第35話 『急がなきゃ』
時は流れ、六月。
煌大は中間テストで見事に全教科赤点回避。萌は残念ながら三教科で赤点を獲得。
「ふぅ……」
深呼吸をしながらカレンダーを眺めている夢花は、学年で半分くらいの順位だった。
そして、六月になったということは。
「ーーーあと三週間で、南関東大会」
日付に赤く丸をつけた部分に手を当てて、そう呟いた。
ーーー
ピストルの音が、グラウンドに響き渡る。
夢花は地面を力強く蹴り、走り出した。
蒸し暑い、モワッとした風を切り裂いて、前へ推し進む。
百メートルを、一気に駆け抜けた。
「はぁ……はぁ……」
「十一秒九!」
自己ベストは、十一秒七六。大会までにあとコンマ二秒ほど伸ばすことを目標にしている夢花は、不満足な顔をした。
「すっかり、陸上部のエース格になったね」
「まだまだ、こんなもんじゃインターハイで優勝なんてできないよ」
「謙虚だね〜」
陸上部員は夢花に駆け寄り、夢花を称賛する。
インターハイへ行くための最後の関門である南関東大会は、今日から三週間後。夢花は、大会前のロングスパートをかけている。
「水分、しっかり摂ってくださいねっ」
「うん、ありがと。
ーーー萌ちゃん」
夢花は気を使ってくれる、七瀬萌にお礼を言って、自分の水筒を探す。
萌は、陸上部で部員として活動をする予定であったが、結局マネージャーとして陸上部に入部することにした。
煌大を振り向かせるために走るつもりだった萌だったが、どう足掻いてももう自分には振り向いてもらえないことを理解したため、マネージャーという形で活動することに決めたのだ。
夢花は水筒を探してしばし歩き回るも、どこにも見当たらなかった。
「あっ、教室に忘れたかも」
「取りに行きますか?」
「うん。取ってくるね」
夢花は、自分が教室に水筒を忘れた可能性を感じ、教室へ向かった。
夢花の教室は三階。長い階段をゆっくりと上る。
二階にある職員室に行き、教師から鍵を借りる。
「失礼します。二年二組の鍵を借りたいんですけど」
「ちょっと待ってね」
一人の男性教師が立ち上がり、各教室の鍵がぶら下がっている場所へ歩いていく。
そして、鍵を見つけた教師が夢花に鍵を渡した。
「ありがとうございます」とお礼を言って、夢花は三階にある自分の教室へ向かった。
鍵を開け、教室へ入る。
「水筒、水筒……あ、あった」
机に横のフックにぶら下がっている水筒を取り、鍵をかけ、職員室へ向かう。
「失礼します。鍵、返しに来ました」
「はい、ありがとう。あ、華山。丁度良かった。その荷物、下の体育倉庫に持って行ってくれんか?」
「はい、いいですけど」
夢花は男性教師にそう言われ、指をさされた方向を見る。
そこには、かなり大きめのダンボールがあった。
それを「よいしょっ」と言って持ち上げ、フラフラととよろけながら職員室を出た。
自分の水筒をダンボールの上に載せて、階段を下りる。
中に何が入っているのかは知らないが、女子が一人で持ち上げるには重い。
「何が入ってるんだろう……」
中身が気になるところではあるが、まずは持っていくことを優先する。
(早めに運んで、練習に戻らないと。今は一分一秒が惜しい)
夢花は、なるべく長く、一秒でも長く、グラウンドを走っていたい。
もちろんケアも大切にしながらではあるが、大会四週間前からは特に、とにかく「走る」ことにした。
去年届かなかった、インターハイの夢。
「来年もある」と先生に言われたが、それではダメだと、夢花は強く思っている。
夢花は、「次がある」という言葉が嫌いだ。
それはまるで、「次はもっといい結果が残せる」と保証されているかのような言葉。
次に、確実に結果が残せるとは限らない。
今回ダメだったら、次はもっと良い結果が出せるなんて保証は、どこにもない。
だからこそ夢花は常に自分を追い込み、「これを逃せば次は無い」という覚悟を持って、大会に臨もうとしているのだ。
そして、夢花を応援してくれる、一人の男の存在。
この間の県大会の時も、自分のことであるかのように喜んでくれた、花村煌大という一人の後輩の存在。
煌大のことを特別な目で見たことはないが、夢花にとって、彼はもはやかけがえのない存在になりつつある。
全力で応援して、全力で喜んでくれて。
それどころか「一緒に戦う」とまで言ってくれた煌大の存在は、夢花の大きなモチベーションに繋がっている。
夢花がインターハイに出たいと強く願うその原動力は、間違いなく、煌大にある。
(よし、急がなきゃーーー)
夢花が、階段を下りるペースを早めようとした、その時だった。
「あっーーー」
夢花の足が、もつれた。
大きな音を立てて、ダンボールは一階まで落ちた。
そして、夢花自身も、踊り場から一階まで、転げ落ちた。
「ーーー輩!?」
夢花の意識が、途絶えた。
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