第8話 カップルみたい
「……マジかよ」
風呂の中で、湯船に浸かりながら先程の出来事を振り返る。
たまたま歩いている……立ち止まっているところに声をかけられ、成り行きで二人で帰ることになった夢花の家は、何と目の前の家であった。
近所だったのに知らないはずがない、と煌大は一瞬思ったが、夢花は今年から転入してきたことを思い出した。
そして、煌大の家の向かいの家は、何年か前からずっと空き家になっていた。
つまり、その空き家に華山家は引っ越してきたというわけだ。
(でも、なんで俺は引っ越してきたことを知らなかったんだ?)
そう疑問を抱いたが、それもすぐに解決した。
一言で片付けるならば、『インフルエンザ』だ。
煌大はインフルエンザによって約一ヶ月も部屋に幽閉状態だったため、当然外の世界のことを何も知らなかった。
きっと引越し挨拶にも来たのだろうが、煌大はそんなこと知るはずもなく。
向かいの家に誰かが越してきたこと自体気づいてはいたが、まさかそれが学校のアイドルである華山夢花だったとは思わなかった。
「まじで、夢みたいだ……」
煌大は、十五年間生きてきた人生の中で五本の指に入るくらい、幸福感に包まれている。
学校中で話題になっている美人陸上部と、家が隣だなんて、漫画でしか見た事がない展開である。
煌大はそんな漫画に一時期ハマっていた時期もあったためか、初めての体験でありながら初めてではないような感覚に陥るというなんとも不思議な現象が起こった。
湯船からあがり、タオルで体を拭く。
パジャマを着て、洗面所を出た。
「ちょっと、外で素振りしてくる」
「何で風呂入る前にやんないの……」
「もっかい入る」
「入らんでいいけど……」
煌大の母、雅子はため息をつきながら、夕食の支度をしている。
お腹はかなり減っている煌大だが、今は食事よりも、体を動かしたい欲の方が強い。
煌大はエースになりたい。でも、だからといって他の分野を疎かにするわけにもいかない。
打撃も、守備も、走塁だって、常に次のレベルを目指さなければならない。
煌大は、向上心の塊なのだ。
ピッチャーの練習としては、走り込みやフォーム確認、それを踏まえたシャドーピッチングと呼ばれるものがある。
シャドーピッチングとは、ボールを用いずに行う投球練習のことであり、煌大が重宝している練習法である。
しかし、太陽が投げた後に、病み上がりにしてはかなり投げ込んだので、肩を使う練習はやめておいた方がいいと考えたため、バットを振ることにした。
「部活終わりで疲れてるし、百五十本くらいにしとくか……」
煌大は、アウトコース、真ん中、インコースと三つのコースに分けて振るように心がけている。
常に目の前にピッチャーが居て、そのピッチャーが自分に向かって投げてきていると想定した上で、全力でバットを振る。
「さあ、九回裏、ツーアウトランナーは満塁、フルカウント!バッターはここまで無安打の花村煌大!
ピッチャー六球目を投げた!打ったぁぁぁーーー」
「何してるの?」
「わあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
家の塀から覗いていたのは、夢花だった。
「こんな時間まで練習?」
「殺してください……」
「何で!?」
煌大は今、猛烈に死にたい衝動に駆られている。
煌大にとってはイメージトレーニングも兼ねた練習だったが、野球をよく知らない人間が傍から見れば、よく分からない単語を叫びながら棒を振っている変人だ。
ましてや目撃されたのが夢花ともなると、煌大はいよいよ耐えきれない。
「何してたの?」
「す、素振りを……」
「バット振るのにあんな大きな声出さなきゃいけないんだ!」
「殺してください……」
「何で?!」
夢花の無垢な笑顔が、今の煌大には痛すぎる。
煌大は至って真面目に練習をしていた。が、別にあんなに大きな声で実況をしながら素振りをする必要はなかった。
煌大は風呂上がりに体を動かしたことでただでさえ体が火照っているのに、こんな醜態を好きな先輩に晒したため、全身から汗が噴き出している。
もう一度風呂に入る必要がありそうだ。
「それで、先輩は何を?」
「これからランニングに行こうかなって。
一緒に行く?」
「ちょっと今日は遠慮しときます……」
「そっか」
「決して先輩と行くのが嫌って訳じゃなくて、あんな姿見られたのが恥ずかしくて……」
「真面目な練習じゃなかったの?」
「殺してください……」
「今なんか死ぬ要素あった?」
せっかくの夢花からのお誘いではあったが、今は死にたい欲の方が強い。
夢花は塀越しから、なおも煌大を見ている。
煌大はバットを持ち直し、もう一度イメージトレーニングをしながら構える。
そして、テイクバック(バットを振る前に後ろへ引く動作)をとり、体重を軸足にしっかりと乗せて、前に踏み込み、振る。
「すご!音がブン!ってなった!」
「これをあと百四十八回やります」
「えっ、結構しんどいよね」
「いつも倍やってましたけどね」
これは、まあ本当である。
煌大は中学の頃から、一日にバットを三百回振ることを目標としてやってきた。
一週間でリタイアしたが。
過去形なので、嘘をついているわけではない。あくまで本当の話である。
「じゃ、わたしは走ってくるね。おやすみ」
「気を付けて、行ってらっしゃい。おやすみなさい」
夢花はそう言って、塀の向こうから出していた頭をしまい、足音とともに去っていった。
そして、去ったのを確認してから、煌大は、
「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
先程の恥ずかしい事件を思い出し、悶絶した。
ゴロゴロと転げ回り、のたうち回る。
(……でも、さっきの俺たち、まるでカップルみたいだったな)
と考えることで、煌大は立ち直ったのだった。
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キラメクユメ 蜜蜂 @amagawa
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