第36話 『目撃』
少しばかり、時は遡る。
ミットにボールが収まる音や、金属バットがボールを捉える音、スパイクでグラウンドを駆ける音が、最近になって激しさを増してきている。
野球部も、夏の県大会まで一ヶ月と少しというところまできた。
今年で引退の三年生は特に気合いが入っており、今年から精鋭揃いとなった一年生に負けじと、日々練習に励んでいる。
キャプテンの西山も、ここ最近は人一倍声を出して、音無に猛アピールをしている。
だが、もちろんそんなことは知ったことではない一年生たちも、着々と力をつけてきている。
紅白戦を見る限りでも、三年生よりも二年生、一年生の方が目立った活躍を見せる場面が多く見られる。
野球というのは、実力主義であり、決して年功序列ではない。
能力のない者から蹴落とされていき、優れた実力を持つ者のみが残れる。
野球とは、言ってしまえばバトルロイヤルと同じなのだ。
試合に出られるように、努力を積み重ねる。
そしてその次は、レギュラーとして常に試合に出続けられるように、更に努力を積む。そうして、他の者たちに差をつけていく。
努力を怠る者は必然的に脱落し、努力を重ねても、能力が足りなければ脱落する人間も存在する。
今の三年生は、どちらかといえば後者の方である。
「ふっ!」
煌大も、努力を怠ったことは無い。
前者には当てはまらない煌大も、後者のような人間にならないように、誰よりも努力をしている。
煌大は、一年生の中では頭一つ抜けている。
球速は百四十キロ前後、持ち球の数も悪くは無いし、変化球のコントロールもかなりできるようになってきた。
二年生、そして三年生に、煌大よりも良いピッチャーはいないだろう。
一年生を、除けば。
「っ!」
「ナイスボール!」
煌大の隣でピッチング練習をする、東雲太陽。
彼は、煌大を上回るたった一人のピッチャーである。
球速は煌大よりも十キロ近く速く、ストレートのノビ、変化球のキレ、どれをとっても一級品。
煌大とタイプは違うものの、間違いなく煌大よりも上に立つ存在。
「東雲くん、何で俺がピッチングする時に合わせてブルペンに来るんだよ。実力差を見せつけに来てるのか?」
「何でそうなるの……ただ、花村くんからも学ぶことが多いからだよ」
「俺から学ぶことなんてないだろ。東雲くんは俺よりも遥かにいいピッチャーなんだし」
「それは否定しないけど」
(ムカつく!)
煌大がブルペンに来てピッチング練習をおこなう時は、横に必ず太陽もいる。
ピッチング以外では全くそんなことはないのに、煌大がブルペンに来た時だけ絶対にブルペンにやって来ては、ピッチングを見せつけてくる。
が、太陽は今、煌大から学ぶことがあると言い放った。
「花村くんって、かなりインステップだよね」
「ん?そうか?」
煌大はそう言われて、ふと自分の足元へ目を移す。
踏み込んだ左足の足跡を見ると、軸足よりも右側に足跡があるのが確認できる。
インステップとは、ピッチャーがキャッチャーにステップする時、踏み込んだ軸足よりも右側(左ピッチャーなら左側)に着地してしまうことを言う。
これは、いくつかメリットがあるものの、怪我の誘発やパフォーマンスの低下などのデメリットの方が大きい。
「本当だ……全く意識したこと無かった」
「インステップは、直した方がいいよ。怪我しちゃうから」
「直すって言ったって、そんなすぐに直るものじゃないだろ?大会も近いし、それまでは無理に直す必要ないんじゃないか?」
「簡単だよ。自分が思ってるよりも、体を開きにいってみて。本当、オープンステップ気味になってもいいくらいの意識で」
煌大はそう言われ、言われるがままに投球動作に入る。
(体を開く……体を開く……)
そう意識をしながら、受けるキャッチャーである優の方に足を踏み出し、投げた。
「そう。そのくらい」
「えっ?これだいぶ体が開くように意識したつもりだったんだけど」
「足跡、見て」
優からボールを受けとり、自分の足跡を見る。
先ほどの投じた時は軸足よりも右側にあった足跡だったが、今回はちゃんと、軸足と同じくらいのライン上に踏み込んだ跡があった。
「インステップよりも、ボクみたいにまっすぐ足を出した方が球威が増す。慣れるまでに時間がかかるかもしれないけど、大会までは一ヶ月以上あるし、頑張って直してみてもいいんじゃないかな」
「うん。ありがとう」
太陽はそうアドバイスをすると、また黙々とピッチングを始めた。
(やっぱりこの子は凄い……。格が違う……)
同じ一年生で同じポジションを争う東雲太陽。
そんな彼に、煌大はレベルの違いを感じた。
「東雲くん」
「何?」
「絶対、一緒にメンバー入ろう」
「当たり前」
煌大が微笑みかけると、太陽は帽子のつばを掴んで帽子を深く被り直した。
帽子からはみ出して見える耳は、赤くなっている。
「何耳赤くしてんだよっ」
「うっ、うるさい」
「『一緒に』って言ってもらえたのが嬉しかったのか?このこの」
「全力のストレートを頭に当てるよ?ヘルメット無しで」
「ピピーッ!危険球退場でーす」
「高校野球に危険球退場なんてないよ」
「くーっ!」
煌大はからかいをさらにからかわれ、からかい勝負で太陽に敗北した。
「そんなことより花村くん、汗すごいからタオルで拭きなよ」
「タオル……あれっ、俺どっかで見たような……」
「教室に置いてきたとか?」
「それだ!ちょっと探してくるわ!」
煌大はグローブを丁寧にマウンドに置き、帽子を被り直して校舎の方へと走り出した。
(タオル、家に忘れてきてたりしたら最悪だけど……)
と、最悪の可能性を考えた煌大は、ますます汗が噴き出してくる。
スパイクを脱ぎ、上履きへ履き替える。
職員室へ行って鍵を借りてからでないと教室には入れないため、玄関の近くの昇降口から上へ上がろうとする。
そして、煌大は見たのだ。
「ーーー夢花先輩!?」
ーーー華山夢花が、大きなダンボールの横で倒れて、動けなくなっているところを。
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