第2話 奇蹟は二度起こらない:凊冬冴&古実里香
「
突然スマホの画面に現れたメッセージ。使い慣れたアプリの見慣れた通知だったけれど、並ぶ文字列が突飛すぎて頭に入ってこなかった。
だってその名前は、わたしが数日前に訣別を告げたはずの、愛おしい先輩の名前だったから。
わたしこと
それが、こんなメッセージだって? 確かにはっきり別れを告げたのに、こんな風に向こうからアプローチをしてくるなんてこと、あって良いのか?
「凊冬です」
返す言葉が見つからなくって挨拶を返すと、自動なのかと疑うくらいに早く既読が付き、メッセージが送られてきた。
「十一月中に
「はい在りますね」
「行きましょう」
ん、と思う。
おかしい。
とんとん拍子過ぎておかしいぞ、この会話。
「あたしは岬ヶ丘の校門前にいますから。もし良かったら、初日の午前十時くらいに来て」
それっきり、何を送っても既読にならないし返信は来ない。
意味が分からなさすぎて戸惑いまくりだけれど、ほんの少しだけ心が躍るのは確かだった。
もしも本当に、先輩に会えるのなら。
行ってみる価値はある。
***
もしかしたら読者の皆さんは、わたしのことを『非常に愚かだな』と思っていらっしゃるかもしれない。もちろんわたしとしてもその感想に異論はない。わたしは馬鹿だ。ただ、一回の現代っ子として反論をしておくと、自己肯定感は大事なのでそんなことは無い。はは、我ながら無茶苦茶な意見だ。
というわけで、愚かなわたしはのこのこと岬ヶ丘の校門にやってきた。校門というのがどれを指しているのかはっきりしないけれど、この場合は正門ということでいいんだろう。
先輩……。目を皿のようにして、というほどではないけれど。まあまあ目を凝らし、先輩の姿を捜す。どんな服を着ているのか全然知らない。
と、風船のくくり付けられた柱の下に立つ一人の少女が目に留まった。
目に留まったなんてものではないな。
目を突き刺した。
視界に入った途端、視点がそこに真っ先にフォーカスした。まるで光り輝いているかのように、わたしの目を釘付けにした。
青と白のストライプのシャツにベージュのミニスカートというシンプルな恰好をしたその人に近寄ると、残り三メートルくらいのところで目が合った。眼鏡の硝子が光を反射する。
にこり、と笑いかけられる。おずおずと笑い返すと、向こうが一気に破顔した。
「スズちゃん」
そんな風に、三年前と変わらずわたしのことを呼ぶ。
「先輩」
あの頃と変わってしまったわたしは、あの頃と同じ呼称を使って良いのかわからずに迷って口に出す。
「久しぶり」
そう言って、あなたは笑った。
改めて自己紹介をさせてもらおうと思う。
わたしの名前は
大体一か月前、文化祭の時期に不思議な『ドア』を介して異世界に行った。
正確にはあの世界は地球と繋がっているわけだから、完璧な異世界とは言い難い。それでも、あそこは大いに異なっていた。
そこでわたしは、自分の愚かさを学んだ。
今の若者たちが抱きがちな、『何とかなる』という漠然とした思い。努力が何よりも尊いということは人生を懸けて学んできているはずなのに、若いが故の早とちりと愚かさで、努力をしなくても自分は何とかなるだろうという的外れな特別願望。
そう言った、傍から見れば可笑しくって仕方がなくって思わず鼻で笑ってしまいそうな詭弁をまるで信条であるかのように掲げるわたしたちの馬鹿らしさ。 ——そんなものを、骨身に染みるほど実感した。
あの世界に生きる人々は皆ひたむきで。
わたしのように、前を向こうとも後ろを見ようとも周りを見渡そうともせずに、ただ目を瞑って、目を逸らしてその場で足踏みしている人間など一人もいなかった。
果たして、そうして歩き出さないお前は人なのか、と。
そんな風に問われたような気もした。
だからわたしは今、
あの世界はわたしにとってとても居心地が良くて、人も温かく感じられた。でもそれは結局自分の世界から逃げていることで、あの世界で生きることを望んだところでどうせわたしは
それがわかっていたから、わたしは自分を変えることを選んだ。
環境から逃げるよりも、自分を変えることを選んだ。
『第六十七代生徒会副会長、凊冬冴』
こんな肩書を得たのも、その決意のおかげだ。
幾度か友達には怪しまれているけれども、わたしは自分が変わったことを後悔したことは一度もない。
むしろ、こんな自分でいることを誇りに思って居る。
「スズちゃん?」
そんな風に、決意表明にも似た回想をわたしが終えたところで、先輩が訝しんできた。
「随分険しい顔してるね」
可愛い顔してるんだから笑わなくっちゃ、なんてにっこりしてみせる彼女。
そもそも彼女はここに居ることがおかしいのだ。
——古実先輩。古実、里香先輩。
わたしの一つ上の学年、もし今中学生だったとしたのならば三年生。
彼女は、わたしが小学六年生だった時に失踪した。
正確には失踪というよりも、消失した。彼女がそこに居たという確固たる証拠はどこにも残らず、『地球人の古実里香』という存在は完璧に消滅した。それは、異世界における一つの国家――皇国の仕業で、誰の記憶にも残らずきれいさっぱりといなくなった。無論わたしの記憶の中にも残らず、わたしはつい先日まで彼女のことを忘れ去っていた。
思い出したのが、一か月前。
わたしが迷い込んだ異世界——皇国の皇女様。
数年前に突如現れた国の期待の新星として、崇め奉られ拝み敬われていた、それが彼女だった。
もちろん皇国の皇女様として彼女が崇拝されていた以上、地球において彼女の存在は消えてしまったわけで。
幾ら、そうして彼女が居なくなってしまった理由を
『国家重要機密だったから忘れさせるしかなかった』だの、
『覚えて居たっていいことは無いでしょう』だの、
『あたしはもともと地球に居てはいけない存在だった』だなんて説明されたって。
わたしは到底納得できなかった。
わたしにとってはもともと大切な大切な、大好きな先輩で。居なくなった時にはそれなりの喪失感を味わうのは妥当のはずで。
喪失感も含めて、彼女だったはずなのに。
彼女がいないのを当たり前にされて、喪失感もなかったことにされて。
確かに『在った』はずの先輩との思い出さえもなくなってしまったことは、まるでわたしの人生が蔑ろにされてしまったように感じてしまったのだ。
「あたしがここにいる理由、とかは後で説明するね。とりあえず、遊びに行こっ」
こうやってあれこれ思索と思惑を巡らせてみても、結局彼女の声を聞いてしまえば、わたしはうなずくことしかできないのだった。
***
「先輩はどこか行きたいところがあるんですか?」
「うーん、えっとね、『文芸部』!」
そういえばこの人は文章を書くのが好きだったっけ、なんて思い出す。
「図書委員会でしたもんね」
「そこであたしたちは出会ったんでしょー」
忘れちゃったの、なんて頬を
「スズちゃんは、今でも図書委員会?」
「いいえ。生徒会です」
「おお~。かっこいい!」
「ありがとうございます」
実際のわたしは格好良くないし、上手くやれてもいないんです。そんな弱音を吐きたくなったけれど、思い切って飲み込んだ。
わたしの弱音なんて、地球でのそれまでの人生をぶん投げて異国へと
「あたしも一回、小説とか書いてみたことあるんだよね」
そんな風に、先輩が呟いた。パンフレットを右手に持った彼女についていくわたしは、思わず目を瞠る。ただ文章を書くのが好きなだけでなく、創作畑の方だったとは。
「そうなんですか!?」
「うん。恥ずかしいから見せはしないけど。結構楽しいんだよ、ああ云うのって」
「へえ……」
今度やって見ようかしら。独りよがりになり過ぎちゃうのがやっぱり一番の懸念だけれど。
「万人に伝わるように、わかりやすいようにって気張るとね。どうしても書きづらいんだ」
「そうですよね。だって、自分の考えていることを、自分の視点を誰かに共有するのが目的なわけですから」
「人は完璧には分かり合えないって言うの、ああいうところで身に染みるんだ」
結局歩み寄ろうとしても、意味は無いのかなって。
そんな風に、先輩は呟いた。俯いた頬に、少しだけ影が落ちる。
「詳しい事情の明言は避けるけどね。今あたしは、世界平和を目指して絶賛努力中なんだ」
「世界平和……ですか」
「うん。スズちゃんは、生徒会だからあれでしょう、『学校平和』でしょう」
「まあ、そうですねえ」
とてもそんな崇高な意思を持っているわけではないし、持っていたところでわたしが実現できるとも思えないけれど。
「でも、いくら頑張ったところで聞いてくれない人は聞いてくれないでしょ。何をお願いしたくっても、相手に聞く耳が無くちゃどうしようもないよね」
交渉って大変なんだよ、と先輩。
「だから、こういう人たちを参考にさせてもらおうかなって」
ようやっとたどり着いた、『文芸部』の看板を指差す。絵の上手い人がいるのかな、ふわふわしたクラゲの絵がとても美麗。
「あたしは絵が描けないからねー。こういうの見ると、どれだけ簡単そうでも尊敬するよ」
「それはわたしもです」
頑張っているつもりなのに幼稚園児みたいな絵になっちゃうのは何だろうな。あの現象に理由とかあるのだろうか。
「失礼しまーす」
何だか躊躇している人もいた、開けるのに少しばかり勇気のいる大きな扉に軽々と手をかけて。先輩は、文芸部の部室(?)に素早く身を滑り込ませる。うっかり取り残されてしまわないように、と急いで後を追った。
「こんにちは」
静かな音楽(どういう意味だ?)の流れる部屋の中には、制服を着た高校生らしき人々が何人かいらっしゃった。
「どうぞ、好きな冊子をお読みください」
用意されている席には既に何人かが着席している。早々と一つの冊子を手に取った先輩に続き、わたしも適当に選んで並んだ。
「しばらく読むから静かにしていてね」
まるで子供に言い聞かせるようにして言われては仕方あるまい。幸い本を読むのは嫌いどころか好きな方だ。すっかり本に没入してしまったらしい先輩の、メガネが光る理知的な横顔をちらっと眺めてからわたしも冊子を開いた。
***
わたしが一冊目を読み始めてから一時間は経っただろうか。わたしは十五分もしないうちに飽きてしまい、そこからはただ目で文字を追っているだけだったのだが、先輩の集中力はすごかった。二十分くらいで一冊目を読み終わってしまうと、とっくにスマホをいじっていたわたしにはお構いなしに二冊目を取ってきて、勝手にずっと読んでいる。さすがにスマホをいじるのにも飽きてきたわたしはどうすればいいのだろう。
「よし、終わった」
意味もなく
「このくらい読めば十分かな。スズちゃん、出ちゃって大丈夫?」
もちろんです、むしろ歓迎です。
***
文芸部を出ると、時間はもうお昼だった。
「つき合わせちゃってごめんね。お昼食べよっか。ついでにさ、あたしが今ここにいる理由も説明する。きっと気になってるでしょ」
ああ全く、小学校で同じ委員会だったころから、この先輩には振り回されっぱなしだ。そのことで迷惑したことも数えきれないくらいあったし、何なら嬉しい思いをしたことの方が少ない。
それでも、こうやって振り回されるのをどこか楽しいと感じている自分がいる。
きっとそれは、この先輩の才能なんだろうな。人を振り回すことを通常だと思って居て、その傲慢さをふんだんに散りばめた可愛らしい態度で人を連れまわしても、不快に思われない、まるで『天性の王性』とでも言うのが正しいかのような横柄さ。そんな横柄さがあるのにも拘らず、ちっとも嫌味に感じない。
わたしが不躾に彼女の顔をじろじろと見ても、先輩は少しも気にせず、
「それじゃ、スズちゃん! 行こっ!」
と、輝くばかりの笑顔をわたしに見せつけるのだった。
はい、と返事して。
わたしはわたしの小さな王様に、手を引かれるままについて行った。
***
「簡単に説明するとねー。あたしは抜け出してきたんだぁ」
そんな風に、先輩は自分がここにいる理由を説明してみせた。かじ、とフライドポテトを齧る彼女の耳にイヤリングが光っていることに、ようやく気付く。
「抜け出してきたって——? あと、つけて下さっているんですね、それ」
見えるのは右側だけだけれど、まぎれもなくそれはわたしが彼女に渡したピアスだった。穴を空けてはいないようだから、加工したのだろう。
「うん! 半分こしたんだ。もしお互いに何かあったらわかるくらいの
「面白い仕掛けですね」
「えへへ、でしょう。——それでさ、あたし今、一応逃亡中? なのね」
「誰か追ってきていらっしゃるのですか?」
「もちろん。ていうか、衝動的に飛び出してきちゃったから心配されちゃってるんじゃ、っていうのがほんとかな」
間違いなく心配しているでしょうね、それは。
「だよねえ……うう、怒られるの嫌だなあ」
全く。大人びている、どうにも怖くって恐れるしかないような人の癖に。先輩は時々、とっても子供らしいのだ。
その子供らしさを見せる相手はきっと少ないんだろうな、と考えると少し嬉しくもある。
「ところでさ、さっきすごかったねえ。ジェンガ」
「ああ。確かに」
屋台を回っているときに目にした、『ジェンガ積み大会』。午前の部の一位は、ジェンガで作ったとんでもなく大きなお城だった。残念ながら写真しか残っていなかったが、周りの人との対比を考えるに、かなり背が高く幅も広かった。
「一体誰が作ったんでしょうか」
「うーん。ちょっとばかし心当たりはあるんだけれどね。明言するには自信が無いな」
わたしの知っている人ですか、と問いかけると彼女は首を振った。じゃあ仕方ないや。
「あ、忘れてた。あたしがここに来たのは、純粋にスズちゃんに会うためだけだよ。実は少し前に地球に来てね。それで、岬ヶ丘で文化祭やってるのに気づいて、極秘ルートで連絡先をゲットして、会いに来たの」
その極秘ルートがすごい気になる。
「一歩間違うと犯罪ですね。まあ気にしませんが」
「その寛容さ好きぃ」
好きでいて下さって嬉しいです、なんて適当に返事をした。
「ごめんね」
「何がですか?」
「ううん。——あたしはスズちゃんのためになることを望んでああしたわけだけれど、もしかしたらスズちゃんは元のままで居たかったのかなって」
「……構いませんよ」
彼女と再会する前。
わたしは前述の通り、努力なんてしてもしなくても同じだと思っているし、テストは努力しないで受けるのが当たり前だと思っている無気力で愚か者な、一介の女子だった。
しかし今は、副生徒会長。下剋上といえば聞こえの良い、もっと簡単に言うと優等生だ。
優等生はとっても良い。先生からの覚えは良くなるし、大人はとても喜ぶ。
でも、周りからの受けは良くない。
周りの人間、という愚か者たちは『相手が優等生』、『相手は頭が良い』ただそれだけの理由で線を引く。まるでわたしたちと自分が違う人間であるかのように自ら格差を作り出して満足する。
本当に最悪だ。
こんな世界の醜さに気づいてしまうくらいな、無知な方が良かったかもしれないとも思う。
「それでも、あれは先輩にしかできないことだったでしょう。楽なことばかりを選ぶ阿呆なわたしに気づかせるなんて」
「あたしにしかできないっていう限定は諸刃の剣だよ——でも、スズちゃんが喜んでくれたなら良かった」
そう言って、先輩は笑った。
この人はすごい苦労人だろうな、と思った。自分が為したことの結果など気にせず、ぼうッと生きていればいいはずなのに。彼女は自分がしたことを気にして、なおかつ自分がしたことのアフターケアまでやってのけようとする。
「先輩のやさしさも諸刃の剣——否、ブーメランですよ。もっと自分に優しくしたらどうですか?」
「出来たらするよ」
わたしは、いつかあなたがそれで壊れてしまうんじゃないかと不安なんですけれど。
***
「卓球って、
「そうなんですか? 出来ないんでしょうか」
「こんな小さいボールがないんだよ。あんまり科学が発達してないから」
「なるほどです」
わたしも先輩も、運動ができるわけではない。
午前中は文学的で理知的な活動をしたので、午後は運動をしようという話になったのだけれど、お互い得意分野が存在しないので、室内でできる簡単な球技として人気な『卓球』を今やっているわけである。
「ところで、先輩。わたし少し気になっていることがあるんですけれど」
少しどころじゃないんですけれど。
「うん。あたしも」
ですよね。
「何であの人、卓球部のユニフォームを着て壁で三点倒立の練習をしているんです?」
わたしの知らないうちに卓球には三点倒立が含まれるようになったんですか?
「うーん。そんな話は聞かないけど。ていうか、全然傾向違うし」
「ですよねえ」
ユニフォームという信用の証が無ければ、怪しすぎて連れ出されてもいいレベルだ。しかし、その彼——三点倒立をしている不審者の同級生、または部活仲間であろう同じユニフォームの少年少女は、特に気にする様子もなく作業を続けていた。
「あれは公認ってことかなあ」
「彼は卓球部の三点倒立係ってこと?」
「そんな係あって
わたしは絶対にやりたくない。
「あたしもやりたくない」
「どうします? 気になって仕方がないんですが」
「じゃあやっぱり」
訊きに行くしかないよね。
元気にそう言って歩き出す彼女の背中を追いかけながら、前もこんなことがあったと思いだす。先輩に振り回されるのはわたしにとっていつものことだが、たまにはわたしと先輩が合意の上でお互いを振り回すこともあったという良い事例。
「どうもこんにちは」
そんな風に、優しく先輩が声を掛ける。丁度わたしたちが話しかけに行くことを決めてから十回目の倒立をしたところだった彼は、汗を拭きながら返事した。
「どうも」
体育会系らしい挨拶だな、と意味の分からないところに感心する。
「あたしは
「はア……
いかにも年上のお兄さんだ。か弱い中学二年生女子としては、話しかけるのに胆力を要する。しかし、先輩にそんな様子は無く、
「あの、卓球部の方ですよね。どうしてこんなところでこんなことを」
「ド直球だね」
そんな風に喜多山さんは苦笑した。うん、わたしもそれは思う。
ピアノでもやっているのだろうか、細く長い指。上履きのラインを見る限り年は高校二年生。……それにしては背が低い。
「趣味? みたいな」
「変な癖ですね」
ド直球に真顔でディスるのをやめてほしい。わたしの立場がなくなってしまう。
「何かねー。去年の冬ぐらい? に彼女に振られてからさー。何事にもやる気が出無くって? これが何か趣味になっちゃって」
「そうなんですか? 彼女さん、思い切りましたね」
「え」
「ここの行事、冬くらいに目白押しでしょう。いったい何があったのか、あたし如きでは推察することは難しいですが。何にせよご愁傷さまです」
フルスロットルって感じ……。相手にもうちょっと寄り添ってあげて……。
「あはは、辛辣だね」
こういう時だけ、年下で良かったって思う。そうじゃなきゃ生意気すぎてボコられてる。
「好きだった分、思い切るのにも勇気が要ってさ——あんまり、話せてはいない」
「あたしは誰を振ったこともないのでアドバイスとしては役に立たないかもしれませんね。ただ、あたしが言えるのは——後悔しない道を選んでくださいな」
また、そういうことを言って。若輩って言う言葉が似合うような小さくって可憐な人なのに、まるで全知の神であるかのような言い草をする。
否定はしないけれど、褒めもしない。
わたしは、小学校の頃のような先輩が好きだから。
「はは、ありがとう。……うん。いつかね」
それ、しないやつでしょ。まあ、わたしは気にしないけど。……どうでもいいっていうのが本音だけれど。
「はい」
おや。先輩が引き下がったのが意外だった。
「えへへ、あそこまで執着したのは対象がスズちゃんだったから。あたしは忖度をするタイプなんだよ」
特別扱いは満更でもない。けれど——見ていて冷や冷やしてしまう、先輩の手技は。
「もっと可愛くアドバイスできたらいいんだけどね」
聞いている方にもその方がきっといいと思う。
「まあ、いいや。スズちゃんって、どこか行きたいところある? 卓球って気分じゃなくなっちゃった」
それはわたしも同じだ。相変わらず倒立を続ける彼を見ていると、なんだかこう……胸の奥の辺りがもやもやしてくる。
「あたしはね、どっかでこの『占い屋さん』に行っときたいな。こういう魔法めいたものが地球に存在しているの、すごい興味深い」
「なるほどです。あの、個人的な好みなんですけど……」
思わず声を小さくして身をかがめて、先輩の耳元に囁く。
「あはははっ! いいよ」
初めてかもしれない、年相応に声を立てて笑った先輩は、とてつもなく可愛かった。
***
途中でトイレ休憩、というわけでわたしは待っている。何だか随分混んでいたので、二か所に分散してみることにしたのだ。結果としては、気を遣い過ぎて元の方がよかった、みたいな感じになってしまったわけだけれど。
「ニコちゃーん? まだー?」
おや。人としてどうかと思うが、トイレの個室の方に向かって声を掛けている女の人がいる。大きめのTシャツが良く似合う人だ。それからその横には、可愛らしい黒のメイド服を着た小柄な少女、その手をしっかり握った執事くん。コスプレだろう、それにしてもよく似合うな。やばい、目が眼福で破裂しそう。尊すぎて顔とか見れないわ。
「全く遅いなあ」
そんな風に呟いてぴょん、と飛び跳ねて見せた女の人から、わたしはどうにも目が離しがたかった。
あまりにも、先輩らしい。
世界平和を本気で希求しているあの先輩ほどの壮大さは感じないけれど、この人。
相当の博愛主義者だ。少なくとも、自分の近くにいるすべての人たちに深すぎて受けとめきれない愛を向けるくらいには、器が大きい。わたしなんかがそばに居たら重過ぎてつぶされてしまいそうなほどの愛だ。
その体が光り輝いているのかな、なんて思うほどの愛が先輩の物だとしたら。
目を凝らさないと気づかないけれど、近づいてみれば驚くほど光る
名前は知らない。
今日初めて会った。
言葉を交わしてもいない。
でもあの人はきっと、良い人だな。
「お待たせ、待ったでしょ。あれ、スズちゃん? どうかしたの?」
「いえ、何でもないですよ——わたし、先輩が大好きなんだな、って思ったんです」
「何それ、嬉しいなあ」
ええ。大好きなんです。
何を見てもあなたに結びつけてしまっているんですもの。
***
あー。自ら要望して来てみたものの、若干申し訳ないような気もするなあ。
「スズちゃん。すごいね、ここ。眼福の宝庫だよ」
そんな風に先輩は喜んでくれているようなので良かったが。わたし自身メイド喫茶というのは初めて来るので勝手がわからない。……わかってたまるか。
しかし、同じエリアの出し物には『コスプレ喫茶』なる面妖なものもあったので、どうやらこの高校の文化祭は相当に自由度が高いらしい。もしかしたら学長とかの性癖なのかもしれない。
「こんにちはー、お姉さん方」
学長の性癖、なんていう不敬なことを考えていたせいで、横から来たお姉さんに声を掛けられて驚いた。
「こんにちは」
おずおずと挨拶をする。
「ご注文はオレンジジュースとアイスココアですねー。はい、どうぞー」
小さいけれどお洒落なグラスがテーブル(普通の教室のアレ)に並べられる。
「萌え萌えきゅん、と。よし、仕事終わり!」
お姉さんの作った少し歪なハートで、言葉通りきゅん死にしそうだった。
「あのさ、二人ともすっごく可愛くない!? お名前はァ?」
仕事終わり、なんていうものだからバックヤードに行くのかな、と思っていたら彼女はそこに留まって話し出した。
先輩は可愛いけれどわたしはそこまでではない。お世辞ですか?
「私はね、
「あ……わたし、凊冬冴って言います」
「あたし、古実里香です」
寺仲さん。かっこいい名前。
「二人とも何さーい?」
「あたし、中三です。スズちゃんは中二」
「うおー。可愛いねえ」
さっきからこの人可愛いしか言わないんじゃないんだろうか。
「あのさー、二人とも彼氏とかいないの? 私最近恋バナに飢えてるんだよねー」
嗚呼。そういう時、ある……!
「あたしは居ないです」
「わたしもです」
出来たことすらない。欲しいとは……あんまり思わない。
「私、去年の冬くらいに別れちゃって? それ以来、ね。あーあ。何でああなったんだっけなああ」
え。何か聞き覚えあるんだけど。そう思って先輩の方を見ると、その感想はやっぱり同じだったみたいで、
「あの、もしかして、喜多山さん」
「げ」
げ、って。
「マジで? 会ったの?」
「はい。体育館で三点倒立してらっしゃいました」
一生で一回くらいしか聞かない説明だろうな、『体育館で三点倒立』。
「うわー、マジ!? 別れた時から変わってないじゃーん。あー」
別れた時から変わってない、って。その時からあんなトリッキーだったの?
「何かねー。私もなーなーにしちゃったみたいなとこがあったから良くないのかなーん、と」
それは絶対に良くないと思う、個人の見解だけど。痴情のもつれがこの世には無数に転がっているわけだから、しっかりと処理しておかないと。
「うーん。嶺の方はどうなのかなあ」
寺仲さんは頭を抱えて唸って見せる。
「まあそうだね……とりあえず話して見よっかな!」
おお。わたしはほぼ何もしていないけれど、何か解決に向かいそうなら素晴らしい。
「よーし、それなら善は急げ! ありがと、少女たちー」
そう言うと、寺仲さんは外したヘッドドレスをぐるぐる回しながら駆けて行った。
「んー、何か」
台風とまでは行かないけれど、旋風みたいな人だねー、と。オレンジジュースに刺さったストローから中身を啜りながら先輩が言った。
「わたしたちは特に何かできたわけではないんでしょうけど、何かがどうにか良くなるといいですね」
「漠然としてるね。でも確かに、そうなればいい」
ああいう曖昧なことは。わたしたち部外者が首を突っ込んでも、どうにもできることではない。
「あ、やべ」
提げていた鞄から携帯端末を出し、ロックを解除した先輩が声を挙げた。
「探しに来ちゃってる。スズちゃん、それ飲んだら行こ、なるはやで!」
え。ゆっくり飲みたかったよ、ココア。
***
「あれ。君たちが最後のお客? そろそろ退場時間だよ」
『占い屋さん』は非常に怪しいところだった。怪しいを通り越して怪しくないぐらい怪しい。……何を言っているんだ。
店員さんであるところの占い師さんは顔が見えないようになのか、頭巾をかぶっている。おかげで恒例の顔面レビューができない。今回一回もしていないぞ、これはピンチ。
「はい」
わたしが馬鹿なことを考えている間に先輩が返事をした。
「何を占ってほしいー?」
「あ、先輩の好きなので良いですよ。わたし別にいいので」
占いは信じない主義。
「じゃあ、あたしの未来でもお聞きしていいですか?」
大きく出たな。貴女は成人しないうちに亡くなります、なんて言われたらどうするんだろう。言わないとは思うけど。
「ん……」
一応占い師さんは水晶玉に手をかざしている。本当にそんなので見えるのだろうか、と言ってはいけないのだろう。
「あは」
と、突然占い師さんが笑い声を挙げた。
「今から三十分と経たないうちにお説教されると思うよ」
……。
それを聞いた先輩の顔がさーッと蒼く変わっていく。そんなに怖い人がいるの……?
「あ、ありがとうございます! スズちゃん、行こ!」
占い結果が嫌とか、占い結果が気にくわなかったとか、そういうことではなく、ただ純粋に占いが本当になったら困る、というただそれだけの理由で彼女はわたしの手を引いた。
わたしは信じない主義だと言っているのに。
***
退場時間が迫っているのでお帰り下さい、というアナウンスに急かされて、さっきの占い屋さんで撮った写真を手に正門へと向かう。記念撮影、という名目でいくつか写真を撮ってもらい、『特別サービス』で紙のバージョンももらった。しかし、平常の笑顔のわたしと、その横でやや蒼褪めた先輩のコントラストがひどすぎて、正直要らない写真だった。
「先輩」
「はい……」
「そんなに怖いんですか?」
「えっと、スズちゃん……あのね、前日のお弁当箱を出さなかった時、みたいな……?」
うわリアルに恐いいいいい!
何それ! 怖いからってお母さんに持って行っても地獄だし、こっそり捨てようとしても地獄じゃん!? 何よりもう開けたくないじゃん!?
なるほど、かなり怖いのがわかった。でも、反対に少しだけ安心した。
何だか、先輩の人間味があまりにも無さ過ぎたから。
勝手に抜け出して心配されて、見つかることを怖がるくらいには年相応なんだな、と思ったら安心した。
「あの、怖がっているところ悪いんですけれど、先輩」
「何……?」
「——あの、先輩ってすぐ戻りますよね?
「あー。——ごめん」
予想はついていた。そもそも今回、こうやって会うことができたこと自体が奇蹟なのだ。
それでも、久しぶりに一緒に遊んだ先輩が優しかったから、楽しいハプニングだったから、二回目を期待してしまうのは人として当然だよね。
やっぱり奇蹟は一度しか起こらないのかな。
「ごめんね、スズちゃん。やっぱりあっちだと電波が届かないみたいで——」
構いませんよ、と言おうとしたところで、急に先輩の姿が見えなくなる。
「先輩!?」
驚いて後ろを振り向くと、鮮やかな茶色の髪をした青年が先輩の手を捕まえていた。
「捕まえた」
おや?
「ユーリさん」
先日の異世界で出会った彼の名前を呼ぶと、彼はわたしに目で挨拶してみせた。
「突然こいつが押しかけてしまって済まない」
保護者かよ。
「いえ、わたしは楽しかったです」
「そりゃ良かった」
整った美貌、というべきか。人ではなく人工物であるかのような整い方をした顔面が、微笑とも言えないような微笑みを湛えるのでもう爆発したい。
「諸事情があってな。こいつがここに来れているのもいろいろ複雑な手順があって、何だ。だからその——済まないが、別れを惜しんでいる時間が無い、というのが本当のところで」
「ああ、わかりましたよ」
本当に、先輩。貴女って人は。
掴んだと思えば、すり抜ける。捕まえたと思えば、見えなくなる。
到底私では出会えっこないような人だったんでしょうね、本当は。
そもそも出会えたことが奇蹟なんだ。
「ユーリさん」
「ん?」
「ピアス、つけて下さってるんですね」
先輩の片割れの行き先。
「ああ。これのおかげで見つけた。お前、良い仕事するな」
お前って言われるのは嫌いだけど、イケメンだから許しておきましょう。
「光栄です。じゃ、さよならですか?」
「悪い。またどっかできっと会える」
「ふふ。そうですね」
「ごめんね、スズちゃん」
本当に申し訳なさそうに先輩が頭を下げる。
「良いですよ」
だってわたしは、今日古実先輩に会えてとっても嬉しかった。
もうすでに半分くらい掻き消えつつある二人の姿を見送る。周りがざわつかないところを見ると、わたしにしか見えていないのかな。
そもそも、先輩とこうして出会えたことが、言葉を交わせたことが奇蹟なんだ。
もう一度先輩と同じ時を過ごすだなんて奇蹟は、きっと起こらない。
奇蹟を望みたいとは思うけれど。
二度起こってしまったら、それはもう奇蹟ではなくなってしまうもの。
すっかり見えなくなった二人。さっきまでいたところに、一つ頭を下げて。
幸せな奇蹟に感謝して、わたしはお家に帰った。
≪作者注釈≫
・こちらの世界にお邪魔させていただきました。
しがなめさん(https://kakuyomu.jp/users/Shiganame)/県立岬ヶ丘高校
・登場人物紹介
→フルリ作『扉の向こう』登場人物
→しがなめさん作『道路標識と私』登場人物
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