第26話 『夢花先輩』

 そして、今に至る。

 現在の時刻は、午前八時半。煌大はだらしない格好で、まだ寝ている。


 夢花との待ち合わせの時間は九時だ。

 いつも通り家の前で待ち合わせる予定であり、家から離れたところで待ち合わせをするわけではないが、煌大はかなり早くの時間からアラームを設定してから寝た。


 はずであるが。


「……ん?」


 ようやく起きた煌大は、スマホを持ち上げて時刻を確認する。


「あぁぁぁぁぁぁぁぁあああ!」


 寝落ちでガサガサの声のまま、煌大は大声をあげた。


 ーーー


 煌大は、未だかつて無いスピードで身支度を済ませる。

 朝食は抜き、歯を磨いて洗顔、デートなので気合を入れて髪の毛をセットし、香水までふりかけた。


「行ってきまーす!」


「気を付けてねー」


 煌大は家の扉を、破るくらいの勢いで勢いよく開け、その勢いのまま玄関の階段から転げ落ちた。


「痛って……あ」


「……ぷっ」


 目の前には、私服姿の夢花が立っていた。

 とんでもなくダサいところを見られてしまい、煌大の顔は茹でダコのように紅潮していく。


 夢花は朝イチから騒がしい煌大を見て、お腹を抱えてプルプルと震え始めた。


「すみません……寝坊したもので」


「そんなに焦らなくても、連絡してくれれば待つのに」


「待たせる訳にはいかなかったので」


「まあ、間に合ってよかったよ。

 じゃ、行こっ!」


「……はい」


 煌大は、太陽よりも眩しい夢花の笑顔を直視できず、目を逸らしてしまった。

 笑顔が眩しいのはいつものことだが、今日はそれだけではない。


 初めて見る、夢花の私服姿。

 白いワンピース姿の夢花は、もはや全身が眩しい。

 夢花は、太陽だ。


 というのは冗談ではあるが、実際、真っ白なワンピースが日に照らされて眩しいのは事実である。

 そのため、あまり凝視していると本当に目がやられてしまう。


「それで、どこに行くんですか、先輩」


「まず、ここから電車に乗って都内まで行きます」


「まだ教えてくれないんですか……」


「だーかーら。楽しみはとっておくって言ったでしょー?」


「めちゃくちゃ焦らすじゃないですか……」


 夢花は可愛くしかめ面をして、煌大の肩を軽くチョップする。

 全く痛くも痒くも……少し痒いくらいのチョップをもらった煌大だったが、ドM風にいうとそれはご褒美だった。


 (俺、一体どこに連れていかれるんだ……)


 ここまで焦らされると、一周まわってどこに連れていかれるのか怖くなってきた。


 夢花はニッコニコで歩いているためきっと楽しいところなんだろうが、実は夢花がサイコパスだったらどうしよう、なんてことを思ったりする。


 (……でも、「どんなところで、どんな状況でも、楽しみなさいよ」って言われたし。

 先輩とならどこでも楽しいだろうし、大丈夫だろ)


「煌大くんは、臭いのとか大丈夫?」


「く、臭いの、ですか?」


「そ。多分、独特な匂いがするところだから」


 (本当にどこ連れていかれるの俺?!)


 煌大は夢花の発言で、更に怖くなってくる。

 臭いのは、正直嫌いだ。


 昔、どこかでドリアンを食べた時、あまりの臭さに丸一日吐き気を催した経験のある煌大は、決して臭いのは得意とはいえない。


 臭いもの展覧会みたいなところに連れて行かれたら、いくらなんでもたまったもんじゃない。

 だが、煌大はどんな所でも耐え抜いてやるという強い意志がある。

 腹を括って、夢花の横を歩く。


「どんな所なんですか?」


「うーん……それくらいなら教えてあげよう。

 煌大くんは、きっと好きな所だと思うよ」


「先輩は行ったことありそうな感じしますけど、どうなんですか?」


「行ったことはあるけど、こっちに来てからは初めて行くかな。煌大くんもきっと行ったことあると思うよ」


 夢花はにっこりと笑ってそう言った。

 夢花が行ったことがあり、煌大も行ったことがある。夢花は、引っ越してきて一度も来たことがない。


 煌大は考えられる限りの行き先を考えたが、全く思いつかない。

 夢花は、鼻歌を歌いながら弾むように歩いている。こんなに上機嫌な夢花を見るのは、煌大は初めてだった。

 そんな夢花の横を歩いているのが自分だと思うと、煌大も弾みたくなる。


「あとさ、煌大くん。話変わるんだけど」


「はい?」


「煌大くんって、あんまりわたしの名前、呼んでくれないよね」


「えっ、そうですか?」


「いつも、『先輩』、『先輩』ばっかり。

 煌大くんにとって、知り合いの先輩はわたしだけなの?」


「む、無意識でした……」


 煌大は、全く意識していなかった。

 だが、振り返ってみると確かに、煌大は夢花を、ほとんど『先輩』としか呼んでいなかった。

 『夢花先輩』と、名前をつけて呼んだことは、これまでに数回しかない。

 当の煌大は、そんなことは全く覚えておらず、呼び方も何も意識したことがなかった。


 しかし、夢花はいつも、呼び方を気にしていた。

 『先輩』だけでは、本当に自分が呼ばれているのか分からないことが多い。

 実際、自分のことでは無いと勘違いして何度か無視してしまったこともある。


「ちゃんと、夢花先輩って呼んでね」


「……はい。すみません」


「よろしいっ」


 煌大はこれから、呼び方を意識するようにすることにした。


 (夢花先輩、夢花先輩、夢花先輩……)


 心の中でそう何度も唱えながら、夢花と楽しく、駅までの道のりを歩いた。

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