第3話 扉の向こうから、向こうへと:幸谷柊士(コリン)&幸谷殺羅(エリー)

「師匠、ちょっと待って下さい」


 ずんずんと人の波を縫って進んでいく、前の女性の肩に手をかける。


「なんだ」


 無愛想な調子で振り向いた彼女は、幸谷ゆきや殺羅さら。僕の師匠であり、親代わり。ついでに言って人類最強、だったっけ。


「少し待って下さいと言っていますよね、さっきから」

「人が多いところは苦手なんだ」


 それはそうだろう。何度も聞いたことがある。


「それが、変なんですよ」

「何がだ?」

「ただ人の眼がある、というだけではなく誰かに見られている気がするんです」

「あの、監視カメラとかっていう機器じゃないのか?」

「そう、でしょうか」


 明らかに人の視線を感じたんだけれど。


「それよか、こりゃあどういうことだ?」

「僕の方から訊きたい気分ですよ。僕たちは何でこんなところにいるんです?」


 僕は確か、師匠のお師匠様のお部屋の掃除を手伝っていたはずなのだが。


「知らねえよ。でも来ちまった以上、帰る道を探さないわけにはいかないだろ」

「そうですけれど」


 文字が読めないようなところで、どうやって帰る道を探せというのだ。

 というか、さっきから普通に視線が痛い。


「そりゃああれだろ、お前の髪の色」


 確かに言われてみれば、雑踏の中に見えるのは黒髪の方ばかりで、僕のような金髪は少ない――が。


「どう考えても師匠の髪の方が目立ちます」


 天辺は鮮やかなブルー、そこから下へ下り落ちるにつれて色彩はかわいらしいピンクへ、グラデーションを作り上げている。


「人間離れした色です……その後は緑になるんでしたっけ?」

「色相環が回るだけだ。特に不思議はない。生まれついた時からこのままだぞ?」


 虹色の髪ってわけか。別に羨ましくはないな。あんな、皇国でも王国でも『違う』と思わされる髪色、少しも羨ましくない。


「またまたそういうこと言っちゃって。実は羨ましいんじゃないの?」

「全然ですよ」


 僕の本心なんて誰にも読めてたまるか。


「そうかい。どうする? 帰り道をとにかく探しまくるかい?」

「……そうですねえ、文字が読めない以上うまいことはいかないと思いますが」


 『帰り道』と書かれていたところで、こちらの文字が読めない僕らには理解することができない。これは致命的だ。


「僕らってなんかの扉を通って来ただろ? だからさ、またドアを捜せばいいんだよ、きっと」

「そうですけれど……どの扉を通って来たのかさっぱりですよ」

「気づいたらここにいたもんなあ。まあでも、その辺のドアを片っ端から開けていけば、いつかたどり着きそうなものだけどな」

「ローラー作戦ですか――非効率的ですね」


 疲れることは苦手なのだ。それは師匠だって同じだろう。


「そうかあ。じゃあ、とりあえず楽しむことにするか?」

「はい?」

「いやあ、見た感じなんかお祭りみてーのをやってるみたいだしよ。どうせなら遊んでこーぜ。時間に余裕はあるだろ——リミットがそもそもないし」


 思わず聞き返す。


「しかし、お金とかありませんし」

「あそこ見ろよ」

「え? 何も読めませんよ?」


 そう言ったところで、師匠が不思議そうな顔をしているのに気づく。


「コリン? お前、あの字が読めないのか?」

「……はい? 少し待って下さい、師匠はあれが読めるんですか?」

「おう。ばっちり読めるぜ、『ジェンガコンテスト』っつって書いてある。なんか棒を積めば賞金がもらえるらしい」

「……まさか」


 師匠の育った国では『日本語このことば』を習うのか。


「あーそうか、お前の国では習わないのか。道理で変な顔をしてるわけだ」

「はい。そうでしたね、てっきり師匠もわかっていないものかと」

「僕だって完璧にわかってるわけじゃないぜ? 共通した文字がいくつかあるくらいだ」

「十分ですよ。それで――賞金でしたっけ? やってみますか?」

「いいね、その乗り気な感じ」


 師匠はくく、と笑って見せ、ついでに革手袋の手を軽く振るった。ほんの少しばかり黒く光る革だった。

 僕の手にも嵌まった、お揃いの手袋だった。


 ——僕が師匠に師事したのは八歳の時。それから十年と少し、僕は忌むべき人殺しの技術と共に生きてきた。僕にとって『殺すこと』とは『妹を守るため』のことだった。そのたった一つの事実が、僕が完璧な人殺しに——人でなしになってしまわないためのストッパーだった。

 もしも、クリスがどこかの時点で居なくなってしまっていたのなら。僕はきっと、殺人鬼にでもなっていたんだろう。

 僕は殺すことが得意すぎる。それは一般人としてはおかしい特異点で、あり得てはいけない特徴だ。

 だから、何か目的が無ければいけない。目的が無かったのなら、それはただの快楽殺人だ。僕が殺人鬼でなく……鬼でなく、人であれたのはあの子クリスのおかげなんだ。


 僕が妹に抱くこれが愛じゃなくて執着だから、師匠は散々僕を可笑しい、狂っていると罵るんだろう。


 それは構わないことだけれど。僕の生きる理由まで否定しきってしまわないでほしいな、とも思う。


「おい、早くしろよ」


 急かす師匠の声に、解りました、と返事して。止めどのなく取り返しの付かない思考を振り払うように、足を踏み出した。


***


「これ、どのくらい積めばいいんです?」


 周りの人たちの反応と手元を見る限り、もう充分なことは解る。しかし、コンテストという以上は優勝を狙うのが当然だろう。制限時間がまだ半分近く余っていることから鑑みて——


「知らねえ。 僕はまだいけるぞ」


 なぜこういう人種はすぐに自分中心で考えるんだろう。少しは僕とかのことも考慮してほしい。あと、世間体とか。


「ていうかこのゲーム、もともとは積み上げる形があったみたいだぜ——っと」


 とっくに出来上がっている意味不明な建造物の頂点に、やや悪戯めいたおかしな棒を載せる師匠。一体何を考えているのか、頭を掻っ捌いてわかるものならやって見たい。


「この建造物は何なんですか? 僕は師匠の言うとおりに積んでいるだけなのでよくわからないんですけど」

「王宮だ」

「王宮……というとあちらの?」


 僕の生まれた国だ。

 行ったことはあれど、王宮にまでたどり着けたことは無い。一人で突破すればすぐにたどり着けるだろうが、とある『部隊』に属している身としては心苦しい——というか難しい。

 隊長の命令は絶対、そうだろう?


「ああ。こう見ると気持ちの悪い建物だな」

「形自体は学舎に似ていますけれどね」


 ちょうどこの建物らしくもある。おそらくこの建物はこちらの世界での学び舎に当たるのだろう。先ほどから似たような服を着た同年代の少年少女が多くみられることにもそれで納得できる。いやはや、おかしなところに迷い込んでしまったものだ。


「三階建てでコの字型だからか? 確かに学校っぽいなあ。もう少し装飾とかを奇麗にすりゃあいいのにな……そうだ」


 おっと? ろくなことを思いついていないときの声だぞ?


「おいコリン、手伝えよ。『僕の考えた最強の王宮』を作るぞ」


 そらきた。全く、師匠の勝手はもう勘弁だ。とか言いつつ従ってしまう自分が非常に情けないところではあるんだけれど、ね。


***


 まあ、当然と言うべきか、必然と言うべきか。

 師匠と僕の共同作品——ほとんど師匠が作っていたようなもの——は一等賞を受賞して、少ないながらもここを一日楽しむくらいには十分な位のお金を頂いた。幸い言葉は通じるようなのが本当に助かる。そういうご都合主義は大好きだ。


「さーてどうする? 僕はな、頑張ったから腹が減ったぞ」


 この人は多分幼稚舎からやり直した方が良いくらいの社会不適合者だ。まあ、だからこそここまで強くなれたというわけでもあるんだろうけれど。


「ではお昼にしましょうか。とりあえず日暮れまでに帰り道を捜せばいいんです、まだ猶予はありますよ」

「良いこと言うね! そう来たら探しに行こうぜ」


 嗚呼本当に。僕は表と裏さえもないくらいに有耶無耶でぐちゃぐちゃな人間だ。否、表と裏どころか顔と心すらもないのだろうか。……僕はさながら空っぽなのだろうか。自分と言えるものが、核となるものが無いのだから。


 何にもない人間だから、何でもできてしまうんだろうか。


「おい、何してんだ? さっさと行くぞ」

「はい」


 そんな風に従順に返事をする、ただそれだけのいつものことにも、普段以上に穿った意味を見出してしまう。やっぱり僕は僕がないから、こうして誰かに流されて生きているんだろうか、なんて。


 僕って誰なんだ、って。


***


「おや、これはおいしいですね」


 師匠の説明によると、ホットドッグと言うらしい。


「だな。ちょっと辛いのが玉に瑕だが」


 これは、辛いというほどではないと思うが。最近気づいたのだが、どうやら師匠という人は極端に濃い味が苦手なようである。薄味好み、どころか味が無くたって気にしていない。師匠はさして重要視していないようだけれど、料理において味は一番大事ではないか、と僕は思う。


 そうやって味を気にするのが、人間なんじゃないか、なんて思う。


 ふざけたことを言った。


「いろんな人が居やがるな。さすがにここでバラバラ殺人事件を起こす気はないが——どうも、うずうずする」


 うずうずするな。


「ん? 何だ、アレ」


 そう言って師匠の指差したのは、パイプやライトなどで盛大に設営された、野外ステージだった。ドラムセットなどが既に組まれており、どうやらそろそろ公演を行うように見える。


「つまり音楽ってわけか?」

「恐らくは」

「じゃあ、見に行って見ようぜ」


 え?

 僕まだ食べ終わってない。


「そんなんさっさと食え!」


 暴論すぎる。


***


 師匠の命令で、ホットドッグを口に押し込んで(味がしなかった、当然だ)、野外ステージに向かう。部外者が近寄って良い訳もないのだが、そんなことはお構いなしに師匠がどんどん前へ進んでいく。はぐれないように付いていくのが精いっぱいだ。


「あら?」


 すたり、と立ち止まった少女。いつの間にか周囲には誰にも居なくって——って、これ絶対入っちゃ駄目なとこだ!


「どうしましたか? 道案内なら——」

「お嬢ちゃん、困ってんのかい」


 どうしてそう、ろくなことを言わないんだ。


「あー……いえ、困っているというほどでもありませんが」


 素直に話すんかい。


 ややぼさっとしたボブ、それから少しだけ皺の寄った制服。身だしなみに神経質な方ではないようだ。


「へえ。ちょっと話してみなよ、お嬢ちゃん」


 お悩み相談は後でご自由にやってください。とにかく僕は今、この場を逃げたくて仕方ない。だって、ロープを超えて入ってはいけないエリアに入っている僕たちのことを、数百人が注目しているんだから。視線が痛いってレベルじゃない、死線に居るんだよ、こりゃあ。


「そうですね……実を言うと、このままでは、コンサートができないんですよ」


 師匠のような怪しい人に話しかけられたというのに、随分肝の座った人だ。尊敬するけれど愛しはしない。警戒心が無さすぎるのは平和ボケか。


「ふうん、そうかい。お嬢ちゃんは何か演奏するの?」


 名前をお訊きになったらいかがでしょうかね。


「私は……キーボードを」


 急に喋りがたどたどしくなった。元は引っ込み思案な人らしい。電池が切れた、と形容するのが一番伝わりやすいか。


「そうかい。どうしちゃったんだい? というかお嬢ちゃんのキーボードが不具合ちゃんなのかい?」


 畳みかけるな。あとよくわからない言葉を遣うな、キャラがぶれる。


「……いえ。……私は問題ないんです」


 じゃあ何が問題なんだ。あと、あなたはここで何をしていたんだ。


「師匠。少しいいですか」


 もともと僕らの見た目は、この国に通常に存在するにしてはややトリッキーだ。それゆえか、後ろから声を掛けた僕を見て、少女が少したじろいだ。……少女が少し、か。面白い。


「お名前をお聞きしてもよろしいですか?」

「……あ……弖城てしろ裕海ゆうみです」


 丁寧に文字を説明してくれたが、ここの言葉を解さない僕にはさっぱりだった。師匠はわかったんだろうか。


「いや? 全然だぞ?」


 駄目だった。


「僕は柊士しゅうじといいます。故あって、名字は明かせません」


 隊長から教わった、『漢字』とやらを書いて教えると、どうやら少女の方は強く納得したようだった。その反応を見るに、ここはもしかしたら地球……日本なのかもしれない。


「それで、改めて質問です。何かお困りですか?」


 僕とあんまり質問は変わんねえぞ、と師匠がバタつく。子どもか。


「……あのですね」


 目の前の少女が答えようとした時だった。


「あ! ユーミちゃん、こんなとこに! なんかどーすればいいか、わかったぁ?」


 おや。典型的な馬鹿みたいなしゃべり方をするオンナノコだな、これは。自分で何も考えようともせず、ただ誰かに問題を丸投げすることをよしとする、腐った性根の持ち主。


「あ……ごめん、あんまり」


 そう言って目を伏せたユーミさん(少女は気に入らないが呼び方は気に入った)。この人は生きていて損をするタイプだ、と思う。


 でも。

 その生き方が、どこか隊長に似ていた。


 だからと言っちゃあ気持ち悪いけど。

 思わず、口をいた。


「ユーミさん。僕にできることであれば、お手伝いしますよ」


 そんな、馬鹿げた台詞が。


 言った僕でも戸惑っているような言葉だ、もちろん師匠もその戸惑いは同じだったようで。


「おい、何言ってんだ?」


 そんな風に問いただされる。


「勝手です、好きにさせて下さい」

「そうは行かねえ、手伝うぜ」


 それは心強いです、なんてその場しのぎの心にない台詞を言った。


「えーっ! イケメンなんですけど!」


 そうだった。僕は顔立ちが整っている方だから。


「自分で言うかよ、それ」


 ご自分は作られた顔でしょう、とはさすがに言わなかった。失礼だし、不敬だから。僕だってデリカシーはあるのだ、尊敬してくれ。


「ねね、ユーミちゃん! この人誰!?」

「……んー? 私も良く知らない」

「え!?」


 ユーミさんが僕らのことをよく知らない事に対する非難よりも、それに対する困惑が勝った声を、後から来た少女が上げた。その通常性は尊敬に値する、どころか数少ない彼女の美徳だ、誇っていい。


 だけれど、生憎美徳が通じるような世界に、僕は元来生きていないもので。


「ユーミさん。僕はあなたとお話しています」


 揺れているユーミさんの心を逃さないよう、次の矢を放った。


「……私もいくらか、どうかしちゃったみたいですね」


 それくらいがちょうどいい、人間なんて。完璧に自分を律している人間なんて、居ることの方がおかしい。


「……ギターのストリングスが、切れてしまいました」


 ユーミさんは、そう言った。


「へえ?」


 ストリングス、と聞いて師匠が面白がる声を上げた。確かに得意分野だしな。


ストリングスってこたぁ、それは糸なのか?」

「……ええ。それで、時間があんまりないものですから」


 困り果てていた、というわけらしい。


 困っていただけ、というわけらしくも見えるけれど。


「そーそー! 困っちゃったの!」


 ああ、まだいたのか。


「おい、コリン」

「柊士とお呼びください ——糸ならたくさんありますよ」

「そうかい。 ——お嬢ちゃん……ユーミちゃん。切れたストリングスってのを、見せてもらえるかな?」

「え? ……はい。持ってきます」


 それならあたしが持ってくるよぉ、なんて軽薄な声を上げた少女がステージの裏に消えて、相変わらず衆目を集めながら、僕と師匠、それからユーミさんが取り残された。


「あの……何か手立てがあるんですか」

ストリングスが無くなっちゃって困ってるんだろ? 張り替えりゃあいいだろ」

「あの、でも、それが……」

「安心しな、僕らは〖糸〗のエキスパートだ」


 ウィンクなんてして見せる師匠。ちなみに、両目を閉じるのはウィンクとは言わない。だけどまあ、その下手な顔芸でユーミさんの緊張は緩んだらしく、ほんの少し、笑顔が漏れた。


 ぼさぼさと、所々撥ねたところもあるボブカットに、光が差すように笑顔が色を添える。奇麗な人だ。


「はぁい! ユーミちゃん!」


 呼んだのは僕らだ。会話をしたくないのか。


 少女の持ってきた『ギター』(数本弦ストリングスの張ってある、不可思議な形をしたものだった。どうやら楽器らしい)を見ると、確かに切れているストリングスがあった。


「へえ……コリン」

「はい、師匠」


 持ち歩いている糸の中から、同じくらいの強度としなやかさの物を選んで渡す。あまり強くは無いな、これは。


「切れねーようにしたいんなら、もっと強いのを使うのが妥当だと思うけどな……ほい、修理終了」


 師匠の手際があまりにも鮮やかすぎたのか、二人の少女は茫然と『ギター』を見つめるだけだった。


「ちょっと色合いが変わっちまったな。済まない、持ち合わせがなくて」


 光にかざす師匠。僕にはよくわからないくらいの微細な違いだった。


「これで大丈夫か?」


 無造作に『ギター』を少女——持ってきた娘に渡す師匠。


「んー……」


 じゃらん。


「大丈夫だと思います! ありがとうございます!」


 無造作に、というか雑に音をかき鳴らして、少女はスカートを翻した。揃いのスカート(制服だ)がリズミカルに揺れて、再び舞台裏に見えなくなる。


「すごい……ですね」


 ユーミさんがそうこぼした。


「いや? 糸って聞いたからな。こりゃ出番だ、とそう思っただけだ」


 さらっと格好いいことを言わないでほしい。


「困っていたようですから。当然です」


 こっちがこういう、紳士然としたことを言わなくちゃいけないくなるじゃないか。ほら見ろ、師匠が苦いものでも食べたような顔をしている。


「……ありがとうございます。……あの、良かったら、演奏」

「もちろん聞いてくぜ。お嬢ちゃんはキーボードっつったか? あれでいいんだろ、あの鍵盤楽器」


 師匠が、既に舞台の上に載っている、白と黒の鍵盤を持った楽器を指さす。

 コードがどこかに繋がっているが……あれが噂の『電力』というやつだろうか。基本的な仕組みは魔力と変わらないのだな、コードで移動できるとは。いまいち僕にはよくわからないが、力というのは簡単に姿を変えるのだな。


「そしたら、私。あの、準備があるので」

「いえいえ。こちらが最初に声を掛けたんです。すみませんでした」


 大人らしく、大人しく。

 円滑に潤滑に別れをすませて、師匠を連れて観客の群れに混じる。やれやれ、ようやく視線がばらけて安心した。


「どんな演奏をするんだろうな。これだけ客がいるってことは、きっと盛大なコンサートだろ」

「学生ですから、身内ノリという可能性もありますがね。どちらにしろ、きちんと聞いていきましょう。多分に干渉してしまったのですから、それが代償です」


 もともとこの場所には存在しないはずの人間だ。

 もしかしたら、ここで演奏が行われないのが神の意志なのかもしれない。


「あ? 知らねーよ、神の意志とか」

「運命、とかって言われるあれですよ——」

「生きてんだから神様なんて関係ねーっつてんの。好きに生きればいいだろ」


 望むんなら神に成ってから言って見ろ、なんて無理難題をいとも簡単に押し付けて。師匠は笑っていた。


「それはそうとさ、コリン」

「ですから、柊士とお呼びくださいと。何です?」

「良く見えん」


 でしょうね。背が低いから。


***


[こんにちはぁ。ミサキガオカ唯一のバンドでーす。一個しかないから名前はありませーん]


 そんな風に、どこか締まらない挨拶と共にさっきの少女が登場してきた。ジャラジャラといくつかブレスレットを嵌めた腕をかざし、観客に応える。


「お。あれ、僕が直した奴だ」


 ブレスレットの少女の右後ろ、髪の毛を逆立てた少年が肩にかけていた。その髪型はまるで格好良くないけれど、何でそうしようと思ったのか。


[今回はねー。キーボードに、ユーミちゃんに助っ人に入ってもらってるんだよー]


 こっちこっちー、と少女がさっきの黒白鍵盤の方を指さす。

 ぺこり、と遠慮がちに頭を下げて見せたのは、相変わらずぴょこぴょこ撥ねたボブの人……ユーミさんだった。


[みんな覚えてるー? 去年の合唱コンクール、ユーミちゃんすごかったよねぇ。でも歌わないんだー]


 その声に笑いが起きる。どうやらこの少女、求心力があるらしい。


[それじゃあ、いっくよー!]


 その一言で、沸いた観衆が鎮まる。


 打楽器の音が静かに響いた。


 胸を突き刺す音が、空気を切り裂いて。


 確かに、ユーミさんの音が、こちらへ届いた。


「こりゃ、びっくり……」


 目を丸くして、素直な様子で師匠が呟く。確かに、僕もその意見には賛成だ。


 さっきまでの引っ込み思案で大人しい印象からは打って変わって、激しく透き通って真っ直ぐな音が響き渡る。


 叩きつけるような激しい『ギター』の音に負けず、静かながらもしっかりはっきりと、自分を持った響き。耳に一番飛び込んでくるのは確かにボーカルだけれど、明らかにその場を支配しているのはユーミさんの音だった。


 白黒の鍵盤の上を踊る、彼女を見やる。


 ふっ、と音が止んで。


 静かの後に、ユーミさんが歌った。


 ボーカルの少女がユーミさんにマイクを突きつけて。その喉からこぼれ出すのは、明らかに

 たった一つ、格の違い。


 音はそれ以外に何もないのに。目の前には世界が広がる。


 耳で世界を感じるように、僕は彼女の世界に招待されて、声が創り上げる世界の中で光を感じていた。

 歌いながら、彼女がすうっと手を広げて。


 音が鳴る。


***


「すごかったな」

「ええ。すごかったです、最後まで聞いて居たかったくらいに」


 全く、一体どういうわけなのだ。


「どうしてです? 最後まで聞かずに出てきてしまうなんて。まだ一曲目でしたよ」


 もちろん聞いていく、なんて啖呵を切った癖に一貫しない人だ。


「あれ以上あそこに居ちゃあだめだ」

「何でです?」

「あの娘の歌声は奇麗すぎる」

「まあ、確かに奇麗でしたが……警戒するほどですか?」

「わからねえならいいよ。——それと、仕草がリゼに似ていて」

「私事じゃないですか」


 師匠の師匠。今はもういない人を思い出してしまうから、逃げただなんて。

 あなたらしくもない。


「それはそうと、さ。行って見ようぜ」

「ああ。ここ、何なんです?」


 会場を抜け出し、師匠に連れられて、いつの間にかたどり着いた場所。全体的に雰囲気が昏くって、何だか近寄りたくない部屋だけど。


「『占い』だって。一つ、相性占いでもしてみようぜ」

「はぁ……」


 別に師匠との相性に興味はない。


「あ? じゃあつまんねえなあ……ま、スタンダードに未来でも占ってもらうか」


 案外あっさりと師匠は引き下がった。こういう時に駄々を捏ねる人だと思っていたから、意外だ。


 ふと、近くにあった窓の外を見て戦慄する。

 日が、少し傾いてきている。


「急いだ方が良いな」


 そのことを伝えると、師匠はそれだけ言って、怪しげな部屋に入った。


***


「こんにちはー」


 怪しい黒いローブを着た女性に迎えられる。師匠は少し顔をしかめたけれど、すぐに


「おねーさん、僕の未来が見えるかい」


 と訊いた。何もそんなに挑発しなくってもいいのに。


「ん? お金くれる?」


 先払い制のようだ。師匠が手に握っていた硬貨を渡して、女の人はそれを貯金箱に入れた。


「そしたら、占うねぇ」


 随分ずぼらで適当な占い方なのだな、と思う。まあ、占いなんて言う不確かなものに儀式なんてあっても無くても同じようなものか。


「……あは」


 面白くもないんだけれどかく笑って見た、というような調子で女の人が声を漏らした。


「あなた、きっとこれからも苦労するよ。板挟みにだって何回もなるし、そのたびに失敗して後悔する。でも」


 結局最後には、これ以上ないハッピーエンドを迎える。


 そう言って、女性はもう一度笑った。


「……高い買い物だね。いまいちなことしか言いやしない、それくらいわかっていたことだ」

「どうかな? みんなそう言うよ。……そっちのお兄さんは?」

「え、僕ですか?」


 急に話を振られる。師匠がどうなったって知ったこっちゃないや、と右から左に聞き流していたので何が何やら。


「はっ、面白い。やって見ろよ」


 いとも軽々と、師匠が硬貨を渡す。


「毎度あり―。……何が知りたい?」

「別に知りたいことはありませんよ」


 自分のことなんて、自分が一番わかっている。


「じゃあ、適当に占おうか。良い意味の適当だよぉ?」


 知ったことではない、良い意味か悪い意味かなんて。


「君さ、実のところ何にも大事じゃないんでしょ。それなのに、大切で大事で愛しているふりをして、自分を偽って人にって、それで満足しちゃってんだよ。だからどうしても異なっちゃうし、嫌われちゃって気味悪がられる。実際のとこ、わかってんじゃない? 自分がどうしようもなく周りと違うってこと。でも、変えらんないんでしょ?」


 でしょ、と。

 同意を求められたようでもあったけれど、応えなかった。

 本当か嘘かは、誰にも教えたくなかった。


 もしかしたらその場にいた師匠にはバレバレだったかもしれないけれど。気づかない振りをしてくれたおかげで、助かった。


「ふふ。まあ私は君がどっちだって別に構わないよ」


 意味ありげに、意味深に女の人は笑って。


「貰ったお金分はここまで。それじゃ、さよなら」


 僕ら二人に、手を振った。


***


「結局こんなの、まやかしなのかね」


 枚数の少なくなってしまった硬貨を手の中で転がしながら、師匠が言う。


「適当なことを言って誤魔化しているだけですよ」

「ほんの少しだけ的に当たっているような気もしたけれどね」


 素材の分からない、やや光る床を踏んで歩く。どこに向かっているのかお互いに解らないまま、黙って進む。


「ニコちゃん! 待ってー」


 と、そんな声と共に横を騒がしい一団が通り過ぎる。


 メイド服の少女、執事姿の少年、それに軍服を身にまとった少年少女が一人ずつ、それからそれを追いかける普段着の少女 ——要はごちゃまぜだった。


「あれは何です?」

仮装コスプレってやつじゃねーの?」

「はア。装ってみたところで成れはしないのに、良くやりますね」

「お前、実は良く言われるだろ。『性格悪い』って」

「言われませんよ」


 外面は良いんだ。


「確かに、あのメイド服は短すぎるな」

「実物を見たことがあると仰るんですか?」

「あのなー。金持ちの家に行くと、結構いるんだぞ」

「僕は不法侵入はあまりしないので」

「一度もあれば犯罪者だ、安心しろ。あと、アレ——」


 師匠は一団の最後尾、パステルな色合いの普段着をまとった、背の高い(僕と同じくらいあるかもしれない)少女を指す。


「あの女、かなり強い」

「そうですか? よくわかりませんでしたが」

「素手でやりあったら僕が負けるかもしれねえ」

「それは強いですね。へえ」


 面白いところだ。

 いろんな人間がごちゃ混ぜにぐらぐらになって、溶けて混ざり合ってしまわずにそれぞれ輝いて煌めいている。


「素敵なところですね。ずっと居たくなるくらいに」

「こっちの世界の奴も、僕らの世界に来たらそう言うんだろうよ」

「こっちの世界が奇麗に見えているうちに帰るべきですね」

「そうだな。美しくもなんともない、僕らの世界にな」


 ようやく帰り道探しを始めようか、と思った時だった。


「柊士さん!」


 さっき教えておいた、僕の名前が呼ばれた。


 教えた相手が限定される以上、呼んだのは一人しかいない。


「ユーミさん」


 どうしたんですか、と声を掛ける。


「御礼、言いに来ただけです」


 僕らの姿を見つけて、走って来たのか。息が上がって膝に手を吐く彼女は、強く息を吸って、


「ありがとうございます!」


 と、頭を下げた。


「大したことはしていない」


 後ろから鷹揚に師匠が声を掛ける。自分よりも背が少しばかり高い相手に、鷹揚に声を掛けるというのはいったいどういう心持なのだろう。


「立派でしたよ、演奏」

「見てくれたんですね」


 嬉しそうにユーミさんが胸の前で手を握る。


「いつも、あれだけ自信満々でいりゃあいいんだよ」


 師匠が余計な口を挟んだ。


「おどおどしてんのはお嬢ちゃんに似合わない。あれだけ素晴らしい力があるんだから、胸を張りやがれ」


 しゃんとしろ、なんて。

 師匠は、ユーミさんの胸に人差し指を突きつけた。


 思わず、と言った形でユーミさんの背筋が伸びる。


「それでいい。良い顔だ」


 一体何様なんだ、と突っ込みたい気持ちで息苦しいくらいだったけれど、こらえて笑顔を作る。


「わざわざ御礼を言いに来てくださってありがとうございます、——」


 折角ですが急ぐので、なんて言ってごまかそうと思って口を開いたのだった。


「あの! 御礼だけじゃなくって」


 そんな僕の思惑に気づいてか気づかずか、ユーミさんが師匠の腕を掴んだ。半袖に革手袋、というアンバランスな恰好をしていた師匠がたじろぐ。素肌に突然触られたのだ、誰でもそうなるだろう。


「待ってください、あの、『』! そこに、行けって」

「誰がです?」

「わかんないんです! 何か、さっき占い師さんのところで」


 本当に困惑した様子で、ユーミさんが師匠の腕を離す。


「ごめんなさい、変なこと言って」

「大丈夫ですよ」


 構いません、ととりあえず安心させる言葉を吐いた。

 こういう辺り、僕は本当に適当で誤魔化し屋だ。


「あ……ありがとうございます」


 お互いに何を言って良いのかわからずに、とりあえずと言った風のユーミさんの謝礼の後、見つめ合ってしまった。数秒、静寂と沈黙が流れ、——


「あは」


 どちらからともなく笑って。


「さようなら」


 きっと二度と会わないだろうけれど、あっさりとお互いに踵を返した。


 言葉こそなかったけれど、何かが何処かで繋がった、そんな気がした。


「おい。行って見ようぜ」

「言われなくてもそのつもりですよ」


 あの占い師がモグリだったなら、すべての期待はパアだけど、ね。

 たまには博打も悪くない。


***


「コリン?」

「柊士と呼んでください、何ですか?」

「あの占い師の言ってること、少しは信じる気になったか」


 今となっては信じないわけにはいかなかったけれど、それを認めるのが癪で嫌で仕方がなくて、肩を竦めた。


だろ」


 二人で散々迷ってたどり着いた、『』。つんと鼻を指す独特の匂いが漂ったその場所には、ただ一つ。


 が、展示されていた。


「展示って感じじゃないけどな。でも、これだろ」

「ええ。そうですね」


 パステルというには少しくすみすぎた水色。上から垂れ下がる蔦は嫌味にならない程度に絡んで、覗くための窓の向こうはさっぱり見えない。


 通ってきたのと、同じドアだった。時空の性質も決まりも何もかも超えて、あっちゃあいけないことが起こっている気はするけれど。それでも構わない。


「帰れるんですから、何でも良いでしょう」

「結局家が一番、っつてな」


 確かに素敵なところだった。楽しかった。

 でも、僕には帰る場所がある。


 磨き上げられた金属のドアノブに、爪の先を触れさせた。これでお別れだ。


「躊躇ってんのか?」

「いいえ? やり残したことはありませんか、師匠」

「ねーよ。さっさと開けやがれ、愚か者」


 はいはい。いつだってそうなんだから。もっと優しく丁寧に人に接してもばちは当たらないと思うけど。


「じゃ、行きますよ」


 やや重い音。二人で体重を掛けないと開かない押戸。


 僕らは、扉の向こうへと足を踏み出した。




≪作者注釈≫

・こちらの世界にお邪魔させていただきました。

しがなめさん(https://kakuyomu.jp/users/Shiganame)/県立岬ヶ丘高校


・登場人物紹介

 コリン/柊士しゅうじ幸谷ゆきや殺羅さら/師匠

 →フルリ作『狂戦士の幸せな結末』登場人物


 弖城てしろ裕海ゆうみ

 →しがなめさん作『道路標識と私』登場人物


 良かったら上記の作品も見てみて下さい!

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