第18話 『大切な日』

 ついに、夢花にとって、大切な日がやってきた。

 夢花の目指すものへの、第二関門。


「ーーー県大会」


 青い空を見上げて、夢花はそう小声で呟いた。


 ーーー


「華山」


「はい」


 顧問の呼ぶ声に、入念にストレッチを行う夢花は返事をする。


「この高校に来て、初めての大会だろう。

 色々抱え込むこともあるだろうが、勝ち負け以前に、走ることを楽しめ」


「はい」


「お前には、来年もある。あまり、背負い込むなよ」

 

「それじゃ、ダメなんです。来年もあるから負けてもいい。そんな甘い考えじゃ、インターハイになんて行けません」


「……そうだな」


 夢花のインターハイにかける思いは、とても大きいものである。

 現在二年生である夢花には、確かに来年もチャンスがある。だが、夢花はそんな甘い考えで、この大会に臨んでいない。


 『来年もある』だなんて、まるで今年は負けてもいいと言われているようなものでは無いか、と、夢花は考えている。


 いつだって、『これがラストチャンス』だと思うくらいに、自分にプレッシャーをかけてきた夢花。

 福岡で、インターハイをあと一歩で逃した悔しい経験を糧に、ここまで頑張ってきた。


「訂正しよう。

 楽しく、勝て」


「はい!」


 顧問の言葉に、夢花は元気の良い返事をして、振り返って歩き出す。


 インターハイに行くには、支部大会、県大会でそれぞれ六位以内、更に地方大会で六位以内に入賞する必要がある。

 夢花は、支部大会では一位のタイムを残して、県大会に出場している、


 自己ベストまであとコンマ三秒ほどのタイムで駆け抜けた夢花は、一位で駆け抜けたにも関わらず、悔しがった。


 夢花は今日まで、毎日欠かさず部活にやって来て、家に帰ってからもランニングや筋トレなどの自主練に励んだ。

 準備は、万全である。


 そして、夢花は昨晩を思い返す。


『俺も、観客席で、先輩と一緒に戦いますから』


 煌大が夢花にかけた、これほどない救いとなった言葉。


 陸上競技は、リレー等を除くと個人競技であるため、一人で戦うことが多い。

 しかし、夢花は一人ではない。応援してくれている人が、観客席で一緒に戦ってくれる。


 自分が勝って、南関東大会への出場を決めたあとで、煌大が祝ってくれるのを想像する。


「……わたし、絶対勝つからね。煌大くん」


「はい。頑張ってくださいね」


「わぁっ!?」


「おわぁっ!?」


 独り言として呟いたのを、背後にいた煌大に聞かれた。

 夢花は驚きのあまり、叫んで倒れそうになった。


 日頃から鍛えている体幹のおかげで、倒れずに済んだ。


「煌大くん……びっくりさせないでよ」


「それはこっちのセリフですよ……てっきり、俺がいるのに気付いてるのかと思って声をかけたのに、いきなり叫ばれるものですから」


 夢花が自分の存在に気が付いていると思って言葉を返した煌大も、夢花に驚いて尻もちをついた。


 夢花は確かに驚いたが、煌大の顔を見ることが出来て、安心した。


 煌大はというと……


 (陸上大会のユニフォームって、どうしてこんなに露出が多いんだ……?顔見たらドキドキするし、体中どこ見てもほぼ素肌だし、目のやり場に困りすぎる……!)

 

 初めて見る夢花のユニフォーム姿に、煌大は目を覆ってしまいたくなる。

 夢花は、もうこの露出の多いユニフォームには慣れているため、全く恥じらいはない。


 唯一の救い……といってはなんだが、夢花は上背がある分、華奢に見える。

 これで、グラビアアイドルのようなグラマラスボディを持っていたら、きっと煌大は吐血して病院送りであろう。


「応援する時、叫びまくりますね」


「そんなに観客いないだろうし、目立っちゃうかもよ?」


「目立つことには慣れてるんで!それに、先輩だって、俺の試合の時は声出して応援してくれるんでしょう?」


「……ふふっ。そうだねっ!」


 煌大は、昔から目立ちたがり屋な性格だった煌大は、少ない観客の中でも大声を出して応援することくらい、おちゃのこさいさいである。


「……やっぱり、緊張するものは緊張しますよね」


「うん。今まで、こういう大会では何回も走ってるのに、やっぱり怖いんだよね」


 夢花の顔から、一瞬で笑顔が消えた。

 六位よりも下ならば、今年のインターハイの夢も潰えてしまう。

 絶対に負けられない、という勝ちへの執念が、逆に夢花の首を絞めてしまう。


 煌大は夢花の手をよく見ると、ほんの少しだけ震えているように感じた。


「先輩。こういう時は、この先に待つ楽しい何かを想像するんですよ」


「楽しい何か?」


「はい。こう、例えば……」


 煌大は、下を向いて考える素振りを見せる。

 が、煌大の言うことは、最初から決まっている。


 かなり白々しい演技ではあるが、緊張でそれどころではない夢花には、本当に考えているように見えてしまう。


「ーーー俺と、お出かけするとか」


「……え?」


 煌大は勇気を振り絞って、しれっと夢花をデートに誘った。

 夢花は言葉の意味が理解出来ず、言葉を噛み砕いて飲み込むまでに五秒ほどかかった。

 そして、理解したあとの夢花の答えは、驚くほどすんなり、口から出てきた。


「ーーー分かった。楽しみにしてるね」


 煌大は、夢花の答えを聞いて、にっこりと微笑んだ。


「じゃ、そろそろ行ってくるよ」


「はい。頑張ってください」


 夢花は煌大に背を向けて、会場へと駆け出した。

 煌大は小さく、遠くなっていく夢花の背中を目で追いかける。


 そして、完全に見えなくなったところで、


「よぉっしゃぁぁぁぁぁ!」


 デートの誘いを受け入れられた喜びと、、夢花の試合の時の発声練習も兼ねて、腹の底から声を出した。


 一気に周りの人達からの視線を集めて、目立ちたがり屋の煌大も、流石に恥ずかしくなった。

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