第9話 ランニング
翌朝、煌大は昨日と同じく、朝のランニングに向かった。
ジャージを着て、ストレッチをしてから家を出る。
「行ってきます」
「気を付けてねー」
母に見送られながら、煌大は家の扉を開けた。
家を出た瞬間、向かい側の家の扉も開いた。
そこから出てきたのは、昨晩自分の醜態を見られた相手、夢花であった。
「あ、煌大くんだ。おはよう」
「お、おはようございます……」
「ジャージ着てるってことは、走るの?」
「は、はい」
夢花もジャージを着ているということは、そういうことなのだろう。
陸上部とはいえ、かなりストイックな生活を送っている。暇さえあれば走っていそうなくらいだ。
夢花はヘアゴムを咥えたまま靴紐を結び、結び終えてから髪を結った。
ボブヘアなので小型犬の尻尾くらいにしかならないが、それでもそっちの方が動きやすいのだという。
「一緒に走る?」
「えっと……」
「はい、解答時間を過ぎたので強制ランニングです。行こっ」
「ちょ、ちょっと」
手首を掴まれて、やや強引に引っ張られた煌大は、夢花の後ろをついて走り出した。
隣を走るのは流石に気が引けると思ったため、少し距離をとって後ろから走ることにした。
確かに煌大は夢花に一目惚れをし、実質的に好意を抱いている訳だが、いざ距離が近くなると思わず遠ざけようとしてしまう。
それ由来の心臓がもたないから、というのもあるが、周りからの目も気にしてしまうのだ。
「煌大くん、どうしてそんなに後ろ走るの?」
「せ、先輩が速すぎてついていけないです……!」
「わ、ごめんね。少し速度落とすよ」
煌大の言い訳は通用しなかった。
夢花はしっかりスピードを下げて、すっかり煌大のペースに合わせてしまった。
『先輩といると心臓がもたないから』だなんて、到底言い出せるはずもない。
「……先輩、まだ転入してきて二日ですけど、みんなからモテるでしょう?
俺なんかが近くにいて、迷惑なんじゃないかなって」
「全然そんなこと、ないよっ。
むしろ、色んな男子から声掛けられすぎてっ、うんざりって感じ(笑)」
夢花は走りながら両手を広げて『やれやれ』のポーズをとる。
噂通り、夢花は男子からかなりモテているらしい。
既に何度か告白を受けているらしいのだが、全て断わっているという。
まだ転校してきて二日目の女子生徒に告白するなんて、男ってつくづく馬鹿だ、と煌大も『やれやれ』のポーズをとった。
「それに、わたし、煌大くんが近くにいるの嫌じゃないよ?」
「どうしてですか?」
「どうしてって……話して見た感じいい子だし、周りの男子みたいにわたしのこと恋愛対象とかで見てなさそうだし」
「……っ」
煌大は言葉に詰まる。
この言い回しだと、まるで恋愛感情を持っていることがわかったら、もう関わってあげないと言われているようにしか思えない。
でも、今のところは上手く自分の気持ちを隠せているのだと分かって、心做しか安堵している自分もいる。
何とも、複雑な感情である。
煌大から二人きりで遊びに誘ったり、下校や登校を誘ったりなんてことが、しづらくなってしまった。
この二人でランニングをしているひと時を存分に楽しもう、と決めた。
「わたし、今は恋愛とかどうでもいいの。
絶対にインターハイに出て、優勝する。それだけが、今のわたしの目標なんだ」
「インターハイ……」
「どう思う?高望みすぎるかな?」
「そんなことありませんよ。目標は、どこまで高くしようとその人の自由ですから。
それに、先輩なら絶対出れますよ。まだ先輩のこと知って二日目ですけど、朝も夜も、ずっと走ってるじゃないですか」
「……お父さんからは、陸上を続けることを反対されてね。勉強していい大学に入りなさいって、努力なんてしても、報われるとは限らないって」
夢花は少し悲しげな表情を浮かべ、下を向く。
そして、立ち止まってしまった。
夢花の家庭内では、色々あるようだ。
夢花は陸上で上を目指したいが、親、特に父親からは勉強に専念するように言われている。
どちらの言うことも、煌大には理解できる。
ただ、一つだけ引っかかることがある。
「努力しても報われるとは限らない、ですか」
「うん。お父さんの口癖なんだ。報われない努力なんてするべきじゃないって」
「ーーー」
煌大は、夢花の父に対して憤りを覚え、拳をギュッと握る。
夢花は煌大が怒っているのを感じ取り、「ごめんね、こんな話しちゃって」と謝る。
「……これから言うのは、独り言ですから、どうか聞き流してくださいね」
「……うん?」
「ーーー報われない努力はするべきじゃない?報われるために努力してるんじゃねえんだよ」
「こ、煌大くん?」
「ーーー努力をするから報われるんじゃない。報われるために、必死に努力をするんだ。
先輩の全てを否定するようなことを、父親であるお前が言うんじゃねえよ!
父親なら、自分の意見ばっか押し通して強制させるんじゃなくて、娘を応援するべきじゃないのか!
娘の努力を否定して、まるで最初から失敗することが分かってるみたいなこと言ってんじゃねえよ!
子供は親の『道具』じゃないんだ!お前の思い通りに動くロボットじゃねえんだよ!」
夢花は目を見開いて、その場に居ない夢花の父親に叫ぶ煌大を見つめる。
煌大は、他人の努力を否定する人間が嫌いだ。
夢花の父親は、今のところ煌大の嫌いな人間の典型例である。
そもそも、自分の娘に自分がやって欲しいことを押し付けて強制させるなんて虫のよすぎる話だ。
夢花の父親は昔から、そういう部分があった。
母親はどちらかというと夢花のことを後押ししてくれるような存在であるが、父は違う。
『勉強をしていい大学に入り、大学を出たあとはいい仕事に就いて、いい人を見つけて結婚しろ』とばかり言われてきた。
夢花はそれでも、走り続けている。
陸上が好きだから。
「……あっ、その……今のはあくまで独り言なので、忘れてください」
「……うんん。忘れないよ、今の煌大くん」
「昨日に引き続き恥ずかしいのでーーー」
煌大は手を前に突き出して、忘れてくれなさそうな夢花の前で両手を振る。
しかし、夢花は大きく微笑んだ。
「ーーー今の煌大くん、昨日とは別人だった。かっこよかったよ。ありがとう」
「……」
煌大は夢花のその笑顔を見て、なんだか何もかもがどうでもよくなった。
昨日よりもかっこよくなれたなら、それでいい。
煌大はそう思いながら、微笑み返した。
「そろそろ帰ろうか。シャワー浴びて着替えたら、待ってるね」
「待ってる?」
「ーーー一緒に学校行こ?」
「……わっ、わかりました」
夢花と煌大は、踵を返して家へ向かう。
その道中、
(えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!)
煌大は、心の中で叫びまくった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます