第32話 『今だけは』

 時刻は五時を回った。

 写真を撮った後、煌大たちは動物園を出て、駅へ向かった。


 そして今、二人は電車に揺られている。


「楽しかったね、煌大くん」


「忘れられない一日になりましたよ」


「そんなに?」

 

 夢花はクスクスと笑う。

 だが、煌大の言ったことは本心である。


 好きな人と二人きりで、いわば『動物園デート』をした。

 朝から夕方まで二人きりで、同じ時間を共有した。

 本当に、まるでカップルのような一日を過ごした。


 夢花からすれば何気ない友達との一日だったかもしれないが、煌大にしてみれば、十五年と少し生きてきた中で一番と言っていいほど幸せな一日だった。


「いっぱい写真も撮れたし、お土産を買えたし、大満足だよ」


「楽しんでもらえて良かったです。

 でも、あの……」


「なに?」


「これ、いつまで着けてればいいんですかね?」


「家に帰るまでだよ?」


 (それはまずい!)


 煌大の家と夢花の家は、ただでさえ学校に近い場所に位置している。

 近所にはもちろん、星華高校の生徒何人か住んでいる。

 もしも、二人でお揃いのカチューシャを着けて歩いているのを生徒に見られたら、何を言われるかわかったものではない。


「家に帰るまでが○○って言うじゃん」


「そうですけど……」


「それに、一人でこれつけて歩くわけじゃないでしょ。わたしたち家隣なんだし、結局家まで一緒に着けて歩くことになるから」


 (それが問題なんですよっ!)


 声にならない、声にはできないツッコミを、心の中で完結させる。

 誰かに見られる可能性があるとしても、夢花を一人で家に帰すわけにはいかない。

 というか、帰る道が全くおなじなのに、別々のタイミングで家に帰るというのは無理な話だ。


「今日のこと、友達に自慢しちゃお」 


「自慢?」


「うん。仲のいい後輩くんと、二人で動物園に行ったんだーって」


「そ、それ、大丈夫なんですか?」


「なにが?」


「先輩。俺たちはただの友達で、恋人関係では無いです。でも、ただの友達ってだけの男女なら、普通は二人で出かけたりなんてしません。

 もし誰かにこんなのを見られたら、また『あの二人は付き合ってる』っていう噂を流されかねません。

 そうなったら、先輩も部活に集中できなくなっちゃうじゃないですか」


「普通はって、誘ったの煌大くんじゃん」


「うぐっ……それは、そうですけど……」


「あのね、煌大くん。わたし、あんな噂気にしてないって言ったでしょ。それに、噂を流されても、部活に支障を来すわけじゃないし」


「……」


 夢花は少し頬をふくらませながら、煌大の言うことを否定する。

 煌大は、以前までは周りからの視線が怖かったからという意味で、噂を流されるのが嫌だった部分があった。


 だが、今は違う。


 今は、夢花のことを想っているからこそ、噂を流されるのが嫌だと思う自分がいる。

 煌大からすれば、好きな相手との恋愛的な噂を流されるのは嫌な気はしないが、もし夢花の部活に支障を来すようなことがあったら嫌だという気持ちがある。


「あとね」


 夢花は煌大に向き直り、目を見つめる。


 そして、


「ーーーわたし、別に煌大くんとのそういう噂流されるの、悪い気はしないよ」


「……え?」


 その一言に、煌大は何も言葉が出なくなった。


「どういうことですか?」


「すごく性格の悪い、言っちゃえば『クズ男』みたいな人との噂を流されるのは嫌だけど、煌大くんはいい子だし。それに、煌大くんはわたしにそんな感情がないことは分かってるから」


 夢花は恋愛に疎いせいで、煌大の気持ちに全く気付かない。

 ただ、これまでに一度も人を好きになったことの無い夢花とはいえ、性格の悪い男との噂を流されるのは嫌であるらしい。

 流石にそこは人並みであった。


「それとも、煌大くんは嫌かな」


「そんなことないですよ。寧ろ、光栄です。

 学校で一番人気なアイドル的存在の夢花先輩と付き合ってるなんて噂、誰が嫌がるんですか?いや、誰も嫌がりませんよ」


「そんな反語みたいな言い回ししないでよっ」


 (拾ってくれた……)


 煌大の渾身のボケを、夢花はしっかりと拾ってくれて、煌大は安心した。


 三分ほど、二人の間で沈黙が流れる。

 ガタンゴトンと電車の揺れる音のみが、煌大の耳には聞こえる。


 外の、日の落ちかけた景色を見ようとした、その時だった。


「ちょっーーー!」


 煌大の肩に、夢花の頭が乗った。

 寝息を立てている夢花を起こそうとするが、起こすのも悪いと思った煌大は、そのままにしておいた。


 こんなところを誰かに見られたら、今度こそーーー


 (……いや、もうやめよう)


 そんな考えは、もうやめることにした。

 煌大と夢花が付き合っているという噂を流されるのは、夢花にとっては嫌ではない。

 部活にも何も影響がないと言われた煌大は、もうそんなことは気にしないことにした。


 かといって、夢花の部活のことを全く気にすることなく、グングンと距離を詰めるということはしない。

 あくまでも、噂に関しては何も気にしないようにするということだ。


 それに、恋愛だけに集中してはいけない。煌大にだって、「甲子園で優勝する」という大きな夢がある。

 そのためにはまず、今度の夏の県大会でメンバー入りを果たして、県大会を突破しなければならない。

 夢花のことばかりになって、野球の方が疎かになっていては元も子もない。


 だが、今だけは。


 今、この瞬間だけは、肩によりかかって眠っている夢花のことだけを考えていることにしよう。

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