ。


「俺も、何回も後悔するようなことを経験してきました。『あの時ああしてればよかったな』とか、『あんなことしなきゃよかったな』とか。でも、何回も経験して、後悔しても仕方ないって思うようになったんです」


「ーーー」


「到底受け入れられないことくらい、分かります。俺だって、今の先輩の状況を受け入れられませんよ。

 でもそれを受け入れて、乗り越えて、次に繋げていかなくちゃなりません。最低でも二ヶ月ってことは、下手したらもっとかかるかもしれない。その間、先輩は何をすればいいと思いますか?」


「……分からない」


「少しずつでもいいから、立ち上がって、歩き出すんですよ。これは、物理的な話じゃなく、夢花先輩の精神的な話です」


 煌大は歩きながら、なおも続ける。


「……先輩。順風満帆な人生ってつまらないと思いませんか?」


 煌大はこれまでに、酸いも甘いもたくさん経験してきた。

 忘れられないくらい楽しかったこともあれば、思い起こすことすら嫌になるほど辛く苦しいこともあった。


 しかし、それが今は、


「ーーー色んなことを経験してきたからこその、今の『自分』がいるんです」


「ーーー」

 

「この夢花先輩の苦い経験だって、いつか先輩が綺麗な華を咲かせるための肥料になるって、俺は思いますよ」


「…………っ!」


 夢花は目頭が熱くなるのを感じる。

 煌大は夢花を元気づけるためには何を言えばいいのかを、病院で順番待ちをしていた時からずっと考えていた。

 色んなことを考えたが、結局煌大の口から出てくる言葉は全て、この場で考えついたものである。


 煌大が経験してきたことの全てが、今の煌大を形成している。何か一つ欠けていれば、今の煌大はできあがっていなかっただろう。


「全部、前向きに考えましょう。インターハイに出るチャンスは、あと一回あります。二ヶ月以上も休めるなんて、最高のリフレッシュじゃないですか。松葉杖を使って片足で歩き続けるので、両腕と左足が鍛えられますよ」


「……」


「そうやって、夢花先輩の心の中にある後ろ向きな気持ちと戦うんです」


「戦う……」


「もちろん、一人で戦えなんて言いませんよ」


 夢花が煌大の言葉を復唱したあと、煌大は再び立ち止まった。

 ただ、夢花の方は見ようせず、まっすぐ前を向いたまま。


「ーーー俺も、一緒に戦いますから」


「ーーーっ!」

 

 煌大は明るい声で、そう言い放った。

 夢花の曇った表情が、僅かに明るくなる。


「辛くなったら、誰かを頼ってください。

 俺じゃなくても、先輩は人気者だから自然と周りが寄ってきてくれるはずです。遠慮せず、手伝おうとしてくれる人たちを頼ってください」


「……」


 夢花の口角が、僅かに上がる。煌大も声色からそれを察することが出来た。


「それから、先輩」


「……?」


「ーーー先輩が果たせなくなってしまった夢を、俺に託してくれませんか?」


 煌大は歩き出して、夢花の方を見る。

 また前を向くと、もう二人の家が見えてきた。


 夢花はその言葉の意味がわからず、沈黙を続ける。


「甲子園は、一般スポーツでいうインターハイと同じです。先輩がインターハイに出るって夢を果たせなかった分、俺が甲子園に出て、優勝してやります」


「煌大くんっ……」


 煌大の言葉に、夢花の涙腺が決壊しかける。


 煌大は、いつも一番近くで応援してくれる母親のために、天国で見守ってくれているであろう亡き父のために、その大きな夢を達成しなければならない。


 しかし、目的がもうひとつ増えてしまった。

 インターハイに出られなくなってしまった夢花の分まで甲子園に出て、優勝するのだ。


「お願いします。俺に、託してください」


「……やだ」


「えっ?」


「だって」


 夢花は煌大の背中から松葉杖を下に伸ばし、地面にゆっくりと降りた。


 そしてーーー、


「ーーーわたしの夢は、来年も続くからね」


 片方の松葉杖の先を煌大に向けて、笑いかけながらそう言った。


「……」


「それと、もう一つ理由があります」


「……なんでしょうか」


「ーーーわたしも、一緒に戦うから」


「夢花、先輩っ……!」


 煌大の声が、震える。立ち直った夢花の様子を見てほっとしたのか、自然と目には涙が浮かんでいる。


 夢花は、煌大に夢を託すつもりはない。


 煌大と一緒に戦うつもりだから。

 煌大が夢花の県大会で一緒に戦ったように、今度は夢花が煌大と一緒に戦うのだ。


「ありがとね、煌大くん。おんぶしてくれて」


「いえ、大丈夫ですよ。こちらこそ、ありがとうございました」


「わたしは何もしてないよ」


「大きなことをひとつ、約束してくれたじゃないですか。

 ーーー一緒に戦ってくれるって」


「そんなの、何かしたことの一つに入るの?」


「もちろん。先輩が一緒に戦ってくれるなんて、まさに百人力ですね」


「……ばかっ」


 煌大と夢花は、最後には互いに笑顔で、家に帰り着くことが出来た。


 またしても夢花は、煌大の言葉に心を救われることとなった。

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