第10話 『好いとーよ』

 シャワーを浴びて、髪の毛を整える。

 煌大が登下校を女子と共にしたのは、これまでに萌のみである。

 女子と二人で登校すること自体は昨日ぶりだが、相手が違う。

 萌と一緒に行くくらいなら、少々寝癖が立っていても何ら問題は無いが、夢花と登校するとなると話が違ってくる。

 寝癖の一つでも立っていれば、幻滅される可能性だってある。夢花はその程度で幻滅しないと信じてはいるが、一応、念には念をだ。


「煌大、やけに気合入ってるけど、何かあったの?」


「何もないよ」


「もしかして、好きな女の子と登校でもするの?」


「ちっ、違う!行ってきます!」


「弁当忘れてるよ〜」


「危ね、ありがとう」


 危うく弁当を忘れそうになった煌大は、教えてくれた雅子に礼を言って、家を出た。

 扉を開け、正面を見る。


 そこには、制服姿の夢花が立っていた。


 (可愛い……)


 思わず見とれてしまった煌大は、夢花から手を振られてはっと我に返る。

 煌大も夢花に手を振り返し、微笑んだ。


「おはよう、煌大くん」


「おはようございます……あれ、さっきも言いませんでしたっけ?」


「学校モードのおはようだよ?」


「確かにモードチェンジしましたね」


 可愛らしい発言に再び笑みがこぼれる煌大を見て、夢花も微笑み、「じゃ、行こっか」と言って歩き出した。


 まだこの状況が信じられない煌大は、緊張しすぎて生きた心地がしていない。

 足の震えと手の震え、それから手汗がすごい。

 絶対にそんなことはないが、万が一手を繋ぐことになったとしたら間違いなく幻滅されるだろう。絶対そんなことはないが。


 煌大の致命的な欠点は、いざと言う時に根性無しが発動することだ。

 こういう時、何を話していいのか分からない。

 天気の話題を出すのは流石にベタすぎるし、好きな○○なんて聞くのも違うし。

 という感じで消去法で色々消していった結果、何も残らなくなってしまった。


「さっきの煌大くん、意外だったな。あんなに男らしいなんて」


「意外ってなんですか、意外って」

 

「だって、わたしが煌大くんにボール渡した時、すごくあたふたしてたから」


「……あの時は、その……陸上部の人達に迷惑がかかるかなって思って、慌ててただけですよ」


「ふーん」


 カバンを持った手を後ろに回し、煌大の顔を覗き込む夢花。いきなり目の前に出てきた顔に、驚いて仰け反りそうになる。

 ふわっと香る良い匂いが、鼻腔を突き抜ける。


「煌大くん、顔になんかついてるよ」


「何がついてます?」


「お米かな?」


 そう言って、夢花は煌大の口元に手を伸ばす。

 そして、煌大の顔についていた米を指でつまんだ。


「せっ、先輩!?」


「なんで気付かないの!お米も硬くなってるし!」


 夢花は吹き出して笑う。煌大は本当に気が付かなかったのだ。

 自分の肌に触れられたこの感覚を、煌大は忘れることはないだろう。


 夢花はその場にかがみ、つまんだ米を歩いているアリにあげた。

 「気をつけてねー」と言いながら、歩いていくアリを見届けてから、夢花は立ち上がってまた歩き出した。


 (虫に話しかけてる……)


 煌大は、健気な夢花を見て昇天しそうになると共に、アリにまで嫉妬してしまった。


 煌大はちゃんと車道側を歩いている。流石の煌大も、それくらいの極意は心得ている。


「そういえば先輩って、どこから来たんですか?」


「火星」


「……………なるほど」


「流さないでよ!」


 夢花の軽いジョークを華麗に流した煌大に、夢花は可愛く怒る。だが、変に面白い返しをしようとして黙りこくるよりも、受け流した方が自然だ。


「本当は、福岡から来たんだ。親の転勤でね」


「転勤族か……また転勤するかもしれないってことですか?」


「うんん。もうしないよ。お父さんが単身赴任になるかもしれないだけで、わたしは埼玉にいるつもり」


「良かった」


「良かった?」


「あっ、これはっ、その……!」


 煌大は口を滑らせてしまった。首を傾げる煌大に、手を振り回しながら誤魔化す。


「福岡から来たってことは、九州弁とか話せるんですか?」


「お、出たな、その質問。もちろん喋れるよ。

 なんかセリフのリクエストはある?」


「そうですね……じゃあ、『あなたのことが好きです』って、どう言うんですか?」


 煌大はかなり思い切ったリクエストをした。が、煌大はそんなつもりでリクエストしたわけではない。

 そのセリフを言われたら、どれほど恥ずかしいのかを、煌大はまだ知らないのだ。


「ーーーバリ好いとーよ」


 (あっ、これやばい。やばいっ……!)


 夢花が頬を赤らめながら恥ずかしげに言ったそのセリフを聞いた煌大は、何も言えなくなった。

 心の中のミニ煌大は、床をのたうち回って悶絶しているところである。


「ちょ、ちょっと、言わせといて何で黙ってるの!」


「すっ、すみません。そんな感じなんですね」


 煌大は夢花を直視できない。あまりにも刺激が強すぎた。


 夢花は依然として顔を赤く染めたまま、下を向いてしまった。


 ちなみに、『バリ』は九州弁で『すごく』という意味であり、夢花の言ったセリフが『あなたがとっても好き』という意味であることを知ってまた悶絶したのは、あとのお話である。

 

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