第17話 『一緒に』

「ただいま」


「おかえり。先、風呂はいっちゃいなさい」


 今日は、煌大は一人で家に帰ってきた。

 なんでも、明日は夢花のインターハイ予選があるため、夢花は帰って体のケアを行わなければならないとか。

 大事な大会前に怪我なんてしたら、元も子もない。ケアは大切だと、煌大もよく分かっている。


 ユニフォームを洗濯機に投入し、制服を洗濯カゴに入れ、風呂場に入る。

 そして、改めて考えた。


 (もう、明日なのか)


 煌大はもちろん、夢花の試合を見に行く。

 優を誘ったところ、「お前に悪いからいいよ」とわけのわからないことを言い出したので、問答無用で連れて行くことにした。


 夢花のこれまでの努力を、煌大は全部知っている。

 煌大を見ていなくても、煌大は見ていた。だから、夢花がどれだけ頑張っていたのかを、誰よりも知っている。


 だからこそ、夢花にはなんとしてでも、インターハイに出て欲しい。

 そして、夢花と同じ年に甲子園に出るのだ。


 (一人で帰って、怪我でもしてないといいけど)


 と、煌大は夢花の体を心配する。

 何故か、親の目線のようなことを呟いてしまった。


 でも実際、煌大は夢花が心配だ。

 夢花なら大丈夫だと信じているからこそ、不安に感じる。


 夢花と同じくらい、煌大も緊張しているのだ。


 これから始まろうとしている、十八人のメンバー争いよりも、夢花のことの方が気がかりなくらいには、ナイーブになっている。


 陸上のことはよく分からないし、インターハイの仕組みも理解していない煌大だが、夢花が短距離選手であり、部内でもトップクラスの速さを誇っていることも知っている。


 それもこれも全部、この一ヶ月で話した数々の話のうちの一つだ。


「胃が痛くなってきた……」


 煌大は湯船に浸かりながら、自らの腹部をさすった。


 ーーー


 明日に備えて、今日は自主練をやめておいた煌大は、部屋で漫画を読んでいる。

 煌大は緊張している時、おもむろに漫画を取りだして、読む癖がある。

 今日の漫画は恋愛ものであった。


 現実ではあまりキュンキュンなんて出来なかった煌大が中二の時に買った、高校生同士の青春ラブコメ漫画。煌大はこれをかなり気に入っており、一巻から最終巻までを五周はしている。


 だが、煌大が手に取ったのは、中途半端な六巻。

 一巻から手にせず、途中から読み出す時は、煌大は吐きそうなほど緊張している時だ。


 煌大が全中を逃した県大会前夜も、こんな感じであった。


「……ん?」


 足元に置いてあるスマホがバイブで揺れた。

 起き上がってスマホを持ち上げ、画面を見る。


 その通知は、夢花からのものであった。


『今、時間空いてる?』


「先輩から連絡なんて……珍しいな」


 夢花からのメッセージを即開き、「大丈夫ですよ」と即返信。

 すぐに既読はつき、次のメッセージが届いた。


『電話できる?』


「えっ!でっ、ででで電話?!」


 煌大はいきなりの電話の誘いに驚き、スマホを落としそうになる。

 フィルターを貼っていないため、画面から床に落ちたらバキバキに割れてしまう可能性があるため、かなりヒヤッとした。


『できます』


『じゃ、かけるね』


 煌大は、緊張はしているものの暇なのは暇なので、電話の誘いに乗ることにした。

 まあ、暇じゃなくても、何があっても出ていたが。


 着信音が鳴り、『夢花』と書かれた着信元を見て、頬が緩む。

 そんな自分が気持ち悪くて死にたくなる。


「あっ、もしもし、煌大くん?」


「どうしたんですか?」


「……ちょっと、緊張で眠れなくて」


 夢花は吐息混じりにそう言って笑うと、「よいしょ」と言いながら体勢を変えた。

 煌大は、明日の緊張と電話の緊張で、溶けてなくなってしまいそうになる。


「先輩が眠くなるまで、話、聞いてあげますよ」


「……ありがとう」


 煌大は、相手には見えないが、にっと笑う。

 夢花は、見えないはずだが、にっと笑ったのを感じ取って、微笑み返した。


「わたしね、去年、あと一歩でインターハイってとこで負けちゃったんだ」


「そんな話、これまでに聞いた事なかったです」


「これは初めて話すかな。

 去年の夏、県大会まで勝ち抜いて、南関東大会まで行ったの。そこで六位以内に入ればインターハイってところで、八位だったんだ」


「一年生で南関東大会まで?!すごいじゃないですか」


「でも、ほんとにあと少しでインターハイだったの。コンマ何秒差で届かなくて、すごく悔しかった。わたし、めちゃくちゃ泣いちゃったよ」


「陸上の世界って、シビアなんですね」


 夢花は笑いながら、去年の話をする。当然、まだ煌大は中学生だ。

 あと二人よりも上だったら、夢花は夢の舞台に立つことができた。


 中学まではほぼ無双状態だった夢花が、実力差に泣いた、初めての経験だった。


「もう、地区大会は勝ち抜いてるんですから、あとは県大会と南関東大会を勝ち抜くだけです。

 地区大会は見に行けませんでしたけど、明日は見に行きますよ」


「……わたし、大丈夫かな」


 夢花の声が、緊張で僅かに震えているのが、煌大のスマホ越しでも分かる。

 煌大は何か言葉をかけようとしたところで、夢花が口を開いた。


「煌大くん。

 ーーー頑張れって言って欲しいな」


 なんでもない言葉のはず。

 それなのに、煌大の胸は高鳴った。


「ーーー頑張れ!先輩!」


「……」


「おっ……俺が、ついてますから!」


「……そうだよね」


 最後の一言は蛇足だったと、煌大は頭を抱えて己の発言を悔いる。


 夢花は少し考えて、煌大の発言を振り返る。


「……『俺がついてる』って、どういうことっ!」


「そっ、それはっ……間違えました!」


「何それっ!」


 夢花はケラケラと笑い声をあげる。煌大の顔はみるみる赤く染まっていく。

 座っていた夢花はベッドに転がり、スマホを持ち上げる。


「煌大くん」


「……はい?」


「頑張るね」


 夢花は、煌大からの激励を受けて、ナイーブだった心持ちが変わった。

 煌大の失言ともいえる「俺がついてる」という言葉は、煌大の思った以上に、夢花のツボを突いてしまった。


 だが、それだけではない。


 夢花はこの言葉に、文字通り救われた。


 陸上部の友達からの言葉、クラスメイトからの言葉、親からの言葉は、たくさんもらった。

 しかし、そのどれもが、大きなプレッシャーとなって、重くのしかかっていた。


 『期待』という名のおもりが、夢花を押し潰しそうになっていた。


 でも、煌大の言葉だけは違った。


 『期待の言葉』ではなく、『応援の言葉』。煌大の言葉は、純粋にそう感じられた。

 「俺がついてる」というこの一言は、一人で戦おうとしていた夢花にとって、これほどない救いとなったのだ。


 煌大は、夢花を応援している。


 否、応援しているだけではない。


「ーーー俺も、観客席で、先輩と一緒に戦いますから」


 煌大は、恋人でもない夢花に、そう言葉をかけた。

 後に振り返って、とんでもなくイタいことを言ったと煌大はまた後悔することにはなるものの、その言葉は、夢花の胸を優しく包み込んだ。


「……うん。ありがとね。

 じゃ、そろそろ寝るよ」


「もう、大丈夫なんですか?」


「大丈夫すぎるほど大丈夫」

 

「それなら良かったです。おやすみなさい」


「おやすみ」


 煌大はそう言って、電話を切った。

 ここから毎度おなじみ、煌大の死にたいタイムが始まるのだが、その一方で夢花は。


「……ちょっとドキッとしちゃった」


 煌大の言葉は、夢花の心を優しく包み込んだだけでなく、心をトントンとノックしたようだ。

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