第15話 『夢の大きさ』
下を向いて話し続けていた煌大は、顔を上げて夢花の方に微笑みかける。
夢花は、大粒の涙を流していた。
煌大の過去は、夢花の想像していた以上に、辛いものだったのだ。
煌大は夢花のその顔を見て驚き、思わず二度見してしまった。
「煌大くんなら、絶対大丈夫だよ」
「そうだといいですね」
「わたし、応援してるからね!」
夢花は煌大の手を取り、ギュッと握った。
煌大は夢花に手を握られ、バッと手を引いた。
(こういうところを運悪く見られるから、噂を流されるんだろうな……)
「ありがとうございます」と言ってニコッと笑うと、夢花も涙を浮かべたまま笑い返した。
煌大は、普通ならば絶対にしないような経験をした。
中一にして、人生における大きな挫折を味わった。
もうこの世に居ない父が成し遂げられなかった『
雅子とも、優とも、萌とも。
そして今、夢花と、そう約束したのだから。
「……あの、先輩。一つだけ、お願いをしてもいいですか?」
「なに?」
夢花が一歩踏み出したのとほぼ同時に、煌大は夢花に問いかける。
夢花は振り向いて、煌大に向かって首を傾げる。
「今度の七月に、甲子園に出るための県大会があるんです。
そのメンバーは、百人以上もいる部員の中から、たった二十人しか選ばれません」
「うん」
「ーーーなので、もし僕がメンバー入り出来たら、応援に来てください!」
煌大は意を決して、夢花に向かって頭を下げた。
恋愛的な噂を流されるのを全く気にしないのなら、アタックするのみ。
たとえ自分に興味がないのだとしても、アタックするかしないかは自分が決めるのだ。
夢花は顎に手を当てて少し考える。
返答までの時間、煌大の手も足も震え、心臓もバクバクとうるさくなってくる。
「ーーーいいよ」
「……ほんとですか!?よっしゃあ!」
煌大は飛び上がって喜ぶ。夢花はその姿を目で追いかける。
「あ、でも、あくまでも自分のことを優先してくださいね。部活があれば、そっちを優先的に考えてください」
「うんん。死んでも行くよ」
「いやいや!俺のことなんかより、陸上の方が大事でしょーーー」
「ーーー煌大くんの試合の方が大事だよ」
いきなり冷静になって夢花にことわる煌大を、夢花はすぐさま否定する。
『死んでも行く』と言われた煌大は、その言葉の意味を理解出来ず、彫像のように固まってしまった。
夢花は煌大の肩をツンツンとして、「もしもしー?」と呼びかける。
「なっ、ななななななんでそんなこと……」
「わたしがインターハイ目指してる理由と、煌大くんがインターハイを目指す理由じゃ、規模が違いすぎるからね。わたしの夢よりも、煌大くんの夢の方が大きいし」
「……先輩、それは違いますよ」
「えっ?」
煌大のことの方が大事だから、という言葉を期待した煌大の淡い幻想はいとも簡単に打ち砕かれたが、煌大にとって聞き逃すことの出来ないことはしっかりと聞き取った。
「先輩が何でインターハイを目指してるのかは知りませんけど、規模が違うだなんて、言わないでください」
「だってほら、わたしがインターハイ目指してる理由は、大好きな陸上で、大きな舞台に立ちたいっていう本当にちっぽけな理由だから」
「いいじゃないですか!素敵な理由だと思います。
何かを目指す、何かを目標とするための理由に、規模の大小なんてありません。
先輩の夢と俺の夢、目指す理由はお互い違いますけど、『どっちの夢の方が大きい』とか、そんなの関係ないんですよ。
だから、俺の方が規模が大きいとか、そんなことは言わないでください」
「……」
「……あっ、すみません!お節介でしたよね!
俺、よく分からなくなると本当によく分からなくなるのでーーー」
慌てふためく煌大を、夢花は笑顔で見つめる。
スクールバッグを肩にかけ直し、煌大の顔を覗き込む。
「ほんと、煌大くんはいい後輩だね」
「……」
『後輩』と強調気味にそう言われ、少しヘコむ煌大。
夢花はタッタッと、ランニングシューズの足音を立てながら、前へ向かって何歩か走る。
そして、手を腰の後ろで組み、
「ーーーじゃ、わたしの大会も、見に来てね!」
夢花は元気のいい声で、煌大にそう言った。
煌大は一瞬、何を言われているのか分からなかったが、脳で理解した瞬間、肩にかけていたスクールバッグがずり落ちる。
「あっ、バッグーーー」
「ーーー絶対、行きます!誰よりも声出して応援します!」
落ちそうになるスクールバッグを止めようと走り出しかけた夢花に、煌大はそう叫んだ。
ここが住宅街であることも忘れて、顔を真っ赤にしながら叫んだ。
結局、ずり落ちるスクールバッグに気が付かず、おまけにチャックまで開いていたバッグから、持って帰ってきた僅かな教科書がその場にぶちまけられてしまった。
それも、汚い水の流れる溝へ。
「あぁぁあ!教科書がぁぁぁ!」
「……ふふっ」
格好のつかない煌大を見て、夢花は笑いが込み上げる。
好きな人の前でそれっぽいことが言えて、『俺いいこと言った!』モードに入った瞬間のこの有様。煌大はまたもや死にたくなる。
煌大の隣にかがんで、一緒になって教科書を拾ってくれる夢花は、煌大の顔を見て、
「煌大くんに応援されたら、ウサイン・ボルトくらい速くなっちゃうかもね」
「なっーーー!」
「じょーだんだよっ」
「かっ、からかわないでくださいよ!」
「あははっ」
もはや茹でダコにすら見える顔の赤さを見て、それを面白がる夢花。
ケラケラと笑う夢花を見て、煌大は、
(守りたい、この笑顔)
と、その笑顔を瞼に焼き付けた。
その後、ビチャビチャ、シワシワになってしまった教科書を指先でつまむようにして持ちながら、煌大と夢花は家へ帰った。
その帰り道は、教科書がほぼ使用不可能な状態になったことすら気にならないくらい、楽しいものであった。
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