第13話 げんこつ

 煌大は夢花を何秒間か見つめたあと、目を伏せて振り返り、「お疲れ様です」と呟き、歩き出した。

 夢花は唇を噛み、歩き出そうとする煌大のバッグに手をかける。


「どうして、わたしを避けるの?」


「……何でも、ないですよ」


「何でもないはずないでしょ!昨日まで別に普通だったじゃん!」


 煌大は、夢花を気遣っての行動をとっているつもり。

 しかし、夢花は煌大の行動の意図が理解できない。


 煌大は、『変な噂を流されて、陸上に集中したい夢花の妨げになるかもしれないため』という理由で、意図的に夢花と距離を置こうとしている。

 自分の気持ちを押し殺してまで、夢花のことを遠ざけようとしているのだ。


「先輩。俺たちが二人で登校したことで、俺たちが付き合ってるって噂が流されてるの、知ってますか?」


「知ってるよ。耳に入らないわけないもん」


「それなら、分かってください」


「ーーー煌大くんは、わたしとのそういう噂流されるのが、嫌なの?」


 煌大は押し黙る。今の言い方だと、そう捉えられても仕方がない。

 夢花は、眉間に皺を寄せて、煌大の顔を見る。

 煌大の顔も、夢花と同様に眉間に皺が寄っていた。


「俺は、そんな根も葉もない噂を流されたら、先輩が迷惑するんじゃないかと思ったんですよ」


「……え?」


「恋愛よりも部活を優先したいって言ってた先輩が、そんな噂のせいで集中出来なくなったりするんじゃないかって」


「ーーー」


 煌大の自らの行動の説明に、今度は夢花が押し黙る。

 眉間に寄っていた皺が、みるみるうちに消えていく。

 それどころか、夢花の口がポカーンと開いたままになってしまった。


 煌大は恐る恐る夢花の顔を見て、「先輩?」と安否を確認する。


「ーーーぷっ!あっはははははは!」


「え?え?なんで笑うんですか?」


「そんな理由で、わたしのこと避けようとしたの!?」


「そんな理由って……俺は真面目に……」


 夢花は突然吹き出して、腹を抱えて笑いだした。

 何故笑いだしたのか分からない煌大は、真面目な話をしている時に笑い始めた夢花に対して、少しばかり苛立ちを感じてしまう。


 夢花は肩にかけているスクールバッグをかけ直し、短い髪を耳にかける。


「わたし、全然気にしてないよ」


「……え?そうなんですか?」


 『気にしていない』という夢花の主張に、煌大は思わず聞き返した。

 てっきり、嫌がられているかと思っていた煌大は、疑問に感じるとともに肩をなでおろした。


「中学の頃からこういうのはよく流されてたから、もうすっかり慣れちゃったの。

 ちょっと男子と話したりするだけで流されてたから正直うんざりしてたけどね」


 困った困った、と微笑む夢花は、軽く拳を握った。

 そして、振り上げた。


「あでっ」


「それはそれとして、それだけの理由でわたしを無視したことは謝ってください」


「……すみません」


 コツンと優しいゲンコツをもらった煌大は、反射的に謝った。

 謝られた夢花は、「よろしい」と目を閉じて、煌大を見つめ直す。


 急に目を見つめられて、顔が赤くなりかける煌大は、目を逸らして誤魔化す。


 そんな煌大の頭に、夢花は再び手を伸ばす。

 上げられた腕を目で追いかけ、またゲンコツを食らうと思った煌大は、目を閉じる。


「ーーーでも、わたしの気持ちを思ってくれたことは、ありがとうね」


「ーーーっ!?」


 それはゲンコツではなかった。

 夢花は、煌大のチクチクした頭を、優しく撫でた。


 煌大は柔らかい手で頭を撫でられて、危うく気を失いそうになる。

 夢花は慈愛に満ちたような表情で、なおも煌大の頭を撫で続ける。


 (……そろそろ死にそう)


「さ、さっ!そろそろ帰りましょう!もう日も暮れて来ますし!」


「一緒にね?」


「……はい」


 しれっと振り返り、ゆっくりと歩き出しそうな煌大のバッグを、さっきのように掴んだ。


 (……こんなことするから、あんな噂を流されると思うんだけどな……

 でも、先輩は気にしてないみたいだし……)


 夢花は、噂については全く気にしていない。

 煌大は気にするどころか、そんな噂を流されるのは嬉しく思う。


 噂は、流させておけばいい。煌大は、そう考えることにした。


 ーーー


「煌大くんって、何で野球を始めたの?」


「俺は、父の影響で野球が好きになりました」


「俺の父さんは、甲子園準優勝校のエースだったんですよ」


「えっ!凄くない!?」


 夢花は目を見開いて声を上げる。煌大はその顔を見て、自然と笑みがこぼれる。


「そんな父さんに憧れて、俺もピッチャーをやるようになりました。

 小さな頃は、よくピッチングの極意なんかを教わったりもしてましたね。懐かしいです」


「実績のある親が居るのって、いいよね。わたしの親は特に何もしてこなかったから」


「鳶が鷹を生むとはよく言ったものですね」


「ちょっと失礼だけど、その通りと言われれば、その通りかもね」


 煌大は一瞬、失言だったと思って焦ったが、夢花は笑って受け流した。


 歩いていると、リードに繋がれた犬が二人に向かって吠えた。

 夢花は「わっ」と驚いたあと、飼い主に確認をとり、柴犬だと思われる犬をわしゃわしゃと撫でる。


 (いいなぁ……)


 と、犬にまで嫉妬した煌大は、目の前の犬に自分を投影する。

 ハァハァと舌を出して呼吸をする自分を想像してしまったところ、あまりにも気持ちが悪かったため、すぐに妄想をやめた。


「またねー」


「グルルルル……ワンッ!」


 (ツンデレだ……)


 別れの挨拶をした夢花に、犬が再び吠える。

 夢花は「行こっ」と煌大を手招きし、歩き出した。


「じゃあ、今もお父さんに教えて貰ったりするの?」


「……いえ」


 夢花に尋ねられ、首を横に振る煌大。


「……俺が中一のときに、交通事故で亡くなってます」


「ーーーえっ?」


 夢花の足が、止まった。

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